いまさらわかる新世紀エヴァンゲリオン㉝劇場版第26話『まごころを、君に』Part.2(終)

 新劇場版、再延期だそうです。残念であり、仕方ないという納得もあり。しかし個人的に一番大きいのは、はやく「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」させてくれ……! という思い。
 25年前(!)のアニメをこねくり回し、ここまで来てしまった皆さん。本連載はとりあえず今回で最終回となります。

 本編の前に、ちょっと話が逸れますが量産機とロンギヌスの槍について。結局のところ、コイツら何? というお話。

①量産機について
 ゼーレ、元々は野望のためオリジナルのアダムを利用しようとしていました。そして、本編においても、ゼーレはエヴァンゲリオンの建造と並んでオリジナルのアダム本体の復元に手を染めていたことが語られています。
 しかし結局、「オリジナルのアダムの復元」については、ゲンドウの手に渡ったサンプルがある程度。それも、加持さんによる横流し品とのことです(ビデオ版の台詞より)。
 じゃあ、この計画、結局どうなったのさ。というところで出てくるのが、アダムに近い仕様の、「エヴァに生まれる筈のない」S2機関付き量産機。おまけに、アンチATフィールドの増幅効果、コピーとはいえ、初号機と同じロンギヌスの槍との融合まで実装。コイツら、本当にエヴァンゲリオンなんでしょうか。エヴァの最重要要素、ウェポンラックも付いてないし……。
 というわけで恐らくコイツら、「エヴァンゲリオンの量産型」というよりは、「アダム本体の復元失敗作」、或いはアダム本体を目指したものと考えるのが妥当ではないでしょうか。ギリギリエヴァとパーツの互換性はあるようですが。そう考えると、翼とか生えてるのも当然ですね、オリジナルのアダムに生えてるんだから。人の意志はありませんが、原型に近いという意味では「真のエヴァンゲリオン」とすら呼べるかもしれません。
 新劇だとアダムスの身体に装甲被せただけのレギュレーション違反ゲリオンがモリモリ出てくるのも、ルーツはこの辺だと面白いなぁ、という想像。

②ロンギヌスの槍。
 以前に書いた通り、エヴァンゲリオン2をベースにすればゼーレの教義は旧約聖書(の原型)準拠。なので、アイテムもネーミングは聖書由来、ということなわけですが。
 ロンギヌスの槍、お前新約だろ。何しれっと混じってるん? という、誰もが考えるツッコミについて。

 これ、恐らく「ロンギヌスの槍」という名前自体がゼーレによる後付け、フェイクと考えるのが自然です。じゃあお前、何? という答えは、実は劇場版26話の前半で出てます。(アダム用の)ロンギヌスの槍の本来の機能、それは「生命の木」です。
 始祖を封印するだけでなく、融合しての機能を増幅することコミでの「制御装置」。そして、エヴァ2に書かれていた通り、槍自体が一種の生命なのも木だから当然、というお話ではないかと。
 そして、この読み筋を通すなら「リリス(※人類の始祖。本来はアダムに相当する)用の槍」は、そもそもリリスが生命の実を持たないために存在しない、或いは対になる「知恵の木」を指す、ということになります。リリス用の槍が出てこないのは、既に知恵の実を生命(人間)に与えた後だから、とも考えられます。
 この辺、要するに「知恵の木」は、生命始祖である「アダム(※たぶん本編ではリリスと呼ばれている方)」を地(地球)に降ろした存在、という解釈なのかもしれません。
 余談ですが、設定が整理されていると思しき新劇場版では、「ロンギヌス」と「カシウス」という二種類の槍が登場します。この辺ももしかすると「アダム用の槍」と「リリス用の槍」という設定が整理されたものなのかもしれません。

