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イギリスひとり旅/0713 陽風

※以前に投稿したものですが、間違って削除してしまったため再投稿です。

1996年、冬、イギリス

 1996年の冬、20代の私はイギリスにいた。友人の死をきっかけに人生でいちばん精神状態が落ちてた時期、ふいに目に飛び込んできたイギリスでのホームステイ募集チラシに閃いた。「そうだ!イギリスに行こう!」。 英語はもちろん喋れるなんてレベルではなかったが、若いっておそろしい…いや頼もしい。思い込んだら実行の方向にしか考えが進まない。そんなんで決めたら早い。ホームステイプログラムは2月中旬〜3月下旬の約5週間で、そのうち4週間はイギリス南部にあるワイト島(洋楽好きの方ならロックフェスでご存知かも...よければ地図で探してみてください。)で過ごした。イギリス王室の保養地にもなっていた自然の美しい島だ。ワイト島の思い出もたくさんあるが、ここでは最後の5日間で1人旅をした話を書くことにする。行先はハワースとペンザンス。

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別れ、そしてハワースへ

   1日目の朝、濃霧のなかホストファミリーが港まで車で送ってくれ、慣れないハグで4週間の感謝とともにお別れ。そして約30分の船移動。まずはロンドンに行くために対岸の港町ポーツマスへ、言葉もよくわからない異国でほぼ初めての1人旅に緊張しつつ波しぶきを眺めていた。ロンドンには列車で2時間ほどで到着、そこからさらに北に向かう計画でチケットはすでに買ってあったが濃霧のせいでいきなり予定の列車に乗り遅れてしまった。駅員さんに別ルートを教えてもらい地下鉄を使って大急ぎで北に向かう出発駅キングスクロスに向かった。発車3分前に到着し、昼過ぎに無事出発。だだっ広い田舎の風景なんかをぼーっと見ながらひたすら列車に揺られて3時間、最初の乗り換え駅ヨークに到着、リーズ行きに乗り換えキースリーで降車。さらにバスに揺られ、19時前にようやく目的地ハワースに到着した。真っ暗になる直前、何せ冬、しかも北、旅行客はほぼ見当たらない。メインストリートにあったB&Bへ飛び込み宿泊できるか確認、オーナー夫婦がやさしく迎え入れてくれてひと安心。今の時代にハワースと聞いてピンとくる人はどれだけいるのだろう。きっと英国文学好きな人くらいだろうか。18世紀の作家で詩人、『嵐が丘』を書いたエミリー・ブロンテの生誕地。10代の頃、エミリー・ブロンテの情熱的な文章にひかれ『嵐が丘』に登場するヒースの花が咲き乱れ一面を紫色にした荒野を見てみたいと、四畳半の狭い部屋でひとり想像した。残念ながら冬なので花など咲いてるはずはなかったが…。その日は長時間移動の疲れもあってひとまずゆっくり身体を休めた。
 2日目、朝食後に念願の荒野をめざした。荒野まではウォーキングコースがあり詳しい案内マップも用意されていたが、何せ冬、しかもイギリス北部(しつこい...)、ウォーキングを楽しむ人などいない。冬の冷たい風が吹く荒野は季節はずれにやってきた日本人を独り占めに受け入れてくれ、雪の残る地面をぬかるみに足をとられながら歩いた。荒野の中に寂しげに佇む崩れた廃墟トップウィンズで持って行ったランチを食べながらここまでやって来た実感をしみじみと味わった。「あぁ、一面のヒースの花が見たかった…」と思いつつ、いや、雪まじりの凍てつく風が吹きすさぶ荒野こそエミリー・ブロンテらしい世界観じゃないか!と気をとり直して五感で堪能した3時間半だった。街に戻った後は記念館となっているブロンテの生家やゆかりの地を巡り、この日もハワース泊。

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ロンドンの夜

   3日目の朝、ハワースを出発し昼過ぎに一旦ロンドンへ。その日の深夜に寝台列車で南西部へ向かうことにしていたがそれまでの時間が空いていたので、これで最後だしとベタにテムズ川下り、タワーブリッジなど観光コースをまわってコベントガーデンで買い物。作家ものの雑貨やアクセサリーを見てると楽しくなってあげる人の顔を思い浮かべながらいくつか買った。帰国後にお土産として渡す時、相手の微妙な反応を見て何故いかにも英国という物を選ばなかったのか...自分のズレた感覚を少し反省した。
 まだ時間もあったので、せっかくだからと急遽チケットを買ってロンドンコロシアムで英国ナショナルバレエの『不思議のアリス』を観劇した(習ったこともしたこともないが若い頃バレエ鑑賞がとても好きだった)。ちょうど初上演の日だったようで歴史を感じる荘厳な劇場にセレブっぽい綺麗な服や正装の人たちがたくさん観にきていて何ならTVカメラまでいた。そんななか、私はバックパッカー的な格好で同じ入り口から入り、ロビーをウロウロしていると「きみはこっちだよ!」みたいな感じで別の入り口へ案内され、はるか上方の席にたどりついた。開演を待っていると隣の席にいた若い女の子が興奮した様子で何やら声を上げている。「?」と思ってよく聞くと、「プリンセス・ダイアナよ!」みたいなことを叫んでいた。「へえ〜」と思って下を覗き込んだが私の席からは下方のダイアナさんに用意されたような華々しい席はよく見えない。バレエは凝った舞台演出でアリスの世界観を見応え充分に伝えていた。終演後、外に出るとちょうどダイアナさんも出てくるところで道路の反対側から人だかりのなか小さく見える姿をお見送り。ダイアナさんが皇太子妃ではなくなってしまう半年前のことだった。
 さあ、急いでウォータールー駅へ向かい、0時前発の寝台列車に乗って南西部へ向けて出発。2人部屋の個室だったが幸い他の客は乗って来ず1人で独占できた。約1畳半ほどのスペースに2段ベッドや備え付けの折りたたみ机、それを上げると洗面台が隠れているなかなかの設備に感嘆、列車旅を満喫した。朝、乗務員さんが持ってきてくれたティーサービスも嬉しかった。

