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第二弾 「英二」長渕剛を考察する。

早速…と言いつつ、いきなりマイナーな曲をセレクト。というのも、筆者は先日共通テストがありました。その行き帰りと試験前に緊張を抑える意味で“〜best 風〜”聞いていたのですが、その中でとても耳に残っていた曲だったのです。てな感じでいきましょう。

▼目次
●英二とは
●「英二」
●まとめ

●英二とは

英二とは、前回のとんぼ同様、長渕剛演じる小川英二のことであります。その続編として、「英二」を1999年(ドラマ上の、ムショから出てくるという時差も加味して)にロードショー。

内容としては、出所後に以前とは別の組に拾ってもらうも、そこである外国人売春婦に出会った。英二はその彼女に恋するが、彼女は組から酷い仕打ちを受けており、命すらも危ない状況であった。ついには殺されてしまい、英二はアサルトライフルで復讐しに出てゆくのであった…。
そういえば、外国人が川で死んでいて、剛が泣き叫び、悲しんでいる様子を記憶している。見た当時は、あまり映画の見方すらもよく分かっていなかったので、雰囲気でしか覚えはない。


おそらく、皆さん以上に私は剛作品をリピートするほどは見ておらず、内容も軽薄だと思うので、しっかり勉強したいと思います。では、曲。


「英二」

ダダダダダーッダダダ~ダ〜〜ッ
ダ~ッダダダーダダダーーッ 

まずイントロからかっこいい。'98'99ライブ参加者は鳥肌立ちまくりであろう、初っ端。

 クソまみれの公衆便所

んン!?何があったんですか剛さん!!と言わんばかりのど迫力スタート。もう、冒頭からよくわからないフレーズ。頭に何を浮かべれば良いのか、ファンさえも戸惑う状態。ボットン便所が溢れかえっているイメージでよいのだろうか。うんうん、次っ。

鼻をつんざくアンモニア

おぉ~。分かる。ザ・トイレですね、よくある。もうこのワンフレーズの一瞬で、その世界観へ旅立つことができました。

ジッパーおろし、垂れ流しゃ
真っ赤な血のしょんべん

まず。よくそこでしょんべんしようと思ったな、おい。となると、“ここ”は東京かよほど都心部ということなのでしょう。さらに、表通りなんですかね。

つぎに。血尿で何を訴えたいのか。医学的には、血液混入、悪性腫瘍、結石、膀胱炎、腎臓の病気などがあるそうです。あまり関係はなさそうです。

要は、「散々だ」ということを、後に繋がるかたちで言いたいのだと思います。


こびりついたチャリの落書き
ひきちぎられたエロ雑誌
まるめこまれた黄ばんだちり紙
そろそろ腹わた煮えくりかえる

下ネタ炸裂。クソまみれのクッサい公衆便所がガチャガチャという状況。

散々ですね。
というか、3行目は、どう転んでも頭に浮かばないワードセレクトなんですよね笑…

そして、ここでいう私なりのイメージは、なんだか“時代錯誤”といった印象を与えさせられます。

叩き割った鏡に うすら寒い俺のツラ
ぐらんぐらんの糸切り歯
引っこ抜こうか どうしようか

    外はどしゃぶり

サングラスかけた英二が、割れた鏡の前で歯を見ている様子。
環境面に加え、さらには自分のことまでもが廃れていて、
とどめに“どしゃぶり”。
おそらく東京かどこかの都心のトイレなんでしょう。

英二、虚しすぎるぜ
英二、飲めねぇ酒を飲み
英二、抱けない女抱き
英二、残るあと味噛んでみた

文字通り、“虚しすぎる”…って感じですね。ひしひしと、“平成時代の”英二が、なんというか、可哀想、的な視点で描かれています。
ここでいう“残るあと味”とは何なのか。
おそらく、英二自身の信念とか筋を通した生き様のようなものでしょう。
こんな暴対法なんてできた時代に、ヤクザはもう必要なく、切り捨てられちまった。今まで真面目に、頑固に生き続けてきたのに、残るものなど、自分くらいなもんだ、と。