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 そんなわけで、本編。劇場版、ネットフリックスだと残り29分16秒の地点から。レイに「何を願うの?」と問われ、シンジくんは満足げな顔ですが……
 回想シーン。照明機材らしきものが映ります。「舞台」という形で心理描写を行っていたテレビ版が思い出されますね。
 シンジくんの過去。「ここに来たら何かある」「これが出来るようになったら何かある」と思い、そしてそれに裏切られ続けてきた、というお話。それは「何にもならなかった」というチェロを弾けるようになることであったり、或いは砂場のピラミッドを完成させることであったり。はたまた、エヴァに乗ることであったり。
 それでもシンジくんは、一人になっても「やり続けること」「やり遂げること」は実はできているんですよね……。それでも裏切られた、何にもならなかった、と感じるのは、やっぱり自分が嫌いだから。
 この辺、砂場で「自分で作り上げたものを自分で壊してしまう」という形で表現されています。シンジくんは誰かに裏切られているのではなく、自分で自分を裏切っている、とも言えるでしょう。
 友達が親に呼ばれて去る中、取り残されているところに着目して「親の愛情……」みたいな解釈をされることもありますが、どちらかと言えばシンジくんの度し難さを表しているシーンだと考えた方が通りが良いと思います。

 なので、アスカも「アンタ見てるとイライラするのよ!」という話になる。シンジとはすれ違って、「母親」の話になるわけですが。この辺、テレビ版でもやったくだり。補完計画中のシーンについては、テレビ版の方がしっかり説明をしていて、劇場版がダイジェストみたいになっています。シンジとアスカには似たところがある、というのもテレビでやりました。

 そして、ミサトさんのターン。本人はアイテムを遺して退場してますが。劇場版ということで、加持さんとの情事もより生々しくなっています。そして、アスカ曰くの「イージーに自分に価値を見出す方法」に眉をひそめるシンジくん。しかし、シンジくんもまた、「エヴァに乗る」という方法でイージーに自分に価値を見出してきたわけです。
 加えて重要なのは、補完計画において人が溶け合うということは、お互いの知らないこと、秘密にしておきたいことをも共有しあってしまうことでもあります。他人と他人の間に隔たりがあるのは悪いことばかりでもない、というのは重要なポイント。

 そして、大人になろうと背伸びをするアスカと保護者面をするミサト。
 というシーンから、シンジと向き合うアスカ。キスをしようとしたところまでは「実際にあったこと」ですが、そこからアスカが「何もわかってない」と問い詰めるのは違いますね。
 というわけで、シンジくんはアスカの心の中をわかっていない、という話なのですが。シンジくんは何を「わかっていない」のか? と考えてみましょう。
アスカ「あんたが全部私のものにならないなら。私、何もいらない」
 という、告白じみた台詞まで出てくるわけですが。要するに、「アスカから向けられる好意をわかっていない」という話です。そして、アスカは正直に心中を口にできない。シンジくん、つくづくツンデレとの相性が悪い
 あと、シンジくんの冒頭での乱行を知っている風な台詞も出てきます。

 そして、シンジくんにアスカ達は「優しくしている」と言いますが、シンジくんが自己評価激低なので他人からの好意を素直に受け取れないのはテレビで見た通り。
 本当のことはみんなを傷つける、曖昧なものは僕を追い詰める、という二律背反。どっちにしろダメージを受けるわけで、シンジくん、自分で傷つきに行ってます。
 ということで、結局のところ、今のシンジが求めているのは真実絶対の愛情で、それを与えられるのはもはやヒトではなく、神でしかないんですよね。色恋沙汰とかやってる余裕は無かった。そして、足りないものを埋めるために他人からの接触と承認を求めている。
 エヴァの登場人物、誰も彼も何かしらヤバいんですが、シンジくんもヤバくないわけはなかった、という話です。

