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アッパー系コミュ障が思いがけず迷惑行為をしてしまったら読んでほしい話。


あなたは、シラフの状態で「酔ってるよね?」「絶対飲んでるよね?」と確認された事はあるだろうか。
わたしはよくある。

とにかく、知らない人に話しかけたい。
ひたすら、目の前の人に笑ってもらいたい。
できれば、面白い人だと思われたい。

その結果どういうわけか、ただ下品な語彙や荒々しい口調で畳みかけるのがヨシ!と勘違いしているだけの公害女(シラフ)に豹変する。

決して、思いがけず迷惑行為を働いてしまう自分を弁解したい訳ではない。
何をどう繕っても、「笑顔にさせたい人」が眉をひそめた事実は変わらないからだ。
ここで書きたいのは、ナチュラルアッパー系コミュ障である同胞たちに共有したい実体験、心的動態。
円滑コミュニケーション人間への憧れを捨てきれないあなたに送るラブレター(死語)だ。

なお、果たしてそんな同胞が居るのか、こんな素人の書いた文章を好き好んで読んでもらえるのかは甚だ疑問である。

人見知りになりたい

いわゆるコミュ障を自覚する人間は、「仲良くなりたいけど話しかけられない」「人見知りで損をしている」という悩みが大半を占めているが、あの森田一義ことタモリの名言で有名なのがこれだ。

・人見知りは才能。
・人見知りじゃない奴は面白くない。

相手の気持ちを汲み取りすぎるから
「この言葉に失礼が無いか?」と考え一歩引いてしまう。
それは、相手がどうしたら喜んでくれるか?
と気持ちを汲み取る事にも長けているということ。
だから、人見知りは才能なんだ。

タモリ学〜タモリにとって「タモリ」とは何か?〜

同意しかない。わたしも人見知りには憧れている。そんな、人にも環境にも優しい存在は後光が差しているように見える。

人前で緊張し話せなくなる自分をダサいと感じ、虚勢のみで対話を乗り切ろうとするわたしとは完全に真逆だ。そんなんだから「面白くない人間」になるのだ。
(※あくまで自分をダサいと感じるだけであって、人前で緊張し話せなくなる誰かを見てダサいと思ったことは、断じてない。)

「仲良くなりたいけど話しかけられない」のではなく、「仲良くなりたい時は話さないように気をつけなければならない」のである。
しかも、周囲の人数が多い時ほど舞い上がり、飲酒していないにも拘らず酩酊さながらの状態(しかも下品)に突入するので相当タチが悪い。わけがわからない。

初対面が一番気がゆるみやすく、気が大きくなりやすい(致命的)。
運良く相手に気に入られた場合でも、二回目以降は前回の自分の面白さを上回る自信がないため人見知りを発揮する。わけがわからない。

百歩譲って、いち表現者ならば個性の範疇かも知れない。
過去、趣味で音楽活動をしていた頃も、ふざけて踊り狂いながら歌った後にお客さんと交流を図り、「え…ステージ上とキャラ変わんないんですね…」とドンびきされながら、やってられんわとばかりに客だけ酒量が増えていく様を見てきた。
わたしとシラフのまま語らうのは相当なストレスらしい。
間接的に酒の売り上げに貢献しているという自負の一方で、この虚しさは何だ?と自問を繰り返すのだが、いつしか「人見知りが愛されるのは当然」と理解するに至る。

主に踊り狂っていた頃の様子

余談だが、「ドン引き」の表記は「ドン退き」(後ずさりするから)が正解である、と某テレビマンが持論を述べていた。間をとって平仮名表記とした。

物心ついた頃には虚勢と大声を張っていた

「かたつむりくんは、まぁ〜〜〜だ、やってきません!」
小学2年の授業で教科書の朗読を命じられた時、教壇に立ってふざけながら読んだ。
大袈裟な抑揚と表情で、クラスメイトたちの意表を突きたかった。

ウケた。大爆笑だった。
あれほどの喝采は今後の人生で二度とないだろうと思うと、急に真顔で窓の外を見つめるしかないが、とにかくあの日から明確に願うようになってしまった。

面白がられる人間になりたい、と。

日頃から母親に言われていた言葉を思い出す。
ねぇねぇママ〜、と話しかけると「今しようとしてる話、面白い?本当に面白い?面白いなら話して良いよ!」と返される。
自問の結果、大して面白くないな…と感じ黙る。
当時はもどかしかったが、母親も忙しい中どうでもいい話をされたくなかったのだろう。

今思えば、きっとあれは賢い子供にのみ有効な教育だった。
わたしの学習能力が高ければ、母親の前だけでなく、他人との関わりを大切にする上で「雄弁は銀、沈黙は金」だと悟ることができた。
面白い人見知りになれるチャンスだった。
相手の気持ちを汲み取る人見知りの才能を、開花させるチャンスだったはずだ。
だが、花の蕾は咲かないまま腐り落ちた。

