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淡い香りの済州島/0705ansoona


旅をたくさんしている私にとって、忘れれない旅はありすぎて選ぶのが難しいなんて思っていたころ、そんな時にちょうど昔の韓国人の彼から「日本のコロナは大丈夫?」と心配の連絡があった。別れて5年以上経つが未だに韓国に行ったときに会ったり、連絡を取っている友達のような彼。当時大好きだった彼との甘酸っぱい旅の思い出を綴ってみたいと思う。

出会い

彼に出会ったのはカナダから帰ってきて、しばらく経って、北欧への長期旅を準備をしているときだった。その頃韓国にはまっていて意味もなくよく韓国に行っていた。ある日ソウルで出会って、気づくとご飯とか行くようになって、どういうわけか付き合うようになっていた。まるでそれは運命の出会いだった。気づくとはじめてこんなに人を好きになったかもしれないなんて思うようになっていた。(恋は盲目 笑 )ヨーロッパから長い旅を終えて帰ってきてからも遠距離を続けていた。付き合って半年くらい経ったころには「君の年齢は結婚しなきゃダメでしょ!?」とか3つ年下の彼に事あるごとに言われ、結婚願望は全くなかったのだが、いつの間にか結婚を意識して付き合うようになった。あれよあれよと話は進んでいき、チェジュ島に住むお母さんに会いに行こうというになった。

済州島のお母さんに会いに行く

その頃の私は韓国語がほぼできなくて不安で不安で仕方なかった。彼との会話も英語で韓国語は挨拶とちょっとした旅行で使う言葉しか知らなかった。行く前に何度も彼にお母さんと会話出来ないからどうしよーって言っていると「大丈夫、君が外国人だということも言っているし、お母さんは優しいから本当に大丈夫!」と何度も言ってくれた。と言ってもな、息子にお母さん毎日のように電話かけてくるほど息子大好き母さんだし(一日に何回もかかってくる)きっとその彼女なんて言ったら、怖いに決まってるやん。て私の気も知らないでさ!!っとか不安を募らせていた。彼の仕事終わりを待って金浦空港に向かった。まさかの彼が私の名前のタイプミスがあることがわかり、チェックインにトラブり、危うく乗れないところだった。彼女の名前どうやったら間違えるんだよ!って思ったけど、そういえば当時韓国名を伝えてなかったことに気づき、笑った。当時は私は韓国籍だったので韓国名で飛行機とる必要があったが彼は日本名でとってくれてしまっていた。事情説明するとなるほどと特別に変更してくれて、無事に搭乗した。

飛行機に乗ると、飛行機に慣れている私と対照的に離陸前にてをぎゅうと握って目をつむる彼を見ながら大爆笑したのを今でも覚えている。いつも余裕なそぶりで、包容力のある人だったから、なんか意外な一面を見ておもしろおかしくて、そして嬉しかった。

済州島に無事到着し、レンタカーを借りて急いで、お母さんと待ち合わせしていたお店に行くと、入るなり優しいお母さんの笑顔が私の緊張をほどいてくれた。久々に会えた息子にとても嬉しいようだった。それから初めて会う息子の彼女にも嬉しいようだった。「チョヌン、ナオミラゴハンムニダ、マンナソパンガッスムニダ。」緊張しながら片言の挨拶をする。

常に優しい笑顔で言葉は通じないけど私の目を見て話してくれた。彼が通訳をしてくれていろんな話をした。彼の言った通り、お母さんはとてもやさしい人であれこれとたくさん気にかけてくれた。美味しいご飯を食べてとあれこれ注文してくれ、ベジタリアンの私にも「これは?これは?食べれる?」と何度も聞いてくれた。緊張してご飯ものどが通らなかったが、とても楽しいお食事会だった。

それから滞在中はお母さんのお家に泊まらせてもらうことになっていた。と言ってもお母さんがいると気を遣うだろうとお母さんはおばさんの家に泊まりに行ってくれていた。すべてがきちんと整えてあって、お母さんの几帳面さがうかがえる素敵なお家だった。なんかちょっぴりほんとに暮らしてる気分で楽しかったよね、と今でも思い出話に必ず出てくる彼のお母さん家での数日は楽しかった。