 さて、アスカとの話は続きます。まぁ、多分このアスカ、実際には「シンジの心の中のアスカ」と考えるのが良いと思いますが、その辺は補完計画が始まってるので、多分曖昧なところもあります。
 シンジくんはアスカの好意に気付かない癖に、何かと寄ってくる。せめて放っておいて欲しい、ということで。「あんた私を傷つけるだけだもの」になるわけです。
 そして、シンジは他人からの接触と承認が欲しいだけで、アスカが欲しい訳ではない。それがアスカには多分我慢ならない。なのでキレます。
アスカ「自分しかここにいないのよ。その自分も好きだって感じたことないのよ」
 アスカ、シンジへの理解度が地味に高いのは、以前から触れてきた通り。ズバリ核心、シンジくんの痛いところを突いてしまいます。
アスカ「哀れね……」
 自分を好きじゃないのに、他人から好かれようとのたうち回るシンジ。まぁ、実際哀れなんですが。こういうところでポロっと本音出ちゃうアスカさん。最後にも出ます。
アスカ「いや」
 さて、この「イヤ」は何なのか。少なくとも、シンジくんを最終的に追い詰めたことだけは確実です。
 アスカの首を絞めるシンジ。最後の他人であるアスカを拒絶し、シンジは他人を不要と断じます。これは、要するにテレビ版で言うところの、自分しかいない「閉じた世界」ですね。

 シンジは今の世界の否定を願い、その欠けた心によって補完計画の発動が行われます。閉じた世界の中で自己否定を重ねながらも、レイに自分の勘違いや思い込みを指摘されていくターン。
 シンジくんが他人と自分を同一視していたこと。他人が居るから自分という区切りに意味が生まれること。この辺、テレビ版の復習的な内容です。
 そして、
シンジ「ここにいてもいいの?」
 この問いかけ、テレビの答えが「僕はここにいてもいい」だったことと無関係ではない筈。シンジは「無言」を否定と捉えて錯乱しますが、テレビ版最終回を見る限りは「それを決めるのは自分」という話なのではないかな、と。
 映像表現について。ここはセルの重ね撮り、裏返し撮影等のセルアニメならではの表現が使われています。心象の描写に「アニメ的な技法」を使っていたのは、テレビ版最終話でも同じでした。

 パイロットの反応がゼロに近付く。シンジくんの願いが今のところ自分だけの閉じた世界と自己の否定なので当然of当然。

 エヴァシリーズ、ジオフロントは高度を上げてE層を通過。このE層というのは大気の一部、電離層と言われる部分です。高度で言うと100km前後から120kmくらい。無線やラジオに馴染み深い方はご存知かもしれませんが、短波を反射する「スポラジックE層」のあのE層です。
 F層も同様に電離層の一部分で、150~800kmくらい。なので、「F層に突入」と言っているときの高度は、22万キロと言ってますが、多分22万メートルの間違いです。22万キロだと月軌道の手前まで行っちゃう。
 というか、「本部が宇宙まで上昇したとき用の電子音声」なんて、何をどう考えて用意してたんだよ!! と、言いたいところですが。「サードインパクトの発生」に備えてたんでしょうね……。

 リリスのアンチATフィールドが物質化。「アンチATフィールド」と言っていますが、エヴァンゲリオン2によれば実体としては「リリス(神)のATフィールド」なので、それによって形を得たリリスが真の姿にトランスフォームした、と言えるでしょう。
 覚醒したリリスのATフィールドは神の領域であり、その前では人類の生半可なATフィールドは侵食され、人は己の形を失ってしまう、なので「アンチATフィールド」として作用する、というお話。や、ややこしい……!
 翼を広げるリリス。セカンドインパクトの時、そして初号機の覚醒時も「翼」が出ていました。

 「ガフの部屋が開く」、ざっくり言うと「リリスに人類の魂が回収される」ということで良いかと。人類のリコール回収みたいなもんです。これが人類の「始まりと終局の扉」ということ。冬月先生の解説、助かります。
 というわけで、人類みんなLCLに液状化、リリス(レイ)によって魂が回収されます。先だって死んだリツコやミサトさんも回収されている様子。
 液状化するシーンで見る「誰か」の幻影、今はいなくなった人間が迎えに来る、というパターンのようなんですが。同じく魂が回収されたと思しきミサトさんは、加持さんが来てないんですよね……(レイが来てる)。
 なのでこの辺、「リリスの元に集った魂が迎えに来る」という感じなのではないかと思われます。漫画版だと、アスカを加持さんが迎えに来てたので解釈が違う可能性もあります。
(2021/1/27追記)
ミサトの最期のシーンをよく見ると、ミサトの視線は上を向いていて、その方向にレイの姿があることがわかります。最期のセリフが加持さんに向けたものだったことも含めて考えると、実際に迎えに来たのがレイだったにせよ、「ミサトには加持が迎えに来たように見えた」というのが本当のところのようです。
(追記ここまで)


