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「黒いマントと真っ赤なリンゴ」長渕剛を考察する。(独断と偏見)


こんにちは、大学生YouTuberのSOMです。



話を始める前に。
僕のYouTubeチャンネルでは、大学生としての日常、日々感じること、たまに長渕剛さんについて語っています。
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さて今回は、最近話題の長渕剛さんの新曲、

黒いマントと真っ赤なリンゴ



について、歌詞を考察していきたいと思います。



(個人的解釈ですので、いろんな捉え方があっていいと思ってます!!)



(Original.ver)

(THE FIRST TAKE ver.)



目次
1.経緯
2.歌詞の考察
3.まとめ
4.終わりに。


1.この歌ができる経緯

まずこの歌できる経緯(というか、できるまで)についてお話しします。



2024年6月の大阪城ホールから、「BLOOD」というライブが始まります。




そのライブに向けて、新曲10曲が収録された「BLOOD」のアルバムが5月22日に発売されることとなりました。

1. 路上の片隅で
2. ひまわりの涙
3. ジャッキーレディー
4. Face Time
5. いいんだよばーか
6. 黒いマントと真っ赤なリンゴ
7. ステンドグラス
8. ZYZY
9. ダイヤモンド
10. BLOOD



「黒いマントと真っ赤なリンゴ」はそのアルバムの中の一曲です。


実は、発売前から大分に曲の全貌が公開されていて、AuDeeという配信プラットフォームで聞くことができます。
(「Bro²BLOOD」という題で公開されてます。)


はい、というわけで、本題に参ります。




2.歌詞の考察

太陽とからっ風が音も立てず沈んでった
夜の闇を切り裂く置いてけぼりの孤独
俺はひしゃげた体
お前のそばにすり寄せた

始まりは、風景画、イメージですね。

沈む太陽などに孤独を隠しきれず、弱さを曝け出しているって感じでしょうか。


力のない正義に打ち負かされて
綺麗事ばっか 寂しさを呪ってきた
みすぼらしい背中 
世間に見切りをつけた!!

ここから前の歌詞の「孤独」が、具体的になっていきます。

「力のない正義」というのは、なんなんでしょう。


これは個人的な意見ですが、「力のない」とは、「愛のない」ってことなのかなって思います。


打ち負かされる、というのは、「その”愛のない正義を掲げる者”の数に圧倒される」みたいなイメージを受けるのですが、皆さんはどうでしょうか。


そんな綺麗事ばかり蔓延る世の中に深い悲しみを覚えていて、


しかし、この悲しみを誰かとも分かち合えない寂しさがあり、その孤独である自信を呪い恨んできたって感じでしょうか。


(*サビ*)
黒いマントを破りすて 真っ赤なリンゴにかぶりつき
そして
下のもつれた常識に 真っ赤なリンゴを投げつけた
投げつけられたそのリンゴは
踏み潰されて転がった
真っ赤なリンゴは誰のもの
赤いリンゴは誰のもの
LalalalaLa-la La-la~LalalalaLa-la Lalala~

ここからサビ、な訳ですが、なんか僕的には文章に違和感を感じてきました。

というのは、「世間に見切りをつけた人」と、「リンゴを投げつける人」って実は違うのでは??、、、という疑問です。




黒いマント、は自分を覆い隠すものって感じなので、

僕の頭の中では、「匿名上のSNS」みたいな印象をすごく強く受けています。


そして、多分、「かぶりつく=理解する」、ってことなので、



他者に自分の「正義」を理解させようと(食べてもらおうと)、そのリンゴを投げたが、
正面から断られた、って感じですね。


ここまで聞いてると、サビと、サビまでの歌詞は結構分離していることがわかりますね。


その後の詳細は、
「3.まとめ」をご覧いただければわかるかと思います!



