心神喪失で「無罪」はやめて、違法宣言くらいしてもいいのでは

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前々から個人的に注目していた事件の高裁判決が出た。
高裁も無罪。

これに対してネットではいつものように不満の表明が多かったように思われる。
個人的には、心神喪失者の行為は罰しないとする制度自体はあるべきだと思う。
責任能力がないのだから罪と呼ぶに値しない行為であるからこそ無罪と呼ばれるだけだということも、自由意思の存在自体が問われるとしてもその人自らの意思に基づかない行為としてそもそも非難すべきでない罪も人もあり得ることも、無罪といえど措置入院など実質的には終身刑と変わらない措置がとられるに過ぎないことも知っている。

しかし、呼び方の問題でしかないなら少し呼び方を変える、くらいしてもいいだろうと、一国民としていつも思うのだ。
心神喪失で無罪というのは、決して人々が想像する「無罪」ではないということを伝えなければ、司法が信頼を失うし、「無罪」としか報道されないなら一般予防効果も損なわれてしまう。
中身は当然大切だが、人の信頼を勝ち得るには、まず、見栄えを整えておくことも大切だ。

米国には「有罪だが精神病である」とする制度があるらしい。
日本の刑法理論上、心神喪失による行為を有罪と呼ぶことは無理だ。
しかし、責任能力を欠く故に通常の刑罰とは異なる処遇がなされることを示すため、違法宣言くらいしてもいいのではないか。

刑法39条1項「心神喪失者の行為は、罰しない。この場合には、行為が違法であることを宣言することができる。」くらい付け加えても構わないのではないかと、素人ながらいつも思うのだ。

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