いまさらわかる新世紀エヴァンゲリオン㉘劇場版『DEATH (TRUE)²』

 さて、まず最初にエヴァンゲリオンの劇場版というものにについて。
 エヴァンゲリオンの製作スケジュールがなんとなくヤバいことは、ネットフリックスのテレビ放送版を見ていてすら伝わってくるわけですが。遂に25話、26話で限界突破。視聴者を混乱の渦中へと叩き落とすこととなりました。
 時に1996年。25話、26話を本来のカタチにリメイクし、同時に新作劇場版を公開することが決定。しかし、そこから更に製作スケジュールが遅延した結果、総集編と新規25話をくっつけたものが『シト新生』として公開されました。その後、本来は新作劇場版をやる枠で25話+26話の『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を上映し、いわゆる旧世紀版のエヴァンゲリオンは完結します。覚えておくべきは、旧世紀版の「新作劇場版」は結局作られなかった、という点でしょうか。エッセンスの一部は、新劇場版(Q以降)に引き継がれた節もありますが。

 その後、『シト新生』の前半部分である総集編……『DEATH編』は、二度の修正を経て『DEATH (TRUE)²』となります。それが、現在見られるバージョンです。修正の間には、シーンを足したり引いたりもあるのですが(特にアスカ周辺)、他2エディションの視聴手段が現在では限られるため、今回は省略します。オリジナルのDEATH編は、BDボックス特典で見られるので、気になる人は買ってね(販促)。
 総集編、とはいうもものの、多くの新作カットや作画修正を含み、ビデオフォーマット版の追加カットの多くは、実はもともと、この総集編のために作られたものだったりもします。いわゆるビデオ版21~24話は、このカットを転用しながら作られたものです(なので、当時のVHS、LD版では20話までと21話からの巻で一年くらい発売の間が空いています)。
 というわけなので、ここまで、何度も「エヴァンゲリオンの総集編」を目にしてきた読者の方は既にご存知のことと思いますが、エヴァは総集編と言えど気を抜けません。このDEATH編、シーンの時系列バラバラなんですが、「こことここのシーンが関係あるよ」「このシーンでは本当はこんなこと思ってたよ」という事実上の考察副読本みたいな節があります。今回、最終回の前に取り上げるのも、その辺が理由です。

 それでは、本編を見ていきましょう。今回全部取り上げるとキャパ越えするので、新規情報が出てくるとこだけ拾っていきます。
 最初はセカンドインパクト当時の映像。ビデオ版21話にも使用されています。ミサトの父親が提唱したスーパーソレノイド理論、偶然にもアダムの動力源を言い当てていたことがわかります。ロンギヌスの槍は死海から南極に搬送されてきたことも言及。前にも言いましたが、エヴァンゲリオン2の記述だとアダムと一緒に見つかったことになってるので、矛盾が発生。
 キールとゲンドウの会話。ゲンドウはともかくキールも南極に居たのかよ!! これ、ちょっと重要なので覚えておきましょう。
 キール曰く、「学者が求めているのは喜びと支配、自分の気持ちよさだけ」とのことですが。もはやお約束の、他者への言及が自己言及ブーメランになっているパターンな気もします。
 そして、アダムが暴走。遺伝子ダイブを行っていたこと、「槍を引き戻せ!」という台詞から、ロンギヌスの槍をアダムと接触していたこと、或いはアラエル戦のように槍がアダムに引っ張られているであろうことが伺えます。うーん、これはどう見ても人為的。
女性「ガフの扉が開くと同時に熱滅却処理を開始」
 前にも触れたセリフ、ここで出てきます。
男性「ヤツ自身にアンチATフィールドに干渉可能なエネルギーを絞り出させるんだ」
 アンチATフィールド、劇場版26話にも出てきますが、個体生命を形作っているATフィールドを無効化し、生物を生命のスープにまで還元するものです。ヤバい。多分、ロンギヌスの槍がATフィールドを容易く破っているのも、このアンチATフィールドの効果によるものと思われます。
 詳しい説明は劇場版25、26話の時にでも。

 そして、アダムは地上に出た瞬間、爆発。如何なる理由によるものかは定かではありませんが、とにかく人類は救われました。

 ミサトさんのシーン。ここのシーンとシーンの繋がりは、「ミサトが加持さんに父親を重ねている」という説明だと思われます。
 で、加持さんはミサトさんのことがわからず、アスカに言い寄られても星を見ている。
 アスカは母に認められなかった思いから、加持さんにアプローチをかけているが、そのトラウマでエヴァのシンクロ率が不調。そして、一方のレイはの過去は……ということで、シンジくんの話に繋がる訳です。
 今回は全編、こういう感じでシーンが繋がっていると思われます。