 青葉、メチャメチャ怯えています。リリスによる補完が救済になる人間ばかりではない。それ以前に、レイの軍団は怖い。青葉、レイの真実を知っていたが故にこうなってしまったのかもしれません。
冬月「碇、お前もユイくんに会えたのか?」
 冬月、恐らくサードインパクトの発生を認識した時から、この結末を予想していたものと思われます。ゲンドウの計画は結局失敗していますが、冬月先生は幻のユイと再会し、満足げに退場。前編でも触れましたが、ゲンドウとユイの行く末を見届けられたのもあるのかもしれません。
 そして、この後は解説役がいないので、大変になります。

 あれこれ暗躍してきたゼーレもまた人間。例外なく補完されます。
キール「スベテハコレデヨイ……」
 これでよいじゃないが。
 一体何がいいんだよ! と、ツッコミたくなりますが。
 神に近い……完全な存在を作り出す、という目的は達成された。自分達が不滅の存在になる、という目的を果たせるかは、その神の意志次第。
 ということで、宗教結社としての教義を完遂した、というのが「これでよい」の中身でしょうか。奇しくも、「神は天にいまし、世はすべて事も無し」ということでしょう。
 世界を恣にし、生に執着してきた老人達も、最後の最後で信仰に立ち戻り、神による救済に希望を託した、という解釈は少し綺麗すぎるでしょうか。

 そしてキール議長、メカだったようです。
 ナディアのセルフオマージュという面、ゼーレが「生に執着する存在」であると示す意味もあると思いますが、DEATH編冒頭のようにセカンドインパクト手前の南極に居たと思われることから、十分な証拠はないものの、もしかするとセカンドインパクトに巻き込まれてサイボーグになったのかもしれません。ゼーレが当初は南極のアダムを以て目的を遂げようとしていたなら、現地にメンバーが居た可能性は十分あり得るかと。

 そして、或る意味ではこの状況の首謀者であるゲンドウ。流石にVIP待遇というか、お迎えが豪華です。ユイとの再会も叶います。
 というわけで、ゲンドウが初めて心中を語ります。その内容は、「自分に人から愛される価値は無い」という、自分が嫌いなシンジと瓜二つのものでした。だからこそ、「閉じた世界」に籠り、息子さえも遠ざけた。先程のアスカの指摘内容がそっくり当てはまる。シンジとの違いは、もはや人から好かれることを諦めた、というところでしょうか。
 シンジとゲンドウがその実、似たもの親子であることに気付けるかどうかで、エヴァの見方はかなり変わると思います。今風に言うとシンジオルタ。
 そんなゲンドウをユイは変えたのだと思いますが、結局彼女も己の野望のためにゲンドウの元から去った。ゲンドウにとっては「裏切られた」と思ったのかもしれません。しかし、それでも「ユイと再会する」という目的を遂げるため……って、やっぱりどっかで聞いたような話です。ゲンドウにとっての野望が、シンジくんにとってのエヴァに乗ることと相似関係なのでは、という話。
 しかし、今や手遅れ。己を追い詰め続けてきたゲンドウの末路は。
ゲンドウ「すまなかったな、シンジ」
 済まなかったな、で許される限度を明らかに超えている感が否めない。エヴァ初号機に頭から齧られるゲンドウ。これも或る意味、自分嫌い族であるゲンドウにとっての理想なのかもしれませんが、LCLには溶けません。補完を自ら拒絶したのでしょうか。アダムと融合し、理に背いた過程で、人間の範疇から外れていたのかもしれませんが。救済を拒否し果てるのは、これも一つの人間らしい在り方なのかもしれません。

