見出し画像

JR北海道 留萌本線一部区間の営業最終日に立ち会って

留萌本線とは

深川駅から留萌駅までを結ぶ鉄道です。道央から日本海に抜ける路線で、深川から沼田付近までは稲作が中心の田園地帯を駆け抜け、恵比島から峠下までの約8㎞はこの路線最大の難所、恵比島峠があります。峠下から先は山間の路線で直線は短く、カーブが連続して続きます。そして終点留萌は日本海に面した街。留萌地方最大の街であります。

春は新緑、秋は紅葉と車窓からの眺めも変化に富んで飽きることが無く、乗って楽しい路線です。
また途中にある駅も木造だったり、国鉄時代の面影を色濃く残す駅が多数あり鉄道好きにはたまらない路線でした。
また当然ながら、地域にお住いの方々にとって重量な交通機関であったことは間違いありません。
そんな留萌本線ですが、石狩沼田と留萌の間が令和5年3月31日をもって営業終了となってしまいました。

営業最終日に立ち会って

3月31日の営業最終日は早朝から路線にいました。
各駅には警備員が配置され、安全管理を担っていました。
北海道警察のパトカーも頻繁に巡回し、路上駐車車両に注意を促しておりました。

早朝の真布駅。木造駅舎がとても素敵です

この日以外にも何度か訪問しては列車の撮影、駅を絡めての撮影、峠を走る車輌の撮影など、いろいろ記録していましたので最終日は人でにぎわう風景を切り取ろうと考えていました。

早朝は曇りでしたが、8時頃から本降りの雨。しかし10時くらいからは雨も上がり青空も見え始めてきました。
この時間帯では次に来る列車はどこの駅で撮って、その次はどこで撮って、そういえばお昼ご飯はどうしようか?などそれほど廃線の悲しみは感じておりませんでした。


お昼頃の留萌駅。見送りイベントがあるためテレビ各局が集合し大混雑でした。
留萌市のゆるキャラ「カズモチャン」カズノコがモチーフです。東京バナナではありません

幌糠駅。
この駅を訪問したのは夕方4時頃でした。
ずいぶん前から雪の壁に文字を彫って、訪れる人、列車の中の人に向けてメッセージを発信していました。
昼間の暖気で溶けたり、雨による文字の色落ちなどがありましたが、その度に修復しておりました。
そして新たにメッセージボードが。
地元の皆さんが協力して作り上げた力作です。

「ありがとうJR留萌線さよなら」

夕方の列車が到着するのに合わせて、幌糠地区の皆さんが駅に集まってきました。
今回、自分が廃線に立ち会うにあたって、なるべく地元の方とお話ししたいと思ってましたので、早速話に混ぜてもらいました。
昔の駅はこういう形だった。
駅前には○○さんの家があった。
子供のころ駅前の○○で遊んだ。
など、昔の話を聞く事ができました。また、元気なお母さんが、「カメラ持って来たんだけど素人だからどうやって撮ったらいいか、わかんね~」とおっしゃたので「大丈夫ですよ。僕も素人だから」と答えるシーンもありました。

たまに訪れる単なる鉄道ファンでさえ、廃線となるととても悲しく寂しくなるのに、生まれたころからある鉄道が今日限りでなくなるなんて、地元の方たちの悲しみはいかばかりか。そんなことを考えると、夕方の雰囲気も相まって胸が詰まってしまいました。

町内会長のようなお父さんが、ラミネートされたカードを持ってきました。

雪壁に彫ってある文と同じことが書かれています。

オイオイ順番違ってるぞ。あらやだ~キャハハハと、和気あいあいの皆さんでした

もちろんほかの地域の皆さんも同じように廃線を寂しく思っているはずです。でも、この時間帯にたまたま訪れた幌糠駅で、こうして地元の皆さんと触れ合う事ができたのはとても貴重な時間でした。
後ろに見える軽トラックには発電機と投光器が積んであり、暗くなったら雪壁の文字を照らすという準備もされていました。

幌糠駅から恵比島駅へ

そしてとうとう暗くなってしまいました。
と言う事は最終列車を見送る時間が迫ってきたと言う事です。

色々迷いましたが、恵比島駅で最後の列車を見送ることにしました。

大部分が鉄道ファンの方たちでしたが、その中で、「沼田町民の方はこちらに集まってください」と、役場の方が誘導していました。

駅待合室の前にバリケードで囲まれた一角があったのですが、そこは町民の皆さんが集まるスペースだったんです。
皆さんペンライトや横断幕を持って最終列車を見送る準備をしています。

最終列車が到着しました。窓が開かない車輌もありますが、窓が開く車輌はみんな全開にして、窓から手を振って、写真を撮影して、ビデオを撮って、一生懸命記録に残しています。

こちら側も同じように手を振って、ありがとう、さようならと声を掛け、最終列車の発車を待ちます。

ドアが閉まります。
汽笛が鳴ります。
ゆっくりと列車は走り出します。
お客さんの中には泣いているような方もおりました。

営業列車はこれでもう走ることはありません。
でも、最後に、本当に最後に、留萌から旭川へ戻る回送列車がまだあるのです。
深川から留萌に向かった列車は、留萌でお客さんを降ろした後そのまま留萌に停泊せずに旭川まで回送されるのです。
まさに時刻表に載らない列車です。
今度はお隣の峠下駅でその列車を待ちます。

22時近くの暗闇の中、遠くから鉄橋を渡るジョイント音が聞こえてきます。
駅近くの踏切が鳴ります。最後の踏切鳴動です。
数人いる鉄道ファンが待つ中、キハ54のヘッドライトが近づいて来ます。
応援で来ていた職員の方でしょう、2人こちら側に向かって手を振ってくれました。JR職員の方がお手振りなんて初めてのことでした。