 と、いうことで、この後のシンジくん編以降は一応だいたいキャラ別に話が纏まっているわけですが。
 ここで停止! ネットフリックスだと5分35秒のあたり。
『その五年後ーー彼女は、彼に再会した。』
 時系列としては1話冒頭。これ、大変重要です。誰が、誰に再会したの?
 文脈的には、レイとシンジ以外では有り得ないのですが。レイとシンジは初対面の筈。
 しかし、よく思い出してください。シンジは、ユイのシンクロ実験に立ち会っていました。そして、その実験の本質が、初号機、というよりリリスとの接触にあったであろうことは以前の回で触れました。
 つまり、レイとシンジは初対面でも、シンジとリリスは会ったことがあるというお話になるわけです。

 そして、リリスの魂を宿したレイの誕生は、この実験の後。おまけに、シンジと同じ年齢になるように生まれてきたわけです。
 更に付け加えると、二番目のレイはゲンドウに執着を抱いていましたが、魂のみ継承している三番目のレイはゲンドウへの執着は薄い(メガネ破壊)。しかし、シンジへの思いは残っているので、劇場版で「碇くんが呼んでいる」になる。
 と、いうことで。レイのシンジへの感情は、レイという存在ではなく大本のリリス由来のものであり、レイがシンジを好きかどうか、というより、むしろ逆に「シンジへの感情によってリリスからレイが生まれた」ということが導き出せるわけです。
 二番目のレイがゲンドウに執着していたのも、「ゲンドウがシンジに似ているから」というのが一つの要素としてはあるでしょう。
 そういえば、第1話の冒頭(総集編だとこの後)でも「シンジを見守っているレイ」の幻の描写がありました。これも、レイというよりはリリスなのだと思われます。
 ダメ押しするなら、レイと同じ存在のカヲルくんがメチャメチャにアプローチをかけてきた、というのも、多分こういう話でしょう。

 何のことはない、シンジくんは最初から或る意味愛されていた、という話なのですが。これに触れてしまうとエヴァの前提がひっくり返ってしまうので、本編中では明示されません。
 ただ、魔中年ゲンドウの血は間違いなく受け継いでると思います

 シンジくんが「逃げちゃダメだ」と呟くまで。一見重要そうなゲンドウの出番はカットされていますが、まぁ、シンジくんにとっての父親との決着は、前も言った通りもう済んだ話なのでカットでしょうか。
 そして、シンジくんが決断を強要されるシーンつながりでカヲル君の最期。エヴァ本編、数カ月の間の話なんですね……。
 で、「その18か月前」。この総集編、最大の問題。第二東京市、第三中学校講堂内で弦楽四重奏を奏でる、シンジくん達によく似た人たち。真面目に考えるとこの時期アスカは来日してないですし、カヲルくんが出てくるのもおかしいし、そもそもシンジくん以外は楽器やってるのか、という。カヲルくんは新劇でピアノ連弾してましたけど。
 といわけで、このシーンについてばかりはわからんとしか言いようがありません。いまさらわからない新世紀エヴァンゲリオンになってしまった……。
 ただ、個人的な考察を挟むなら。場所と時系列がわざわざ設定されていることから、「シンジくんが第三新東京市に来る前の話」なのでは、と考えることはできます。シンジくんの過去はほぼ本編だと不明なままですし。他三人については、代役ではないかと。シンジくん曰くの「穏やかで何もない日々」というのはこういうことなんじゃないかな……。断定はできませんが。

 1話の流れの復習と、シンジがミサトの家に上がるまで。そして、「ミサトがどうしてこういう人間になったのか」という回想。
 幼いミサトの独白。「パパが居ないから甘えずよい子にならないといけない」「でもママのように泣いてばかりなのは嫌」「でも父もよい子も嫌い」と、いうことで。多分、最初の部分は「他人から言われていたこと」なのかな、という感じ。
 結果、わざとらしく明るく振舞う仮面を被りながら、使徒を殺して父との関係を自問する葛城ミサトが誕生したわけです。わかっておくべきは、ミサトも自分が嫌い族であるということ。この人も大概バグりながら生きてるよな……。