翌日はドライブに出かけて、冬は風が強いことで有名な済州島で風にひたすら吹かれながら、きれいな景色を見に行った。2人で「なんで冬にきちゃったんだろうねー、夏だったら最高なのにね。」なんて笑った。本来、夏は韓国のハワイと言われるほどのリゾート地でとても気持ちいいのだ。私たちが言った2月は風が強く見どころもなくて困った。数年たった今はおしゃれなお店も増えて素敵なところも多いので、今ならきっともっと違う形で楽しめるだろう。だけどその頃はそんないまいちの風景ですら愛おしく思えるほど、淡い淡い恋をしていたのだ。

黄色い菜花畑を見たり、お山に馬を見に行ったり、強風に吹かれながら海を見に行ったり、なにも計画をしなくていいよと行った彼にお任せツアーを楽しんだ。天候もいまいちだったのでなんか写真もパッとしないが記憶に残っているのはきらきらとしている。

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その次の日、夜お家に帰ったら、お母さんがお腹減るだろうからとご飯を買ってお家に置いといてくれた。自分がいると気を遣うだろうとすべて私たちは観光している間に準備してくれていたようだ。一人息子、母一人の家庭だからさぞかし、怖いお母さんが待っているんだろうと緊張していたのがウソのように、まるで私も娘になったように大切に扱ってくれているんだなと感じた。私の母が早くに他界していることを知った彼の母は、これからあなたのお母さんだと思ってねとほほ笑んでくれた。

それから記憶はあまり行程を覚えてないのだが、親戚の集まりや、おじいさんのお家に挨拶に行ったりと大忙しの旅だった。あちこちで私との話をしているのがわかる。話せないもののリスニング力だけは長けていたので、ほぼ理解していた。だけど、どの人に会っても韓国語が話せないなんてどうでもよくなる感じで、家族のようにみんなが温かく包んでくれたという温かい思い出が残るそんな旅だった。

いろいろと事情があって結婚できないと別れてしまったけど、今でも記憶の奥の方にある大好きだった彼との思い出の旅。今でも仲良く友達関係を続けていて、今でも会うと「お母さんが君のこと元気?」と今でも気にかけてくれているそうで私も今でも会いたいなと思うお母さんだ。


きっと将来結婚しても、子どもが出来てもきっと将来思い出すような温かく素敵な恋をしていたある時の旅の思い出のお話。


おまけ

韓国人と付き合うとあるある。例えば。。ね。って話。

【異常に優しい。】ある日彼の家を目指して歩いてたら、ちょうど駅から雨が降ってきて、傘ないなと思って歩き始めたら傘を持った彼が私がくるだろうという時間に持って走ってきてくれていたことがあって、もし会えなかったらどうしたの?って聞くと、会えるまで探すつもりだったと笑ってた。

【男の子は女の子に尽くす】ご飯に行ったらぜーんぶ手取り足取りすべてやってくれる。荷物を持ってくれることはもちろんのこと、なんかほんと言葉でうまく表せないけどほんと手取り足取りって感じ。接待かなって思う。

【一日中メッセージする上に、電話も一日に何回もかかってくる】理由はなく「今何してるのって話」。なんでそんなに彼女が何しているのかを知りたいのか聞いてみたけど、大好きなら当たり前だよって普通に言う。

【サランへ(I love you)を一日に何度も何度も言う】ここは欧米か?と思うほど愛情表現がすごい。見た目日本人と同じなのに韓国人って家族に対しても彼女彼氏に対しても愛情表現が濃い。

【歌がやたらとうまい】これは日本人妻のお友達と話して納得したのだが、素人でも韓国人の歌うまはやばい。韓国人と15人くらいでカラオケ行った時があってそのうちへたくそやったん私だけだった。みんなプロか思うほどうまい。

【セルフィ―多め】これでもかってセルフィ―撮りまくる。そして私の写真ももれなくたくさん撮ってくれる。思い出たくさん残っていいよね。


以上、もしちょっぴり韓国人の彼を持つことに興味を持った人いたら一緒に韓国行きましょう。笑




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