ジョイント音を響かせ、恵比島峠に向かって加速し、正真正銘最後の列車は行ってしまいました。
これでこの区間に列車が来ることはもう二度とありません。
深い悲しみを新たにしました。

廃線の現実

留萌で一夜を明かしまして翌朝、昨夜巡った各駅を訪問しながら家に帰ろうと思い、再び留萌駅に立ち寄りました。

駅の中は真っ暗。自動販売機の明かりだけついています。
職員の方は残務整理などあるでしょうからお仕事されるのでしょうが、昨日の賑わいが嘘のようです。

線路を見てみます。
信号機が消灯しています。
猛吹雪や大雪とかで長期運休になっている時でも赤い光がともっている信号機が、消灯しているのです。

少し走行して、踏切を見てみると線路にパイプを打ち込んで立入禁止の札がかかっています。そして列車は来ませんと言う看板。
もう、踏切ではないので一時停止する必要はありません。
急に現実に引き戻された感じです。

前日大勢の人が訪れた留萌駅。一夜明けたら中は真っ暗でした。ドアも開きません。
留萌駅構内。信号機が消灯しています
大和田駅。鍵がかかって立入禁止になりました。
線路に立てられたバリケードと看板


木造駅舎で秘境駅として有名な真布駅。
こちらでは立入禁止の為でしょうか、ホームの板張りが一部がはがされています。

真布駅
一部がはがされた板張りホーム


踏切の警報器(赤く点滅する部分)も撤去されていました。看板の後ろにある遮断機も遮断桿がありませんでした。

更に絶望的になったのは、今後新しく終着駅となった石狩沼田駅近くの踏切付近には新たに車止めが設置され、何とレールが切断されていました。

奥側に石狩沼田駅があります
切断されたレール

つい数時間前まで4両編成の列車に満員の乗客を乗せて走っていたのに、一夜明けたらこのようなことになっており大変驚きました。

廃線とは、こういう事なのかと実感した瞬間でした。

朝起きた時からツイッターでこのような情報と写真は見ていましたが、実際自分がその場で確認すると驚きもひとしおでした。

今の気持ち

昨年、一昨年と宗谷本線の駅廃止には立ち会ってきましたが、廃線に立ち会ったのはこれが初めてでした。

今の心境はというと彼女に振られた時のような喪失感、かわいがっていたペットが天に召された時のような悲しみ、これに似た気持ちでおります。

一生懸命撮ったビデオはまだ見ていません。と言うか見れません。
来週のお休みになってから見ようと思います。

留萌本線は3月31日が営業最終日で4月1日が廃線日となっていましたので、廃線日の始発列車出発までに、このような措置を取ることになっていたのでしょう。
夜中に作業された皆さんは大変だったでしょう。
また最終日に列車を安全に運行されたJR関係者の皆さんや警備の方々のおかげをもちまして、ファンとしてはこの路線の最後を見届ける事ができました。深く感謝を申し上げます。

また、最近色々問題視されている一部の悪質な鉄道ファンによるトラブル発生の話も聞かず、静かに最後を迎えられたのは何よりでした。

もうここに列車の音を聞くことはありませんが、忘れることはありません。

恵比島峠について

最後に、留萌本線唯一の難所、恵比島峠について書かせてください。
この峠は勾配が10‰(1000m先の高低差が10mと言う意味)の、それほど急な勾配ではありません。でもそれが長く続き、馬のひづめのような形をした曲線があって、昔の蒸気機関車時代は重い貨物をけん引するのには難所であったと聞いております。

それにしてもその昔、大型重機もない時代にトンネルを2つも掘り、谷には盛土をして、とても大変だったことが推察されます。

自分は建設業に従事していますので作業の大変さはもちろんですが、その測量技術にとても感動しているのです。

同じ曲線半径を保ちつつ一定勾配で盛土をして、トンネルの高さに合わせる技術。トンネルを掘るにもその高さ、幅、坑口の向きなど、現代の測量技術にあっても難工事と思われるのに、その当時どのようにしてこれらを建造していたのかが大変興味があるのです。

また、先ほど馬のひづめのような形をした曲線があると記述しましたが、これは一度目の前を通過した列車がはるか向こうでもう一度目の前を通るのです。アルファベットの「U」を想像して頂ければわかると思います。

恵比寿トンネル建設の様子
恵比寿トンネル建設の様子
恵比寿トンネル建設の様子



恵比島峠の馬蹄型カーブ

これは録音マニアにはたまりません。こういった面白いところは大変珍しく、SL現役時代から有名なスポットでした。

あとがき

長い文章になりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
自分にとって留萌本線は普段利用していたわけではなく、廃線になっても生活に影響することはありません。ですがSLすずらん号が走っていたころ、よく子供を連れて見に行ったり、乗ったりと最近知った路線ではないので廃止と知った時は本当に残念に思いました。
ですが、沿線の人口減少、橋梁やトンネルなど土木構造物の耐用年数超過による劣化補修費用の捻出、何より利用者がほとんどいない現実を考えると廃止はやむなしと考えるべきなのが現実なのでしょう。

留萌本線は4月1日から深川~石狩沼田間の14~15㎞しか走らない路線となってしまいました。しかもこの区間は3年後の廃止が決まっています。

今後、北海道にあるほかの路線も廃止の議論が高まってくると思います。
形あるものはいつかは壊れる。今生きている人もやがては亡くなる。現役の路線もいつかは無くなってしまう。
すべてのものが今後永久にあるわけではありません。
今を大事に生きていきたいと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?