きょうの愚痴

 世界がどれだけ私を理解してくれるかと言うと、そこまで理解をしてくれるものではないし、自分のやりたいように振舞っていると、わりかし嫌われるものだ。刹那の快楽を求めるのもひとつの生き方だし、マジョリティからはみ出た者を嫌うのも生き方で、いいも悪いもないと思う。だけど、私はたびたびわからなくなるし転びそうになる。それは、私がマジョリティの中にいると批判を受けるからで、だって、大人だからと感情を抑えて仕事に励むことが正義なんて理解ができない、だったらロボットにでもなってろよと思うし、だったら感情的になって当たるなよと言いたい。ロボットになれないくせに、感情的だとかとやかく言うな、自分がロボットになってから言ってほしい、だって世の中のみんなは人間で、感情で潤って生きている。私は自分の生きたいように生きたいので、もうそんな環境に身を置くのはやめにするけど、もう少し優しくなりたかったなあと思う、感情に流されるのが悪なら、じゃあ何のために生きているのかわからなくなるから、ああ、やはり別々に生きるべきだったと思う。批判の中で自分を見失って死んでしまうよりは、批判から離れて孤独に生きたいと思う。私は孤独を愛せるし、自分を愛せる。心をふかふかにしていたいと思う。だけどそれには今のままではむずかしい、心をふかふかにして愛したいはずの人を、遠ざけてしまうならば、だったら離れていたいと思う。
 夜の世界のイレギュラーに酔いしれるとき、私は人間になる。たった一晩飲み明かすだけ、朝方に歩く繁華街はひとり、でも、それが私にとって自分らしいの一言、孤独を愛し群れから離れたがる私には丁度いい。好き勝手生きるのが嫌われるのならば、私は嫌われていい。私は環境より自分を信じるから。

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