恩の前借
祖父と祖母が亡くなり、相続で大きいお金が振り込まれた。
その額は、自分でコツコツ貯金した額とほぼ同額で、その重みは自分で稼いで自分で貯めた分、重みはわかっているつもりだ。
使う予定がない
結局のところ、貯金額が2倍になって、じゃあ何に使うのかというと特に使い道はない。
祖父の家に移住する予定なのだが、そのリフォーム代になるくらいかな。
けれど、そのリフォームの費用は自分の貯金から捻出しようと思っていたから、今回の相続の額には本当に驚いてしまった。
お金はいくらあっても不安は消えない
言葉では聞いていた。
けれど実感はなかった。
が、今回わかったこと。
貯金額がある日2倍になっても、お金への漠然とした不安は消えないということ。
いきなりじゃあ仕事辞めて自由に過ごすか、とはならないのである。
労働意欲に変化はない
少しは変化があるかと思っていたけれど、今のところはない。
とにもかくにも、働き続けることには変わりはない。
タスク内容が毎日変わるし、未確定だし、ジャンルも様々だ。
接する人もプロジェクトごとに変わるし、流動的だ。
そんな日々に不安を覚えることもあるけれど、結局のところ指す手は変わらないのだ。
なぜか?
お金の不安もあるけれど、結局私は見栄で働いているのだと思う。
社会的地位を失う、ないし何かの社会的なコミュニティに属していないと不安になるのだと思う。
過去に1年半くらいニートだった時期があった。
その頃は、お金があったら、これがしたいあれがしたいと本気で考えてた。同時に、自分は何にも属していないという不安がつきまとっていた。
ダメ人間だというレッテルを自分自身が一番、だれよりも自分に突き付けていた。
先人と現状に感謝
とにもかくにも、感謝と誠実性をもって生きていきたいと考えた。
これは恩の前借だと。
これから関係していく、触れ合う人たちに恩を返していきたい。
義理とか、世間体とか、親族付き合いとか、礼儀とかと無縁の人生を生きてきたし、自分はそういうことは得意ではないと考えていた。
けれども、前借をしたとあっては、これは返していかなければならないと考える。
そんな日だった。
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