 最後、眼鏡を拾い上げているのは、「二人目」の綾波レイでしょう。レイもまた、復活するたびに別の存在になっている、という表現と思われます。
 ゲンドウにとっては全員別人だった、という見方もできますが。それで言うと、綾波軍団に補完された青葉は何なんだ、という話になりますが。
 しかし、幻かと思いきやちょくちょく物理干渉してきますね……。

 コアに槍を突き刺す量産型。なんか悶えてます。わからん。助けて、冬月先生!! 理屈をつけるなら、初号機のように「木」になろうとしたのか。それとも、「サードインパクトの発動」という役割を終えたため自害したのでしょうか。首謀者のゼーレ達も成仏してしまってるので、もはや関係のないことですが。
 そして、生命の木である初号機は覚醒したリリスの中へと吸収されます。リリスの中で膨大な数の綾波レイを目にするシンジくん。ここもトラウマ要素。

 世界中から人々の魂がリリスの導きによって満たされ集いますが、シンジのもとへは罵詈雑言が集います。
 なんでさ。自分が嫌いだから? 大半は関係ないものですが、最後、アスカの声で「意気地なし」と言われているのは、耳に残ります。
 そして、一つになろう、と誘惑してくるレイとミサト。レイは兎も角、なんでミサトさんはそっちサイドに居るんです!?
アスカ「でも、あなたとだけは絶対に死んでもイヤ」
 アスカは拒絶する側。この辺、ラストでアスカが真っ先に「戻って来てる」のと関係あるのかもしれません。
 アスカが何を思っているのか、については……「あんたが全部私のものにならないなら。私、何もいらない」という大ヒントが出ているので、解説するだけ野暮というものでしょうか。

 ここで、現実世界の映像が挟まります。流れとしては、「夢と現実」の話なので、実写のシーンという文脈。
 朝の街の光景。鉄道。そういえば、鉄道はシン・エヴァンゲリオンのポスターにもなってました。
 そして、夢と現実は合わせ鏡なんですが。それを表現するために「満席の映画館」を映すことでスクリーンを合わせ鏡にする、という表現。だと思うんですが。
テロップ「気持ち、いいの?」
 これもシンジ、そして観客への問いかけだと思うんですが、このタイミングでそのテロップ出すと、観客煽ってるようにしか見えなくなりますね。
 そして、声優さん出演の実写映像。この辺、実写ドラマを撮影しているんですが、本編では殆ど使われていません。BD-BOXとかには収録されてるので、興味ある人は買ってね。
(3/7追記)
 この実写パート、本来何なのかというと、「シンジが居ない世界」を意図したものだった様子。
 ある意味、テレビ26話の学園エヴァの代わり、とも言えるのではないでしょうか。結果、断片だけ残って解釈困難になった模様。エヴァではこの手の情報の引き算で解釈が難しくなっている部分、実は結構あります。
(追記ここまで)

 忘れがちですが、本筋としては、シンジくんの「閉じた世界」をどうこじ開けるか、という話であり。
 そのために、閉じた世界、自分だけの夢。それはただの現実埋め合わせ、虚構に逃げて現実へ復讐してるだけ、と説くわけです。

 ただ、この辺、かなり危険な表現です。というか、エヴァにおける「現実」の定義はテレビ版で言ってる通りだと思うんですが。多分、観客にとっての「世界の見え方」が変わるところをダイレクトにお出しするために実写表現を使っている、という話だとも思うんですが。
 実写映像使っちゃうと、そもそもの「現実」の定義が変わっちゃうでしょうが!!!