10代、20代、30代……円滑なコミュニケーションができない反省を繰り返すうち、過剰にビクビクと人目が気になるようになったが、何の意味もなかった。

相手の質問の意図を汲み取っているつもりでも、冗長で求められていない返答をしてしまう
声量を抑えているつもりでも、いつの間にかその場に響き渡る大声になってしまう。
笑わせようとふざけたつもりでも、何らかのハラスメント発言でしかなかったりする

控えめに言って最悪である。
今や連絡先を知る同窓生は誰もおらず、友人関係を維持する術は身につかないまま。
最終的には相手の厚意や寛容さに丸投げである。
そんなもの、コミュニケーションでも何でもない。

それはそれとして、小学生のわたしがふざけて朗読したのは、『がまくんとかえるくん』シリーズの『おてがみ』であった。

訳者は教材によって異なるらしいです。

作者アーノルド・ローベルと作品についてはこちら。
かたつむりに手紙を託すとこうなるよ!という、予想外のことは何ひとつ起こらないのに何故かハラハラしながら楽しめる超名作なので、もし未履修の方は是非!

……さて、絵本でほっこり(現実逃避)している場合ではない。

憧れの人に会いに行くのは死亡フラグ

先日、とある人気作家がオーナーを務めるカフェに訪れた。
店長とYouTubeでラジオ公開収録をするイベントとのことで、収録が終わった後も多くのファンが和やかな様子で語らっていた。
(お名前を明記して、この記事を検索にHITさせるのは本意ではないため、ぼかしています。)

わたしは生のオーナーを拝みたい(あわよくば話したい)という思いと、オーナーのファンとあわよくば仲良くなりたい(仲間がほしい)という思いだったが、賢明な読者にはお察しの通り、醜態を晒すことになる。

先にオーナーについて触れておくと、かつては「企画屋」を名乗って数々の集客イベントを世に送り出しており、自身のブログ上では文才ほとばしるレポートも残している。

集客イベント以外にも、

などなど魅力的な記事があるので、是非是非ご一読いただきたい。
何の間違いかここまで目を通してしまった慈悲深い読者には感謝しつつも、即刻こんなコミュ障自分語り駄文は読むのを中断して、彼の生み出す新旧全てのコンテンツを堪能して楽しい気持ちになってほしいとさえ思う。
現在、彼は主に「インターネット芸人」と称し、知性派娯楽系YouTuber/作家として躍進を続けている。
noteの有料マガジン『炎上するから有料で書く話』が絶賛連載中であり、わたしも過去記事や最新記事を購読しては毎回笑い転げている。

……さて、話を戻そう。
前述の通り、面白がられる人間になりたい願望に取り憑かれているがゆえに、面白い人から「面白い人だ」と認められることは何にも代え難い幸福だ。

カフェではオーナーとお話しすることが叶った。
わたしの唯一の特技である中国語で「你好!我真的很高興見到你!(お目にかかれて嬉しいです!)」と挨拶をかまし、「え、中国の方…?」という反応を待ってから「あ、すみません日本人です、へへへ」と明かす、しょーもないプチドッキリが運良く功を奏した。
わたしの鼓膜と記憶が正常ならば、奇跡的にオーナーから「わぁ、面白い人だー」のお言葉を引き出すことができたのだ。

天にも上る気持ちだった。
「収録ステージに近い席が空いているので、どうぞ」と紳士的に案内もしてもらえた。舞い上がった。(死亡フラグ)

カワイコちゃんを恫喝

カフェでは「話しかけて良いよバッジ」(おしゃべり歓迎の目印)という画期的アイテムが貸出/販売されており、初対面人間大好物妖怪のわたしは迷うことなく購入した。
いそいそとバッジを装着し、収録の休憩時間ごとに獲物が現れるのを待ったが、もう既に舞い上がっているわたしは、待ちきれないのでバッジのない人にも積極的に話しかけていった
まさかの優良システム完全無視である。わけがわからない。

それだけでも既に迷惑行為だと思うのだが、決定的なのは閉店直前の出来事だった。

カフェの女性店員さん(カワイイ)に話しかけたのは、確か「置きっぱなしにしていた空の器を、自分でカウンターに持って行くつもりだったのに、片付けてもらっちゃってすみません」という内容だったと思う。
「確か〜だったと思う」などと曖昧な表現なのは、舞い上がった擬似酩酊状態(シラフ)の記憶に自信がないからだ。謙虚を装った記憶改竄かいざんの可能性すらある。
まずい。本当にオーナーから「面白い人だ」と言ってもらえたのかどうかも怪しく思えてきた。

