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『眩しい』/楽曲「ラブヘイト」解釈


 ラブヘイトという曲が好きだ。

 収録されているミニアルバムが発売されて約一ヶ月半経つ中で、何度聴いても新鮮に「この曲が好きだ」と深く感じる。
 今までもあれこれ細々とした感想を並べてきたが、ここで改めて、ラブヘイトという楽曲に対しての自己解釈というものをまとめておきたいと思う。初めて聴いた時からずっと噛み続けて考え続けていたそれを、一つの文章として書き殴ることによって、今一度この曲を飲み込んでみたい。自分が掲げるこの曲の解釈としての正解を定めたい。そういった文章です。




そもそもラブヘイトとは

 ラブヘイトという楽曲を知らずにこの文章を覗いている人が居るかもしれないので、軽い紹介くらいは入れておきたい。


 ラブヘイトとは、「にじさんじ」に所属するライバー六名(緑仙/三枝明那/童田明治/鈴木勝/える/ジョー・力一)で構成され、2020年春にメジャーデビューを果たした音楽ユニット「Rain Drops」による2ndミニアルバム「オントロジー」に収録された楽曲の一つである。
 作詞家の藤林聖子さんとユニットメンバーである三枝明那の二人が作詞を担当し、音楽ユニット「cadode」のメンバーである作曲家ebaさんが作編曲を担当している。

 興味がある人は是非あらゆる音楽サブスクにて配信中の当曲及びミニアルバムを聞いてみてほしい。


 YoutubePremiumに加入している人はYoutubeでも聴ける。Rain Dropsは最高。
https://youtu.be/iXdsQYTZxBw




ラブヘイト歌詞いいよね編


 まずラブヘイトの第一印象として強く思ったのが、「あまりにも歌詞が人間すぎる」ということだった。
 ラブヘイトの印象としてよく聞くのが「オタクだから歌詞が刺さる」というものだが、私はもっと…オタクだから、というより、誰かに対して強く憧れを抱いたことのある人間誰しもに響く歌だろうと思う。ラブヘイトは人間の歌だ。誰もが抱き得る、人間の内部で渦巻く複雑で苦しい感情の歌だ。


 特に人間らしさを強く感じる部分は、と問われた時、きっと真っ先にあげてしまうのはサビの「羨望といたたまれなさ」「嫉妬ごころとやるせなさ」だと思う。聴き始めた当初、何度聴いてもこのフレーズが苦しくて、度々1人で声をあげた。
 愛憎という複雑な感情を細分化して言葉に変換した時、こういった表現が並ぶのがあまりにもしっくり来る。誰かを憧れる気持ちとそれに伴う劣等感や自己否定、悔しさ、虚しさ。どれも身に覚えがあって苦しい。
 それぞれ1番と2番のサビのフレーズであり、この後両者共「(1番の場合:羨望といたたまれなさの)雨に打たれ続け」と続くのだが、これらが「雨」なのが、どうしようもなくて良い。確かにこういった感情のコントロールの出来なさ、遠慮なく降り頻る様な感覚は、まさしく雨のそれと同じだ。


 ラブヘイトという曲の歌詞は、大概、ずるい。
 この歌詞で綴られているのは前述した通りあまりにも人間らしい感情であり、きっと多くの人が自分の持つそれと重ねながら聴くのだろう。私も例外ではない。ラブヘイトで歌われる感情が自分の内部にも存在することを、誰かに対して抱いたことがあることを感じさせられる。

 だからこそ、ラブヘイトの歌詞の言葉の素直さが苦しい。
 愛憎という、一見相反する様なものが混ざり合った矛盾や葛藤を抱える複雑な感情を歌いながら「あなたみたいになりたい」と羨望をまっすぐ言葉に出来たり、「大嫌いで大好きです」とはっきりとした表現を用いていたりするのが、どうしようもなく眩しい。歌の展開として、手も届かない空の上にいるかと思っていた憧れの対象も自分と同じであることに気づき、最後にその腕を掴んで一緒に飛ぶことが出来ているのだけど、それが本当に、ただただ眩しくてずるい。歌われる感情が自分と重ねられる分、きっと飛ぶことなんて出来ないままの自分との違いをありありと感じてしまうのが辛い。


 ラブヘイトの曲中の展開が「太陽の様な存在も自分と同じ人間だった(=自分も太陽の様な存在と同じ様に空が飛べる)」だとするなら、ラブヘイトという曲に対する私の心境としては「自分と同じだと思っていた存在が走り出して空を飛んでしまった」といった所だろうか。これはラブヘイトの曲中の展開と同じ様に「自分も走り出して空を飛ぶことができる」という曲からのメッセージに繋げることができ、ラブヘイトは聞き手にとって希望の歌に十分なり得るのだけど、未だ勝手に諦めたまま立ち止まっている自分自身のことを思うとそう簡単に希望として受け取る事はできない。ただただラブヘイトが、残酷で、眩しい。