 ということで、或る意味、ここがエヴァ最大の「誤解」ポイントでもあり、誤解を恐れずやりたい放題やってるな、というポイントでもあります。

 通しで見ると、夢が現実の埋め合わせになってはいけない。現実を見よう、それでこそ夢の続きを見られる、というメッセージにはなるのですが……別に、夢を追うこと自体は否定してない。夢は現実と対だと説いているんですが……。
 ただまぁ、これは観客に向かって「お前らアニメ(夢)見るのやめて現実に帰れ」と言われている、と捉えられても仕方ないといえば仕方ない
 最後にネットの監督への批判コメント(の再現)を持ち出してくるあたり、わざとやってる感もありますが。

 本編に戻りましょう。夢は終わり、リリスは崩壊を始めます。
 そして夢の終わり、或いは続き。望んだ世界として、全てが一つになった世界という「現実」を見るシンジくんは、今までの世界を望みます。
 閉じた世界に逃げても自分の中に自分かいなかった。結局のところ、自分が嫌いなのは変わらないので、現実を埋め合わせるだけになってしまう。
 まぁ、物語通してベコベコにされ続けてきたシンジくんの「貴方の望んだ世界」、誘導尋問みたいなところもありますからね……。
 あと、他人との境界がない世界なので綾波と合体しています。その体勢色々と大丈夫か!!
シンジ「ありがとう」
 リリスが「何を願うの?」と問うた通り、或る意味、全てが一つになった世界は「シンジのための世界」でもあったわけですが。しかし、シンジはその好意を受け容れた上で、今の世界を肯定します。

 立ち向かっても逃げ出しても、良いことは無いかもしれない。だから、大事なのは「自分」がそこにあるかどうか。
 シンジの中にあるレイとカヲルは希望、とのことですが。どちらも、シンジに好意を向けていた存在でもあります。だから、好意によってヒトは互いに判りあえるかも知れない、という希望になるわけです。
 そして、好意は永続するものではない、ということを悟りながら、好意そのものは嘘と否定しなくなった、という形でシンジくんは成長するわけで……集合写真の日向なに!?
 ちなみにこの集合写真の謎の棒、たまに(Twitterの一部で)話題に上りますが、ケンスケの背負ってるエアガンのようです。

 少し前のシンジくんの台詞の背景、人々が再生し、世界が元通りになっていく様子、と捉えることができるのではないでしょうか。

 とにかく、元の世界を望んだシンジくん。リリスは崩壊、LCLがリリスの卵から流れ出し、人々の魂はリリスから解放され、初号機もまた解き放たれます。
 レイとカヲルの台詞。
カヲル「現実は、知らないところに。夢は現実の中に」
レイ「そして、真実は心の中にある」
カヲル「ヒトの心が、自分自身の形を造り出しているからね」
 ということで、ここまではテレビ版でも触れられたところですが。
レイ「そして、新たなイメージが、その人の心も形も変えていくわ」
 というわけで、テレビ版から更に一歩踏み込み、人は自分自身を変えられる生き物、という人類讃歌が劇場版のお話でした。
 だからこそ、シンジくんも見失った自分を見つけ出し、変わることができる。
 あと、「他人の言葉に取り込まれても」、具体的には「逃げちゃダメだ」とかのことですかね……。

 そして、ロンギヌスの槍を掴む初号機。両方二股になったんですが、この槍、最後の最後までフリーダム過ぎます。
 オリジナルのロンギヌスの槍から放たれたビームで、レプリカのロンギヌスの槍は崩壊。量産機も今度こそ機能を停止し石化、地上へ墜落します。「生命の実」も機能を失ったのでしょう。ロンギヌスの槍の効力凄い。

 そして、自分自身をイメージできれば、みんなもとに戻れるんじゃないの? と投げるレイ。ここはちゃんと覚えておきましょう。

 斯くして、サードインパクトの終了にともない、インパクト用にプログラムされた量産機も、それを操っていたリリスも活動を停止します。唯一残されたのは、オリジナルのロンギヌスの槍、そして、人の造りだした不滅の存在、エヴァ初号機。人類は元の姿に戻り、全ての計画は頓挫しました。ただ一つ、彼女のものを除いて。
 というわけで、最後の勝利者、碇ユイの登場。

 ユイ曰く、全ての生命には生きようとする意志がある。生きていれば天国、ということだそうです。ユイの基準もどうかと思いますが、本人がこれから実証するので何も言えねぇ。
 太陽と月と地球が在る限り、大丈夫、とのことですが。ユイのスケールだと「永遠ではない」ということでもあります。
 エヴァ初号機の旅立ちを、レイ(リリス)も見送っています。

