雪の降るよる⑧ 蟹と無精ひげ

 谷野恭平からメッセージの返信が来たのは、友人が勝手に私のスマートフォンを使ってメッセージを送ってから、二週間後だった。
『お久しぶりです、勝手にフォローしてしまってすみません。迷惑でしたらやめます』
 その文面に、かつての谷野恭平のおどおどした様子が蘇った。谷野恭平は、女子相手にはいつも敬語で、話しかけられるとあ、とか、うう、とか何度も漏らしてから、やっとのことで小さい声で返事をした。きっとこの文面も、何度も何度も考えて、二週間経ってやっと送信できたのだろう。
 友人が勝手に送ってしまったメッセージのことなんてすっかり忘れていて、まさかこうして返事が来るとも思っておらず、私は会社のデスクで、コンビニ弁当を食べる手を止めて画面をしばらく眺めた。メッセージを送ったのは私じゃないことを伝え、一言詫びるべきか。いや、もう二度と会うこともないであろう昔のクラスメートなんて、返事をする必要もないのかもしれない。面倒になって、スマートフォンを放り投げて昼食に集中した。

「お疲れ」
 最近、裕也はなんだか優しくなった気がする。帰り道に私にアイスを買って来たり、私が仕事で裕也が休みの日は、駅まで迎えに来てくれるようになった。そして、近所で軽く夕飯を食べて、手を繋いで部屋に帰ったりした。
「今日の晩飯、回転寿司にしねえ?蟹のフェアやってただろ」
 裕也は今日も私を駅まで迎えに来て、上機嫌でそう言った。たぶん一日寝ていたのだろう、無精ひげに、寝ぐせがついたままだ。それならばわざわざ迎えに来なくてもいいのに、そう思いつつ、少し嬉しい。グレーのスウェットにダウンジャケットを着こんだ裕也と、近所の回転寿司屋に入る。カウンターに並んで座り、瓶ビールをお互いのグラスに注ぎ合った。
「裕也って蟹好きなんだっけ」
 ビールを飲みながらタッチパネルでメニューを吟味する裕也に尋ねた。裕也は穴子といくら軍艦を注文しながら、べつに、と答えた。
「前に来たときに、アキが蟹をうまそうに食ってたから。好きなのかなって」
「そうだっけ」
 何度かこの回転寿司屋に来たことはあるが、蟹を食べたことは記憶になかった。でもきっとどこかのタイミングで蟹を食べていて、裕也はそれを見て、今日まで覚えてくれていたのかと思うと、頬が緩んだ。

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