取り返しのつかない決断の時が来たんだ
後悔の涙だって取っ払ってしまうんだ

なんだかこれだけみてると、「まだ見切りをつけれていない心の弱さ」みたいなふうに感じます。

というのも、「決断」っていうのは、見切りをつけるのにまだ戸惑っているみたいな、そんな印象を受けるからです。



孤独になるのは怖いけれど、もう決めるのだっ!、みたいな…。


怪しげな道しるべ 怪しげな誘い水
惨たらしすぎる 裏切りの雨
純粋の水面に一滴落ちる時
ひたむきな背中
世間に見切りをつけて

(*サビ*)

ここでちょっと変な切り方をしましたが、
この、「道しるべ、誘い水、雨」って列挙してるんだと思います。


今まで見てきてもわかっちゃいたけれど、
改めて認識して、世の不条理に涙する、って感じでしょうか。



「みすぼらしい背中」、から、「ひたむき(=一途にうちこむさま)」に変化しているので、


一番とは違い、二番では前向きな「見切り」をつけているのだなと感じます。



そしてサビで幕を閉じます。


3.まとめ


この曲の全体のテーマとしては、「正義」です。

世の中、いろんな「正義」が存在して、SNSにもその争いの痕跡は顕著に残されています。



「政治」なんかはとてもわかりやすい気がします。

増税とか、政治資金とか、陰謀論とまとめられること(🐀?、🐯?)とか、


話題はつきません(というか、常に話題に尽きることがない業界なのでしょう)が、


皆それぞれの正義感をふりかざして、必死に自身のスタンスを守っていきます。


しかし、それは「誰のために」行なっているのか、というところが最大のポイントなのではないかと思います。


具体的には、随分前ですが、「LGBT理解増進法」という法案がありました。


国会は「多様性の尊重」を売り文句に様々なキャンペーンを実施し、無事、法案は可決されました。しかしその裏腹、

実際にLGBTである当事者の方は「その”過度な”法案可決を望んでいない」、といったインタビュー・意見も多数散見しました。


あくまでこれは一例ですし、僕も勉強不足があると思いますが、



その投げた「正義」であるはず”リンゴ”は、

「え??結局誰のものなの?」って、なってる現状はとても多いのではないか、

と想像しました。


今の世の中のそんな偏重ぶりに、剛なりに考えた末、


この曲を作成したのではないか、

 と僕は、個人的に思っています。


それを考え、僕は、


無責任に正義を主張することはの一つかもしれない」と思い、


もっと「自分の頭で考え、真実を見極める」ことが重要であることを再認識しました。




…といっても!!とはいってもですね、、。



Bro²BLOODでも剛本人が言及しているのですが、


この「黒いマントと真っ赤なリンゴ」は、、、


剛自身も「歌詞を辿ってくとねぇ、俺もわかんないわけよ」なんていっちゃってます。笑

(↓  5:22くらいから聞いてもらえると。  ↓)


なので、そこまで深く考える必要もないのやもしれません。笑




私個人としては、テーマの割にとても口ずさみやすい、抽象的な曲に仕上げられていることは初っ端で感じたので、


「歌いながら、あとはみんなで考えていこうぜ!」みたいな、

メッセージ性を一番感じた曲でした。



4.終わりに。


というわけで、今回は、「黒いマントと真っ赤なリンゴ」についての考察をしてみました。



ここに至るまでに、まぁ、色々と、あったわけです。


もちろん誰にも真実はわからないし、そんな占いみたいなことをするつもりは毛頭ありません。



ただ、言われもないこと、つまり「誹謗中傷」されている(現在進行形で)ことには日々腹立たしさを募らせながら、


乗ったら負けだ、と、



それだけ自分に言い聞かして、時には別の表現法を考えてみるとか(逆に勉強になったこともあるぐらいなのかもしれませんが)、


色々試行錯誤を重ねてここまでやってきました。



最後に、一年ほど前にInstagramにこんな投稿をしていたのをここで振り返っていきます。

人が怒る

人が笑う

人が泣く


すべては自分にある


責任とか裁判官的判決的なものではなく人は鏡


うつるのは自分


わたしは、人を通して、わたしを知る

冒頭に、そう書いていました。


ファン目線だとか、そういうのは抜きにして、客観的にみても、


純粋に、人として、真剣に、生き方について考えている方にしか私は見えないのです。


僕はそんな剛の、長渕剛さんの、名誉回復に少しでも貢献できたらなと思っています。



というわけで、今回は以上です。


ではまたっ。

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