 ラブヘイトこそ、私にとっての太陽なのだろう。勝手に諦めて何かを羨んでいた人間にも走り出して空を飛ぶことが出来るというラブヘイトの見せる希望こそ、私にとって、自分とは違う向こう側のそれなのかもしれない。




以下 
特に脈絡の無い「この歌詞良いよね」のコーナー


・太陽に添える表現が「近づけば翼さえも溶かされる」から「眩しくてどんな闇も照らしてく」になっていくの、同じくらいの強い光のそれでありながら絶望から希望への変化を感じて良い。


・上記の表現二つに「誰からも愛されて求められる」も含めて、全体的に太陽に対する評価が重いのが、憧れる側からの勝手な期待が含まれている気がして残酷で良い。人間はそういう所がある。
 残酷さという話をするなら「あなたは結局向こう側のひと  僕とは違うんでしょ?」というフレーズもそうで、憧れる側からしたら「翼さえも溶かされる」様に突き放されている様な感覚なのだろうけど、よく考えると勝手に諦めて突き放しているのは実はこう言ってる側だったりする。ここもまた人間らしさが強いフレーズだなと思う。


・「あなたと一緒に飛ぶよ」、曲の流れを踏まえると「太陽の光に翼を溶かされていた様な状態から進んで、一緒に飛ぶことが出来た」という自身の進歩の表現の様に思えるけど、それだけじゃなくて「太陽の様なあなたも最初から空に在ったわけではなく、自分と同じ様に翼を使って飛んでいたんだ」という文脈も含んでいる気がして好きだ。ラブヘイトの歌う、それこそ…歌詞中の言葉を借りるなら、「You’re the same as me.(君は僕と同じだ)」という言葉には、やっぱり「憧れの存在が自分と同じように悲しみや苦しみを抱える人間であること」と「自分も憧れの存在と同じように輝ける存在であること」の二つの意味合いがあるんだろうと思う。だからこそ、苦しく複雑な感情を歌うこの曲の含む高い共感性が、そのまま希望のメッセージを受け取る力になる。


・「照り返す月のように僕は語りはじめていた」、腕を掴んで走り出して同じ空を飛べたとしても結局自身の喩えに用いるのが太陽の光を受けて輝く月であることに、憧れた側だからこその敵わなさがあって良い。


・ラブヘイトで一番好きなフレーズを問われたら「あなたみたいになりたい」かもしれない。複雑に入り乱れる愛憎の一番根元でひそかに灯り続ける様な、あまりにも素直で健気な願いで泣きそうになる。ここも度々聴きながら声を上げた。


・個人的にVTuberという存在を表す言葉として「今を生きている」というのがあるのが好きで、それによって「今を生きるあなたに惹かれてる」というフレーズが刺さっている。作詞に携わった本人からライバーとリスナーの関係性にも重なるという明言がある歌でのこのフレーズは、その刺さり方をしても間違いではない、はず。


・好きな歌詞というかふと気になる点だけど、「もう待てない」の部分って誰が何を待ってるんだろう。腕を掴んで走り出す勇気を持てないままだった自分だろうか。立ち止まりながらいつか来るかもしれないと思っていたチャンスの瞬間だろうか。「もう待てない」から続く「僕は走り出してた!」、安直な話かもしれないけど、「走り出した」じゃなくて「走り出してた」なのに衝動性があって良い。


・「誰かに誤解されても 間違った方に理解されるよりは まだいいや」「距離感には敏感で 傷つかないように 無難さを装った」ここ突然三枝明那濃度100%みたいな歌詞が来るのでビビる。三枝がこの曲の歌詞に携わっているという事実がある故に少なからずラブヘイトに対して全体的に三枝がこれを書いたんだな……という…何かを感じることはあれどラブヘイト自体を三枝明那のイメージソングじゃん!と思う事は無いんだけども、ここの歌詞だけに関してはいやここ三枝明那やんけ……になるのでビビる。ここを解釈しようとするとそれはラブヘイト解釈というより三枝明那解釈になるので割愛する。(ここを三枝明那として解釈すること自体がそれこそ「間違った理解」だったらどうしようかな…とよく考える)すごく好きなフレーズだ。



