思いつきの誓い
最近、自分が発達障害なのではないかと思うことがある。おっちょこちょいに磨きがかかってきているからだ。仕事でのミス、財布やケータイを忘れることなんてしょっちゅうで、頼まれたこともすぐに忘れる。本当に発達障害のある方を人を貶すつもりは毛頭ないが、このポンコツ具合に誰か理由をつけてくれと、そう思う。病気や障害などではなく、ただのポンコツなのだ。
発達障害の一種である自閉症スペクトルの方は、ある一つの部分が非常に秀でていることもあるそうだ。自閉症かどうかは定かではないが、確かスティーブ・ジョブスも発達障害であったような気がする。その点、僕には何も秀でたものがない。ただのポンコツだ。
そんなポンコツにも昔は自分に自信があった。しかしそういった自信という名の牙はこの23年間で研がれ、まるくなり、なくなっていった。個人的には中学校の出来事がきっかけであると思ったりもしているのだが、他責すぎるので飲み込んで割愛させてもらう。そんなこんなで、自信がなくなり、負けん気もなくなり、夢を見る力も無くなっていった。
自分に自信がなくなった僕が行ったこと。それは、自分に期待をしないことだ。人が何かに怒りを感じる時、それは期待を裏切られた時だと思っている。この人ならこうしてくれるはず、この場合は結果こうなるはず、自分ならここまでできるはず。そういった期待を裏切られた時、人は怒りを感じるものだと思っている。もちろんこれは表面的なものだとわかっている。怒りを感じることが悪だと思った僕は、自分に期待しなくなっていった。どうせこんなもん、そんな思いが募っていった。高校では部活でスタメンも取れずに、そんな自分に怒りを感じることもなく、こんなもん、しょうがない、そういった思いで終えていった。やり切ったと思うし、チームの為を思ってやっていた自覚はあるため後悔は全くないが、夢も期待も持てずに現状のポジションで満足していたなと感じる。
大学の4年間も特に何もなかった。厳密に言えば行動を起こしたこともあったが、やらない理由ややれない理由を探しては、結局逃げていた。結果名ばかりの一部上場企業に就職し、日々何も考えずに生きている。
自信という牙をなくした割には、友達に舐められるのも嫌で、いじられキャラのくせにいじられるのを心の中で嫌がっている、変なプライドを持ったまま就職しているのだ。
そんなある日、大学の時に辞めた仕事の一つをもう一度できるという話がやってきた。あいつが持ってくる話はいつも不安定で、やれると思う、多分これくらいの時期には、と言った話ばかりだ。しかし、動かなければ人生後悔するという思いが募る僕にとってはまたとない話だった。しかしそれをすることで今の会社から逃げることになる。その発想自体がまずおかしいのだが、自分で休みを決められる働き方のため、逃げるも挑むも自分次第である。今は挑める気持ちでいるが、実際無理だろ、と言ったある意味で言う謎の自信のようなものが僕に襲いかかってくるのを感じる。気付いたらまた足枷が僕をがんじがらめにしていた。
今、その話をもらって1週間ほど経過しようとしている。
進んだことといえば、コムドットやまとの聖域を読んだことと、勢いで親に仕事を辞めようと思うという話をしたくらいだ。表面上の賛同と、奥にある反対を感じた僕は、やはりやる気を失いかけていた。
話を持ってきてくれた友人は、タイミングが合わなかったら神様がやるなと言っていると言っている。ある意味で無責任、ある意味で挑戦を諦める方向づけを行っているように感じた。
久々に負けん気、見返してやりたい。その想いがふつふつと湧き上がってきたくせに、存在しないしがらみを勝手に作って、まだ、動けないでいる。
どうせ、最悪、こいつがいるからいいや
そう思っていた友人は上京するそうだ。夢があっていいな、そういったら、夢を持たん方が人生楽やで、その方がいいやろ。と返してきた。じゃあ何でお前は夢を追いかけて上京するんだ。そんな問いを噛み締めて見送ることになりそうだ。
変わらなければいけない、そんな思いが膨れ上がる。
人生はギャンブルだ。勝つか負けるか、それもそうだが、ひりつくかどうかだと思う。コムドットやまとは、人生の選択に迫られた時、心躍る方を選べ。そう言っていた。僕なら、心がひりつく方を選ぶ。ギリギリで生きていたいわけではないが、ワクワクや興奮、生きてるって実感するために、心をひりつかせたい。
何でこれを書いたかも、書いた結果何が言いたいかも、全然わからない。
ただ、自分の目標を周りに発信することで、自分を追い詰めてひりつきたいと思う。ドーパミンが出て最高にエクスタシーを感じる時は、ひりついてどん底に落ちた時ではない。ひりついた後それを巻き返し、予想以上の結果を得た時だ。
まだ全く自分に自信がないが、何故か久々に根拠のない自信が湧き上がっている。
一年後に、どんなことをしてでも300万相応の資産を得ていることをここに誓いたいと思う。
それはゴールではなく、新たなスタートである。目的のない目標はただのゴミクズだ。究極の目的は周りの人さえもfireさせることができる資産を持つことである。一歩ずつ踏みしめていく。
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