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武蔵国


関東研究 と漂流の岸辺

坂東八平氏、武蔵七党、でもって関東の
地名なんか、皆これでしょう。
 関東八家と言うのもあるようだが。
   鎌倉八家(千葉 佐竹 結城 宇津宮 他){大辞典}
地名が姓氏に、姓氏が地名に。

上杉謙信のご乱入
足利も焼き討ちに
関東管領さんです。関宿城(古河公方重臣梁田、竹冠)を助けに行ったが、北条の勝ち。脈略は知らん。
 関越高速で赤城山を降り、前橋の灯が、眼科にパーと出る。
総じて、北へ上って行く関越であり、高速WINDINGになってくる。
 
このPAGEをシロアリたちに捧げない。

北埼玉まで出れば、単車も走れる。
夜中に走る人は、特殊です。

近世(幕藩体制)の街道、壬生例弊使街道
国道4号を北上し、宇都宮の手前で、左折。壬生、鹿沼と、今市日光へ向かう。鹿沼で、足利からの街道(足利への街道)と合流する。このポイントは、追分と言っている。更に町内に入り、大門宿がある。ここも、足利からの道がつながっていっる。奥へ行くと、杉並木になる。宇都宮からの街道も同じ。会津街道も。例弊使は、帰りに江戸を回ったのだろうか。いや、先に、。

関東ローム層を検索せー。
建設関係もいろいろ言っている。
 赤城山、全国的に赤の地名ある。鉄さびも多い。
噴火は、箱根、富士、那須など。那須のほうは地質が別。

風土と気質。開放的ですね。
 宮城音弥著日本人の性格、の結論はさておき、いかに導かれたかの方法論を見てはいなかった。会津は屈折している。傷は深いぞ。こんなところは脱出しよう。

川は、入間川
多摩川、荒川、利根川、足尾銅山鉱毒川足利通り
 足利の対岸に、梁田町。渡良瀬川、わたらっせ、というのは、会津の言葉で、渡りなさい、ゆえに、会津人の関東進出と考えられる。逆転の発想。古河市で利根川に。関宿の次に、佐原で伊能家に行く。大利根ネットワーク。関宿城で、江戸川が分流。

川名のルーツ、川と伝説、川と祭、川と文学、川と名ばく、川と城址、川とダム、川と秘湯、川と名橋、川と旅人、皮と行事、川と動物、皮と歌舞伎、皮と落人部落、川の二つの名、川と名石、川と魚、川と渡し舟、川と古戦場、川と古書、川とライン下り、川と花、(日本全河川ルーツ大辞典 竹書房)

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