オスモー・イン・ザ・スカイ③

 大阪・新国技館。分断日本の西の片割れ、日本共和国(ジャパニーズ・リパブリック)における相撲の聖地。そのほど近くに、ある組織が存在する。
 日本航空相撲協会(JASA)西日本支部。平時であらば、興業やオスモウ・エアショーの手配に腐心する組織であろうが、こと戦時に於いて、その組織や業務の色彩は、否が応にも変わってくる。
 この日、秘密裏に持たれた会合も。「そうした事柄」に関するものであった。

「共和国(リパブリック)の十両が一人、落とされたそうだ」
 薄暗い密室で、身動ぎひとつせず向かい合う男達が二人。シーリングファンの回転だけが、部屋の中で唯一動くものであった。
「姫乃里だろう。あれは……気の毒なことをした」
 恵まれた体格の男が、ハンケチで軽く目頭を押さえる。彼は、JASA理事の一人にして、元は航空力士であった。
 こうして航空力士が空に散る度、弔辞をしたため、弔問を行い、時には協会葬を行う。それもまた、この時世。気の滅入るような彼の仕事の重要な一部だった。
「墜とされ方が問題だ。被撃墜直前……相手の力士が『音速に達していた』可能性があるらしい」
 しかし、その仕草を意にも介さず。一見、何処にでもいるビジネスマン風の男が答える。
「急降下中、一時的に音速を越えるのは現代のマワシと装備でも理論上不可能ではない」
 と、相撲航空協会の公式の見解を唱えながらも、理事は動揺を隠せない。音速、と。確かに、男はそう言ったのだ。
 理論は、理論だ。嘗て、幾人もの力士を空に散らし。数百キログラムの肉塊へと変えてきた音の壁。それを、越えたものが居るのだと。
 「確かか? 相手は? 東亜の防空軍か? それともオスモウ・フォースか?」
「共和国側の行司も確認した。オスモウ・フォース、原田部屋だ」
 その言葉を聞き。理事は椅子の背もたれに身を投げ出す。力士体格に合わせた特注の椅子が、軋みを上げる。
 東亜は航空力士を複数系統に分けて運用している。中でもオスモウ・フォースは戦略的な重要度の高い部隊であり、所属力士を含めて謎が多い。
「……わかった。リパブリックに打診して、交戦記録とマワシのブラックボックスを全面非公開にするよう働きかける。遺族についても、余計な詮索をせぬよう言い含めよう」
 滴る汗を拭い、彼はようやくそう口にした。今は、この事実を表に出すべき時ではない。それだけは確かだった。
「我々、東亜としてもその方がありがたい。ああ、情報の出所については」
「わかっています。いつものように」
 理事はそう返し、航空チャンコセット(注:航空相撲協会の売店で販売している土産物)を男に渡す。
 男は表情からは伺い知れないが、どうやら彼の対応に満足した様子で静かに立ち去った。

 そう。戦争は、組織の質を否が応にも変えてしまう。だが、本質までもは変えはしない。そして航空相撲協会の本分とは、航空相撲という伝統文化の保存と普及である。
 嘗ての日本では、あらゆる学校の教練で相撲が行われ、そして、その中から優秀な航空力士が生まれ、空へと飛びだっていった。輝かしき相撲の桃源郷が、この国にはあったのだ。
 だが……太平洋場所の敗戦によってオスモウ共栄圏の思想は潰えた。GHQは一度は航空相撲を完全禁止し、この国の航空相撲、ひいては相撲文化の命脈を断ち切ろうとした。
 故に、彼等は。航空相撲を守るため、鬼となった。

 東亜との戦力的拮抗。航空力士を用いた限定戦争。それによって、航空相撲の有意を証明し続ける。その構図を維持し続けるための方策が、東亜との内通。即ち「八百長」であった。
 国家のためでも、まして平和のためなどでもなく。すべてを相撲のために捧げた修羅が集う場所。それが、この万撲殿(パンスモニウム)である。
 しかし、如何程魂を売ろうと人は人。予定外の事態は起こりうる。

「……取組表に大幅な修正が必要だな」
 理事は、男の齎した情報を反芻する。
 今回の不祥事は、また終わっていない。そもそもの予定にない取組。十両一名の喪失。そして……正体不明の赤いマワシの力士。音速を越えた男。
「何者だ?この男は」

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