 アスカとシンジのミサト評。アスカにとっては、ミサトはわざとらしくて好きじゃない。「母に認めて貰いたい」という思いで動くアスカにとっては、或る意味正反対の動機で戦っているわけで、性格的な相性は悪いと思います。シンジくんは「悪い人じゃない」と纏めますが。
 24話でシンジくんがカヲルくんに語った「今までの自分にあったこと」。注目すべきは、「人間はどうでもよかった」という過去型な部分でしょうか。あと、初期のシンジくんの状態が、「やりたいことがないし、他人はもどうでもよかったから言われたことに従っていた」という感じであるとわかります。
 しかし、そこで酷い目に遭った結果、「逃げる」という選択を自分でした。というのがエヴァ序盤の流れだったわけです。マイナスからのスタート。

 そしてミサトの記録では、シンジくんの逃亡については一切触れられていません。報告してなかったんかーい! 
 トウジが、シンジに対して言った言葉が二回も出てきます。本連載では、これでシンジがバグった(変わった)、という話をしましたが。そういう読み筋を補強する感じです。

 シンジ・ミサト編の次はアスカ編。弦楽四重奏のほうは、呼び方が「碇君」の時点でアスカじゃないよなお前……となるわけですが。
 
 アスカの、ミサトに対しての「他のところもちゃんと女らしくなってる」、加持さんを意識した台詞だったのでは、となりますね。
 アスカについて。「対外的に猫被ってるアスカ」「トウジ、ケンスケの知る性格の悪いアスカ」その奥には、「心に傷を抱えたアスカ」が居る、という三層構造を示しています。
 前に、本連載でレイについてこういう構造になってるよ、と取り上げましたが、アスカについても同じ、というお話。

 で、アスカのシンジ評。「エヴァで活躍する」は兎も角、なんでシンクロ率バトルに調子崩すほど拘ってたの? という答え合わせ。
 アスカにとっての重要事項はエヴァに乗って活躍することで。シンジくんと張り合ってたのは何だったの? というお話なんですが。まぁ、何のことは無い、最初から気にしてたよ、ということです。いきなり自らの誇りでもあるエヴァのコクピットに一緒に入って貰うとか、アプローチも直球ではあります。シンジくんはいまいち気付きませんでしたが。

 で、弐号機の見せ場集。一部、編集でカッコよくしてあるところもありますが。結局最後は撤退オチ。
 次、アスカとレイの遣り取り。アスカ、猫を被っているという話が本編で出てきましたが、シンジに突っかかっていくのは衆人環視のもとですし、周りの生徒に怪訝な目つきで見られても気にしない。「私を見て」が誰に対してのものか、という話でもあります。
 アスカの不調、実戦での負け方よりシンジに負けたと思ってる方が大きい、とミサトさんは言いますが。実は、アスカにとっての「敵」はシンジというよりはレイなんだよな、という……。まさかこれもミサトさんミスリード案件とは……。

 さて、「私は人形じゃない」をキーワードに、遂に総集編はレイ編に突入します。レイ、というよりリリスがシンジを見ていたことは既に述べましたが、じゃあ、シンジくんがレイを見ていたのはどういうアレなのさ? というところで。
リツコ「いい子よ、とても。貴方のお父さんに似て、とても不器用だけれど」「生きることが」
 というわけで、既にこの連載読者の皆さんはご存知の通り、レイは単に不器用なだけです。やっぱコイツ武人キャラなのでは。

 レイのビンタでシンジが病院送りになった、みたいな編集でちょっと面白い。そして、レイ編の一つの区切りであるヤシマ作戦。ここの「笑えばいいと思うよ」のレイの笑顔、とても気合の入った新規作画なので必見です。

 零号機の戦闘。レイの行動は一貫して、「シンジを身を挺してでも護る」というところにある、というお話。これは、レイ本人の願いというよりも、レイを生み出すに至った大本のリリスの願い、という側面が強いのではないかと。
 そういえば、タブリス戦にレイが顔を出していたのも、「そういうこと」なのかもしれません。やっぱりコイツ、武人キャラでは……?
 では、そもそも大本のリリスはなんでこんなにシンジくんを気に掛けるのさ? というところについては、今回は保留とします。

 で、ゲンドウのレイについての感情も、この段階になると整理できてきます。レイ個人の認識としては「私が死んでも代わりはいるもの」だったのに対し、ゲンドウにとっては「二人目のレイ」が特別だった、ということなのでしょう。なので、ゼルエル戦の特攻で声を荒げたりしている。レイの側も、それに気付き、自爆の際にはゲンドウの幻を見て涙する。

 結局のところ、レイにとっては、シンジの平穏が望み、という感じでしょうか?