天気予報はあてにならねぇ
傘もねぇ 希望もねぇ

まっすぐだったあの道も
あの時も  あの日々も
泥にまみれ 蓋をしやがる
ひん曲がるやさしさたちよ
昔なじみのゴロツキも
今じゃ偉くなったもんよ

雨の話題を続けました。この“道”という言葉は、抽象的にも具体的にも取れるのですが、まあ抽象でしょうか。

抽象的には、
昭和のヤクザも筋だけは通していたのに、今では警察による検挙、そしてマスメディアによって泥々に汚され、ついには、「臭いものには蓋をする」と、世間の目からは全く消えてしまった。


そんな感じですかね。確かに、ヤクザという存在は、外国人(特に中)から日本という領土を守ってくれていたという背景もあるそうです。

そんな功績に蓋をしやがる現代社会。確かに見るに耐えないような事実もあったのかもしれない。それは市民からすると国から、もしくはそこの人々からの“やさしさ”なのでしょう。しかし、当然それは一本筋の通った考え方でもなく、日本が衰退へと進んでしまう恐れを感ずるものです。

確かに、このようなことは現在でも置き換えることができそうです。「臭いものに蓋をする」…これは果たして“やさしさ”なのか?もちろん白黒論ではないですが、物事というのは、両極端を知るからこそ中心が分かるものです。討論番組なら、賛成と反対、両方の派閥の意見を聞いた上で意見すべきです。

英二を客観的に見た剛は、「おい…、やさしさたちよ!そんな方向に行かないでおくれ…!」という気持ちなのだと思います。

※あくまで個人の意見です。

しのぎを削りたおれ
もう一度這い上がってやれ
ふぬけなこの街“花の東京”
空っぽの街、笑い散らかせ

   花火よ上がれ

ということは、夏終わりか秋なのか。
というか、一人?

あと、ここら辺りからアドバイス的な口調になっているので、英二と剛本人の話し合いになってますね。
よほど無理して生きすぎた英二への慰めなのか。
もしくは、剛自身、自分は状況次第では極道の道にも足を踏み入れていたのかもしれないという、“自分”を見ているのでしょうか。もちろんドラマの影響はあるでしょうが、それ以上に寄り添った感、親密感があります。


英二、こみあげるぜ
英二、お前に逢いたい
英二、肩で風切り
英二、この街を歩こう


英二、くわえタバコに
英二、俺がマッチで火をつけよう
英二、花火をあげたら
英二、二人あの町へ行こう


英二、二人あの町へ行こう

どうやら、剛は英二を助けてやりたいようです。とはいえ、空想上の話なのでしょうが。
最後くらいは肩で風切って、この街を出ようぜ、といったところ。

形骸化した“花の都”だからこそ、取ってつけたように花火をあげて、「あっぱれ東京!」としたいような気持ちか。

いや、もしかすると、剛自身の中に“英二”をまだ飼っている自分がいて、その英二とは、もう踏ん切りをつけたいという、“決意”の表れなのか。
もうこの“街”で精神闘争させたくないと思ったのでしょうか。
そして、翌年には「俺の太陽」。
瞬く間に、「肉体=精神」の心を創りあげていった。

もう、筋金入りの堅物の自分とは多少お別れし、
少しは世間を知っていこう、
世渡りを考えていこうと思ったのではないか、と想像しました。その流れで、「ひまわり」と「いのち」は納得ですね。

ただ、そう考え出すと「ふざけんじゃねぇ」は完全に対立関係なんですよね。
辻褄合わせのようで嫌ですが、

「ふざけんじゃねぇ」は、そういう、ただ純粋な自分で行きたいと思った矢先に、変な輩に絡まれたのだと思います。文面を見るからに、団塊ジュニア世代?というか、なんか半端な奴なんでしょうね。
いずれにせよ、変えたくないものもあるようです。

「生きるなら 泣いて血を吐く ホトトギス」…


以上。

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