ラブヘイト歌良いよね編


 ラブヘイトを初めて聴いた時、クロスフェードでサビを聴いた時の印象と違って、思っていたより爽やかなメロディで驚いたのを覚えている。
 Aメロなんか特に、ポップさや賑やかさを感じる明るい雰囲気がある。それに合わせる様に童田、えるさん、勝くん、緑仙の4人の高音が楽しげに響いて良い。特に緑仙なんかは、普段の歌声に凛々しさやカッコ良さのイメージを個人的に抱いていた分、1番の「放課後のボールの音 ぬるい笑い声」の所がより一層…ころころとした印象というか、明るく賑やかな雰囲気を含んでいてすごく好きだ。


 そういった明るくて軽やかな雰囲気のAメロからのBメロ、サビにかけて深みを増していく感じ、というか、疾走感やカッコよさに切り替わっていくのもまたこの曲の大きな魅力だと思う。Aメロが高音勢4人の印象が強いのに比べて、サビで三枝、力一さんの低音男性陣2人の力強い歌声が聴こえるのが雰囲気の違いを際立たせて好きだ。あとAメロ高音勢4人の歌声もサビだとカッコいい雰囲気に切り替わっていていい。「翼さえも溶かされる」の緑仙とか上記のAメロソロパートと比べて雰囲気の違いがわかりやすい。


 これはおそらく都合の良い聞き間違いとかでは無いと思うのだけど、基本的に高音勢の軽やかで明るい高音や全員のカッコいい中〜低音で構成されている中で、三枝の強めのソロパートがCメロ「僕は走り出してた!」まで来ない、というのが個人的にすごく好きだ。同じ様な役割(低音男性陣)の力一さんに「近づけば」のパートがあることを考えた時、三枝のソロパートとして1・2番の内に同様の強さのある箇所が無い、と考えても、おそらく間違ってはいないはず。
 これはラブヘイトにおいて三枝明那の印象をどうしても強く感じるからこその感想かもしれないけど、そういう歌構成になっている分、「僕は走り出してた!」でより世界が広がっていく感じがあって好きだ…と思う。どうだろう、構成としてそう見せる意図もあるんだろうか。


 そう言った歌声の印象の変化、ソロパートでの魅せ方の違いを考えた時、この曲が六人で歌うRainDrops楽曲であるということに深く意味を感じる。
 もちろんカラオケなどでも配信されているから、六人で歌わないと意味がない、と強い言葉で言うつもりもない。もしかしたら何かの機会でメンバーの誰かが一人や少人数で歌う可能性だって無いとは言いきれない。そして誰もが共感し刺さり得る歌だからこそ、これからも多くの人に愛されて歌われて届いていくべきだとも思う。
 ただ、RainDropsの曲として、こういった歌詞に対してこの歌編成で形づけられて、ラブヘイトという曲として存在していることが、わかりやすく言えば個人的な解釈と一致していて嬉しい。



以下 
特に脈絡の無い「ここの歌い方とか曲調良いよね」のコーナー


・「あなたを追いかけてしまう」「あなたみたいになりたい」を、男性陣の低音でそっと歌われるのが好きだ。歌詞の所で、愛憎の中でひそかに灯り続ける様に願う「あなたみたいになりたい」が好きだという話をしたが、その印象において力一さんの歌い方による点も大きいと思う。


・やっぱりAメロがすごく好きだな。高音勢4人という括り方をしたけど、それぞれ個性が出てて本当に良い。男性陣のハモりが優しく重なるのも好き。


・あとこれは曲調の話になるが、2番Aメロ後半(距離感には敏感で〜)特有のシャンシャンとしたリズム感が本当に大好き。


・1番の「あなたは結局向こう側のひと 僕とは違うんでしょ?」と「羨望といたたまれなさの雨に打たれ続け」、2番の「あなたは結局向こう側のひと 似てる様に見えても」と「嫉妬ごころとやるせなさの雨に打たれ続け」、おそらくどれも低音男性陣二人+高音勢一人の構成で成り立ってるけど、メインを歌ってるのが男性陣のどちらなのかで雰囲気が変わって良い。また、歌声の構成の基本が同じでも、やっぱり箇所による雰囲気の違いもあって良い。「あなたは結局向こう側のひと」の力強さと「雨に打たれ続け」の少し低めで若干シリアスさを伴う雰囲気の違い、分かるな……。


・「無難さを装った」の勝くんのメインに三枝のハモりが重なる瞬間が好き。この二人の歌声の相性好きだな……と他の曲でも度々思う。


・「I wanna say, ラブ&ヘイト to you.」の韻が聴いてて気持ち良くて大好き。


・「放課後のボールの音」という明確なワードだったり、ポップさすらある明るく爽やかな雰囲気やサビの疾走感だったり、そういったものがこの曲に若さやそれ特有の青臭さみたいなものをもたらす様で、愛憎を歌う歌詞含めて全体的に青春感があって良い。だからこそより眩しい。