 ユイとシンジの別れ。
 シンジは、自分が自分でいるため、当たり前のことに何度も気づきながら生きていく、と語り、地球へ、みんなの居る場所へ返っていきます。

 ユイの目的開示。時系列的に、冬月がゲンドウの誘いを受けた後と思われます。相手がゲンドウじゃないのがポイント。
 冬月なら、自分の目的を理解してくれると信じたからでしょう。以前、ファンと言っていたのは本当にのようですね。
 漫画版では、この件を冬月はゲンドウに隠していた、という解釈になっていますが……25話のゼーレとの会話シーンを見る限り、アニメではゲンドウも薄々わかってはいた様子。
 最初から、冬月は全部知った上でゲンドウを見届けていたわけです。恐らく、この後、ユイが消えることも。

 エヴァの価値は「人のつくりしもの」であること。その役割は、遥か彼方まで、たった一人でも生きていける存在として、人の心と、人の生きた証を遺すこと。
 もしかすると、そもそもの発端であるアダム、リリスもまた、「そういうもの」であったのかもしれない、とも思えますね。

 斯くして、アダムとリリスは消え、初号機は地球より去り、量産機も機能を停止。しかし人類は生きている。
 神と世界は作り直される。新しい創世記とも言えるでしょう。神もエヴァもない世界で、シンジは生きていく。
 ということで、本作品のタイトル『新世紀エヴァンゲリオン』は英語だと『NEON GENESIS(新しい創世記) EVANGELION』となります。タイトル回収です。

シンジ「さよなら、母さん」
 テレビ版最終話でも、最後は「母にさようなら」でした。
 ここでアイキャッチ。26話の英語タイトルは「I need you」。誰かを求めたシンジと、誰も求めず生きていくユイ。エヴァの最後は、対照的な二つの終わりの話でもありました。
 というわけでエヴァンゲリオン、ここで終わると大変綺麗なラストではあるのですが、もうちょっと続きます。

 サードインパクト後の地球。赤い海。謎の棒。
 この棒、エヴァ世界だと多分「墓」なんですよね。ユイの墓も棒っぽいデザインでしたし。この辺と関係あるのか、新劇だとユイの墓もそもそも棒状になっています。
 墓が一本折れているのは覚えておいてください。

 墓の中には、ミサトさんのものもあります。十字架が打ち付けられているあたり、この棒状の墓もシンジくん作だと思うのですが、迅速にミサト塚が作られてるあたりは鎌倉武士から大怨霊に出世した感もあります。「帰ってきたら続きをしましょう」とか言われて、帰って来られてもむしろ困る感あります。
 そして、墓標の如く突き刺さったエヴァ量産機の残骸。地球を取り巻く赤い輪。サードインパクトの遺物。

 海辺に横たわるシンジとアスカ。墓の描写から考えて、一人先に戻って来たシンジくんのところにアスカが戻って来た、のかなぁ……という感じ。一本折れてる墓はアスカの分、と考えると自然。

 シンジくんが海を見ると、レイの幻。
 レイ。なんか舞空術みたいな飛び方してますが、身体を喪っても、シンジ達のことを見ている、という表現なのかもしれません。「シンジを見つめるレイ(リリス)」のモチーフは、一話の冒頭でも出てきました。

 そして、アスカを見るシンジ。
 ところでアスカ、腕に包帯、目に眼帯、頭に包帯でプラグスーツという格好をしていますが。量産機の負傷、というのもありますけど、それ以上にこれ、綾波レイ・スタイルなんですよね……。しかも、シンジ視点で初めて会った時の。おまけに多分、戻って来たアスカがこういう姿をしている、ということは「アスカが望んだ形」っていう。要はコスプレでは。

 さて、重要なのは意識のないアスカを前に、シンジくんはどうするか。という話。前回、劇場版冒頭では、アスカ本人には触れずにああいうことをしていたわけですが。今回は泣きむせびながら首を絞めます。他人と直接向き合うようになったのはいいけど(いいのか?)、他にやることあるだろオメー。
 ……というのは置いておいて、大事なのはこの後。