 ユイと冬月の語り。冬月はゼーレではなくユイの考えに賛同しゲヒルンに加入した、という話。つまり、ゼーレとユイの計画が当初から異なるということです。そして、ユイ曰く、ゼーレが人を滅ぼすのは造作もないとのこと。
 というわけで、本連載でも取り上げてきたゲンドウとユイの計画がゼーレを止めようとするものだ、という話です。
 それを阻止するため、ユイは実験の被験者になった。「シンジのため」という言葉にも、嘘はないのでしょう。やっぱりシンジくん、何だかんだ愛されているんですよね。

 私見ですが、ゲンドウが写真を捨てたのは、ユイを「過去」にしたくなかったからなのかなぁ、となんとなく思えます。

 荒ぶる母親シリーズ、初代レイを絞殺するナオコ博士と、使徒を捕食する初号機。とはいえ、これらの行動の共通点としては、ともに「自分のため」なんですよね……。母だからといって、子供のためばかりに行動しているわけではないよ、という話かもしれません。

 レイの魂の話。魂のないレイの身体は笑ってばかりだけど、レイ本人は泣いたりもする。過去のことも、なんとなくは覚えている。そして、最後に、シンジくんがレイに「母」を見出したシーンでレイ編は〆です。
 ただ、レイとレイの関係は非常に難しい。というよりも、ユイの存在がどの程度レイに影響しているか、という話ですが。その辺は、劇場版で答えが出ると……いいなぁ……。

 弦楽四重奏、最後に登場するのはカヲルくんですが、カヲルくんの出番は尺がないのでトウジ編が始まります。エヴァとの因縁の話でもあります。
 そして、シンジくんが傷ついたタイミングでゲンドウ、加持編。
 ゲンドウについてですが、本編だと描写が少ない。今回の映画ですら、内面を語る描写はゼロです。
 シンジくんはゲンドウをわかった気がする。けれど、加持さんは人を完全に理解することはできないと言う。まぁ、加持さんの言ってる「人」って、ぶっちゃけミサトさんのことなんですが。「葛城の話かと思った」って加持さん言ってますし、結局話してるのもミサトさんのことになっていきます。
 そして、トウジは傷つき、加持さんも去り、シンジもミサトさんも傷つきます。更に24話冒頭の、ビデオ版追加シーン。アスカが加持さんの死を知る場面。

 ということで、ここからずっとカヲルくんのターンです。加持さん編とカヲルくん編が並んでいるの、二人の役割的な互換性の話なんじゃないかな、とも邪推します。
 カヲルくんがシンジくんに言い寄るパートは省略で、タブリス戦。総集編でも、ちゃっかりフルで見せ場を収録して貰ってるカヲルくん、待遇が良すぎる……(登場尺が少ないのもありますが)。
 地味に、途中のゼーレの台詞が変わっています。
ゼーレ「アダムや使徒の力は借りぬ」
 前回はツッコミ入れましたが、この時点でゼーレはアダムではなくエヴァを依り代に使用することに決めていた、という見方もできます。
 今更ですが、ゼーレがアダムや使徒に拘るのは、リリスには生命の実(S2機関)が搭載されていないためだと思われます。リリスを単純に用いた補完では、ゼーレが目指す不滅の存在になれないのです。

 以後の展開は、テレビ版と同じなので省略します。
 エンディング。背景の謎の石像が気になります。見ようによっては、エヴァ量産機っぽく見えますね。漫画版のエンディングでは、この辺のエッセンスを取り入れていました。

 と、いうことで今回はここまで。
 今までの復習も兼ねて見てきましたが、特にレイとリリスの関係については、結構印象が変わったのではないかと思います。この辺の情報が無いと、劇場版でのレイの行動の意味がわからないまま終わるので寄り道しました。

 次回、 第25話『Air』。英語タイトルは"Love is destructive."、愛は破壊的。劇場版ということで、エログロ描写が結構あります(テレビだと規制祭りになりました)。本連載もそれに合わせて、そういう部分も取り上げて行くことになると思いますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

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