・所々のハモりやサビとかCメロの声の重なりが良い。そう思うと、やっぱり六人それぞれの声があるからこその曲構成なんだろうな。まだカラオケでこの曲を歌った経験とかは無いけれど、どうやって歌うんだろうな…って考えてしまう。難しそう。




曲解釈まとめ/ほぼ自分語りだよね編


 結局ラブヘイトをどう解釈しているのかを問われたら、歌詞に触れた時に言った「ラブヘイトこそが私にとっての太陽である」が全てだと思う。

 自分が優れていたかったことにおいて自分よりもずっと優れている人を見て、羨ましくて、同時に憎くて、苦しい気持ちに苛まれた時、私にはじゃあ自分も出来る様になるために頑張ろうとは思えなかった。現実から目を逸らして、自分とは違うんだと思うことで全部を諦めてしまいたかった。そのくせそれすらも上手く出来なくて、ずっと惨めな気持ちのままその道を外れられずにいる。
 ラブヘイトで歌われる愛憎の感情は、そういう自分の惨めさに少なからず同調してくれるようなものだと思っていた。

 初めて歌詞カードを見ながらちゃんとCメロを確認した時の衝撃を、今でも覚えている。ラブヘイトの第一印象は「こんなに爽やかな曲に対してこんなに苦しくて人間すぎる歌詞なのおかしいだろ…(最高……)」というもので、そこから改めてちゃんと歌詞を確認しながら聴いた時、Cメロでその印象からのどんでん返しを食らって唖然とした。

 正直私はこの曲の展開として、最終的に飛び立つとは思っていなかった。ずっと変わらないまま空を見上げ続けてる様な気がしていた。クロスフェードでサビを聴いた時からずっと「こういう人間らしい苦しい歌か…」と勝手に思っていたから、あなたが差し出した腕を掴み 僕は走り出してた!の歌詞を見た瞬間、頭の中で何かが弾け飛んだような、殻がやぶられた様な、そういう風な感覚があった。その衝撃の中にはもしかしたら、空を飛んでしまったラブヘイトへのショックも少なからずあったのかもしれない。


 ラブヘイトが羨ましい。
 愛憎の中で決して無くならない素直さが、その眩しさが。大嫌いと言えるほど強い感情を抱きながら、同じくらいの強さでちゃんと大好きも言えるところが。憧れて、羨ましくて、憎さすらあった対象が、ちゃんと自分と同じ様に苦しみを抱える人間であり、努力で空を飛んでいると気付けるところが。そう気づけた時に、そう認められた時に、自分も走り出せるところが。
 私にそれが出来るかと問われたら、どんなに自分を過大評価しても「はい」とは言えない。口だけだったらいくらでも私もいつか空を飛べたらいいなあと言えるだろうけど、そんな言葉でこの曲をやすやすと消費したくもない。

 この曲が私の太陽だとして、こちらに向けて腕を差し出しているとしたら。その腕を掴むということは、この曲の展開を希望のメッセージと捉えて、自分も頑張ろうと奮い立つことだろうか。それを出来ると言えるほど自分のことを信用できない、飛ぶための努力が自分に出来ると思えないというのが、今私がこの曲に対して返せる答えの全てだ。
 それでもきっと、だからその腕はいらないと言い切れるほど、全てを諦めることも出来ない。全部が中途半端でどうしようもないけど、せめて太陽だけは変われない私と同じようにいつまでもそこにあり続けて欲しい。


 そういえば、空を飛ぶとは一体なんだろう。それをどう定義づけるかは解釈ごとに違いも生まれると思うが、少なくとも私が定義づけるとするなら、自分のやりたいことをちゃんとやれること、こうありたいという自分でちゃんといられること、そういった自由さを手に入れること、…私がそうでありたいことの全てだ。




 あなたみたいになりたい。
 世界に溢れんばかりにいる、私が出来ていたかったことを出来ている人達みたいに。苦しさや情けなさの募る愛憎の気持ちを抱えながら、希望をちゃんと掴んで空を飛んだ歌みたいに。
 そう思いながら生きている。そう思いながらきっとこれからも生きていく。

 降り頻る愛憎が止む気配は無い。




 ラブヘイトという曲が好きだ。
 羨ましくて、苦しくて、きっとこれからも希望と呼べないままのこの歌が、どうしようもなく眩しくて、大好きだ。