 アスカは優しくシンジの頬に触れる。包帯巻いてる腕だけど動くのにも注目。ポイントとしては、過去には、死ぬのはイヤ、と錯乱していたアスカが、首を絞められるというトラウマ的な状況で、シンジくんに優しさを向けた点。

 そして、シンジくんはその優しさに泣き崩れ、手を放します。嘗ては自分を嫌う余り、他人の好意を無いものにしていたシンジくんですが、自分に向けられた優しさは確かにあったのだ、という証明が成された、とも言えるでしょう。

 それはそうと、そんなシンジを見てアスカが発するのは「気持ち悪い」という極めて率直な感想ではあるんですが。シンジの所業を思えば妥当な感想です。アスカは病院でのシンジの所業も知っているので。他にどう表現しろっていうんだ。
 この最後の台詞、元々は「あんたなんかに殺されるのはまっぴらよ」だったのですが、それに比べるとマシになった、と考えるべきか、破壊力が上がった、と考えるべきか(この台詞のバージョンはBD-BOXに入ってたと思います)。
 いずれにせよ、ここでシンジが「生の他人の言葉」をぶつけられることに価値がある、と言えるのではないでしょうか。エヴァでは重要な瞬間の表情を映さない、という演出がよく使われますが、この瞬間の二人の表情が見えないことにも注目すべきかと。
 というわけで、人は分かり合えることと分かり合えないことがある、というのを凝縮したのが多分エヴァのラストシーンです。
 シンジくんはエヴァに乗らずとも世界と向き合えるようになり、冒頭で言ってた「またいつものように僕を馬鹿にして」という願いも多分叶いました。今後どうなるかはシンジくん次第。アスカがヒロインのエヴァンゲリオンはこれからだ! という感じで終わります(最後の最後で偏見が混じる)。

 以上、終劇。お疲れ様でした。


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あとがき&総評

「結局エヴァって何なのさ?」
 その疑問から始まった本連載でしたが、気付けばなんかえらい分量になってしまいました。
 そして、その問いの答え……エヴァの「正体」と言うべきものは、ここまで見て来た通りです。巷で言われているイメージとは違うかもしれませんが、エヴァの様々な顔が浮かび上がってきたと思います。
 確かなのは、エヴァンゲリオンが非常に練り込まれた作品であること。そして、根幹は割とロジカルに作られていること。結果、見えてきたのは、映像表現としての地力の高さをフルに生かし、視聴者に「これでもか」と情報を叩きつけ、あまりにも多要素&複雑怪奇すぎて見た人間ごとに解釈が分かれる、という現象が起きる、恐るべき作品であることと言えるでしょう。
 当然、その内容を捌ききるには本編を何ループもすることになります。ネットフリックス配信で、全エピソードを自由に何ループもできる、という環境でなければ、本連載は成立しなかったと断言できます。そういう意味では、「いまさら」ではなく、「いまだからこそ」エヴァンゲリオンについての理解を深めることができた、と言えるかもしれません。

 とはいえ、今回組み立てた解説も、本当に薄皮一枚。連載中ですら、台詞一つの読み方で解釈がひっくり返る、という部分が何度もありました(特にゲンドウ周り)。
 これは、エヴァンゲリオンが創作物にとってある種の禁忌ですらあるディスコミュニケーションを正面から取り扱った物語であることにもよるでしょう。登場人物同士はもとより、見ている人間に対する誤解も辞さない、極めてストロングスタイルの作品、それこそがエヴァの本質と言えるのではないでしょうか。

 そして、これらのスタイルは同時に、作品を視聴する「観客への信頼」が無ければ成立しえないものだと思います。そして恐らく、新劇場版に於いても、その作り手の信頼は薄れていないと自分は考えます。
 随分と遅くなりましたが、この連載を以て、読者の皆様がその信頼に応える一助となれたならば幸いです。

2021年 碌星らせん 記

P.S. 新劇場版はみんな考察してるし、別にいいよね……?

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