見出し画像

#06 見えないものを見ようとして。

先日すごく久しぶりの対面の講演の機会を得た。
やはり参加者一人一人の顔を見ることができるのは非常にありがたい機会だということを改めて感じた。

ところで講演のタイトルは「”見えない人々”をいかに包摂するか?」というものだった。
これはご依頼主から示していただいたタイトル案をそのまま使わせていただいたものだ。

スクリーンショット 2020-10-16 15.59.33

これまでも、「ホームレス問題は”見ようとしなければ見えない”問題」だということは述べてきた。
しかし今回講演内容を作るにあたって、改めて”見えない人々”をいかにして見るか(あるいは包摂するか)、というテーマでプレゼンテーションを再構築してみたところ、やはり改めて重要な切り口だなと感じた。その辺りの雑感を書いておこうと思う。

先に、「ホームレス問題は”見ようとしなければ見えない”問題」であると書いた。
これには主に2つの意味がある。

まず1つ目は、「調査・把握が難しい」ということだ。ホームレス状態にある人の人数を一体どうやったら知ることができるだろうか?実は「ホームレス」と呼ばれる人々の中には昼間働き、夜だけ路上で過ごす人も多く、正確に把握するのはとても難しい。
まして、「ネットカフェ難民」などの広い意味での「ホームレス状態=安心できる住まいがない状態」の人まで含んだら、その把握はさらに難しい。だから世界中の都市で非常に努力をしてホームレス人口の把握に努めている。大勢の市民の協力を得たり、テクノロジーを使ったりしながら。

2つ目の意味は、見ようとしなければ「認識できない」ということだ。上京したての人が「東京の人はホームレスが寝ていても全く気にせず素通りしていくことに驚いた」というようなことを語ることがよくあるが、まさにこれだ。道路や駅舎に寝ているホームレスの人。その人を認識し、大丈夫かな?と思ってもどうしていいか分からないという人もいるだろう。ただ、多くの場合は本当に”見えていない”のではないか。最初に目にした時は気づいても、だんだん気にしなくなり、風景と同化していく。通勤途中に寝ている人がいても、本当に気づかない。おしゃれな○○○○公園で語り合うカップルは、沈みゆく美しい夕日は目に入っても、対岸のブルーシート小屋は目に入らない。認識していないのだ。

僕たちは景色や、人や、様々なものを見る。しかしその実在する光景がそのまま網膜には映っても、それがストレートに「認識」されるわけではない。僕たちは「見たいものだけ」を見ている。僕たちがこうして生きている現実世界に、僕には見えない世界がある、とも言える。

僕たちは自分の知らないものに対して、なるべく直視しないようにしようとする性質があるらしい。
実は近くに存在しているかもしれない、自分とは異なる人やものを見て見ぬ振りしてしまうものだ。
それは障害を持った人だったり、外国人だったり、LGBTQの人だったり、あるいはホームレスの人かもしれない。誰かにとって好ましくない不公正な環境であったり、絶滅危惧種であったり、環境汚染の事実かもしれない。
これらは、ちょっとしたことで見えるようになることもある。例えば、ホームレス支援の夜回りに参加してみると、これまでの街歩きとは違う視点で街を見ることになるだろう。すると、驚くくらいに目に映る対象が変わる。

そういった事は一度知ると元の世界には戻れない。映画のマトリックスのように、ある意味では目が覚めない方が幸せに感じるかもしれない。しかし、知らないということの裏には、誰かの涙があるかもしれない、いや確実にあるのだ。誰もが見て見ぬ振りする事は、結果的に不公正の隠蔽を支持することだから。

そこに目を向けることは、ある意味で差別の扉を開けることかもしれない。
知ったことによる差別。しかしそれは知らないことから比べれば一歩前進と言えるかもしれない。
自分と異なる人やものに対する差別の心は誰しもある。しかしそれが正当な区別ではなく、根拠のない差別であったり、思い込みによるものだということを、更に知り、学ぶ必要がある。

知ることによって見えるようになることは、世界を広げると同時に、苦しい現実や辛い実情を目の当たりにすることにもなる。しかし、民主主義社会に生きる我々は、違いを理解し話し合うことで世界を構築する。だからそういった知らなければ幸せでいられたことも、知る必要がある。そこには少数であれ、現実の人間が”見えない”状態で存在しているのだから。

目に見えぬ不公正に目を向ける事は難しい。意志と技術が必要だ。僕は研究をバックグランドとして活動している。だからできることは調査することやそれによるデータを使いながら事実を明らかにすることだ。

この世界では、マトリックスのネロ(=1人の救世主)はいない。
ただ、一人一人の見える世界がちょっとずつ変わっていくように、働きかける事はできる。
もちろん一緒に学びながら。
それは途方もないことなのだが、やってみる価値はあるだろう。

よろしければサポートお願いします!現在フリーランスの研究者の卵ですので、いただいたご支援は調査研究活動に使わせていただきます。