とにかく、知らない人に話しかけたい。
ひたすら、目の前の人に笑ってもらいたい。
できれば、面白い人だと思われたい。

気づけばわたしは、店内に響き渡るような声量で「客がよぉ〜!こんなに集まりやがってよぉ〜!」などと発していた

視界に映る、女性店員のこわばった顔。

信じられないことだが、わたしはその時点で「あれ?どうしてそんな表情にさせているんだろう」と不思議に感じていた。
公開収録中に、オーナーたちが「〜〜で、客が…」「客、って…言葉悪いな!お客さんね!」とやりとりし会場の笑いを誘った、平和な一幕を引用したギャグのつもりだった。

いや、わけがわからない。
本当に、書いていて自分でもわけがわからない。
弁明の余地がまるでない。
ベロベロに酔ったクソオヤジが若くて可愛い店員に下ネタで笑わせようとウザ絡みをする姿と大差がない。
一体どこに笑える要素があると言うのか。
そりゃ表情こわばるよ。当たり前だよ。可哀想だよ。

閉店直前とは言え、楽しい時間の終わりを惜しむようにファンたちがカフェに残っていた。
「客がよぉ〜!」という謎の大声を聞いてどう思うか。不快に思わないわけがない。
仮にセリフが聞き取れなかったとしても、大声で女性店員を恫喝しているバカが居ると思うのが自然だ。
いずれにしても店の空気を悪くしている痛客の迷惑行為である。

更になんと、その後オーナーにも話しかけ(閉店っつってんだろ帰れ)、性懲りもなく収録中の一幕を引用し「○○について文句があるんです〜!」などとギャグのつもりで言った。
まじでわけがわからない。早く帰れ。

さっきまで大声で女性店員にウザ絡みしていた奴から、唐突に「文句がある」と切り出されて警戒しない人間は居ない。
言うまでもなく、オーナーの笑いを引き出すことはできなかった。

カフェを出て駅に向かう途中、ようやっと「もしや、わたしは、新たに人生の汚点をつくってしまったのでは…?」と気づき、冷や汗と胃痛と後悔の念に苦しむのであった。

同胞を救い 最低限の平和を守りたい

オーナーの『コンテンツを作れ。もしくは良いヤツでいろ。』という記事では、自身の困ったファンについて綴られている。
有料部分についてネタバレする気はないが、タイトル通り「頼むからせめて良いヤツでいてくれ」という切実な願いが伝わってくる名文である。
読んだ当時、明日は我が身と思い、自分も気をつけなければならないと心に刻んだはずだった。
全く学んでねぇじゃねぇか。いい加減にしろ。

冒頭で、わたしは「ナチュラルアッパー系コミュ障である同胞たちに共有したい実体験、心的動態。円滑コミュニケーション人間への憧れを捨てきれないあなたに送る」と書いたが、

嬉しくて楽しくて舞い上がる→擬似酩酊状態に陥る→自覚のないまま悪質な言動を起こす→後悔/反省する→嬉しくて楽しい出来事に遭遇する→擬似酩酊状態に陥る(以下略)

こんなアホサイクルに共感できる人が、果たして存在するのだろうか。
存在するなら真剣にお友達になりたい。お友達同士、互いにダメ出しをして自制心を養いたい。
同胞を救い、周囲への迷惑行為を未然に防ぎ、最低限の平和を守りたい。

そこでネックとなるのは、酒を一切飲まないという点である。
おそらく一般的なコミュ障自覚勢の中には、飲酒による純粋な酩酊状態で失敗するか、自責の念に駆られて、辛い気持ちを忘れようと飲酒する人が少なくないだろう。
わたしは普段から飲酒を一切しないため、失敗をしないように飲酒を控えるとか、飲酒をして現実逃避をするという対処法が使えない。
共感を得られにくいのだ。

もし、「我こそはナチュラルアッパー系コミュ障!」という方がいらしたら、失敗談や対策、制御方法についてご教示ください。
そして、お友達になっても良いよという奇特な方がいらしたら、コメントよろしくお願いいたします。

……

カフェには翌日お詫びに伺いましたが、女性店員さんは居ませんでした…。
オーナーにも何らかの方法で謝罪メッセージを送ろうかと迷いましたが、ただでさえ超多忙かつ日常的に魑魅魍魎ちみもうりょうからDMがわんさか来るようだし、わたしの自己満足お気持ち表明などしたところで、カフェの空気を悪くしたであろう事実は消せないので、せめて今後は静かに課金するだけのファンで居よう…と強く思いました。

こんな長文に最後までお付き合いくださった、心優しいあなたに感謝します。
半年ROMります。(死語)

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