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海辺の街ペンザンス、そしてセントアイブスへ

   4日目の朝、イギリス南西部の終着駅、海辺の町ペンザンスに到着。海沿いの駅を出て海を見ると向こう岸にイギリス版モン・サン・ミッシェルと言えるセント・マイケルズ・マウントが見えていた。ひとまず泊まるところを探す。駅の真ん前のB&Bに飛び込みむと一瞬怪訝な顔をされたがパスポートを見せると信用してくれた。部屋に荷物を降ろし、すぐにひとつめの目的地マラザイアンへバスで向かう。10分ほどで到着。雨と風が強くなってきていたが、グリーンとブルーがきれいな海、荒れる波の向こうにさっきより大きく堂々とセント・マイケルズ・マウントが佇んでいた。風に吹き飛ばされそうになりながら、潮のひいた道を歩いて向かう。中世の古く重厚な石造りの建物は児童文学の物語で想像したような情景と重なり、探検さながらわくわくしてあちこち見てまわった。元は修道院や要塞として使われていたということもあってかピンと張った重い空気も感じた。
 一旦ペンザンスに戻り、今度は列車で約30分のセント・アイブスへ。セント・アイブスと聞いてピンと来る人は美術好きか民芸好きでしょうか。陶芸家のバーナード・リーチが窯をもち、浜田庄司も滞在して作陶した地。たまたまTVのドキュメンタリーで2人がセントアイブスで作陶する様子を見てとても印象に残っていた。
 セントアイブスに着く頃には結構な雨になっていた。港街の細くくねって海が見え隠れする道を適当に歩く。セントアイブスは芸術の街でもあり、あちこちにアトリエやギャラリーショップが並んでいた。素敵な陶作品の数々に感激するが、こんなの買って帰れないと見るだけで諦める。さらに雨と風が強くなり海べりのカフェに入り荒れる海を見ながら紅茶とサンドイッチでランチ。再び歩き出し海沿いの端まで行きつくと荒れる波をしばらく眺めて過ごした。波や雲って何でいつまでも見ていたくなるんだろう。引き返して駅に着くと列車が行った直後で次まで時間もあったので適当なパブに入り暖をとりつつ時間つぶしに自分宛に絵はがきを書いたりした。再び駅に着くと悪天候による高波のせいで列車がストップ。仕方なくタクシーで戻ることになった(この時の代金は払ったのかな?記憶がない)。
 ペンザンス駅前に着き、グレーの厚い雲に覆われた夕暮れ時の駅構内をのぞくと静まりかえっていた。海の向こうには午前中とは様子を変えて完全に海の中に浮かぶセント・マイケルズ・マウントが見え、手前に伸びる線路には際まで高くて白い波が飛沫をあげていた。荒れる海を見ながら旅の終わりと再び始まる元の生活を思い、空と同じようにどんよりと重い気持ちが心の底にくすぶり始めるのを感じていた。こんなことを書いても共感してくれる人は少ないかも知れないが、冷たく強い海風に吹かれながらイギリスの南西の果ての街に外国人としてひとりでいて、自分のことを知っている人は誰もいないのだという開放感と孤独という自由(それが一瞬の感覚だとしても)にとてつもなくぞくぞくしたものを感じた。そして、どこにいようが自分は等身大の自分でしかなく、自分で自分を動かして生きていくしかないのだと、ごくあたり前のことを実感した。そんなイギリスの5週間だった。

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 5日目、ついに帰国の日。昼過ぎにはヒースロー空港に着いていなければならない。B&Bで最後の朝食を楽しんだ。私はトラディショナルブレックファストというメニューがとても気にいっていた。薄めのトースト数枚にジャム(時には揚げたトーストがついてることも!)、カリカリに焼いたベーコンときのこ、ソーセージ、目玉焼、焼きトマトなど、ドリンクは決まってオレンジジュースと紅茶をオーダーした。「あ〜、しあわせ♡」とかみしめながら食べていたら列車の出発10分前になっていた。時間を伝えていたためオーナーのおじいさんが「hurry!hurry!」と心配してくれるなか、駅前だし、まだ大丈夫だろうなんて最後まで美味しいしあわせにひたっていた。自分は結構のんびりな人なのかもってのも、この旅で発見したことのひとつ。
 ロンドンまで列車で約5時間。この旅で体験した列車や乗り物にゆられて移動する感覚、車窓の景色を見ながらぼーっとして日常から離れられる時間は自分にとって至福のものとなり、この旅以降はお金と時間の事情により海外へ行く機会は作れないまま長い時が過ぎて旅は専ら国内になったが、今でも私が旅をしたくなるのは定期的にその感覚を身体に体験させたいからが主な目的で、有名な観光名所や食を楽しむよりは歩きまわってその場所の空気を感じたいからのように思う。コロナが落ち着いたら、そろそろまた海外に旅しに行きたい。

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おまけ、食について

    イギリスの食は一般的によいイメージがないようだけれど、私はまるで問題なく過ごし特に日本食が恋しくなることもなかった。
2週間ほどたった頃チャーハンと餃子が無性に食べたくなったがロンドンに遊びに行った際に中華料理店で食べたら気が済んだ。ホストファミリーが出してくれた家庭料理は感心するほどゆでたじゃがいもやにんじんが多かったけどミートパイとかも数種類あって結構好きだった。5週間の間、メモ帳に簡単な日記をつけていたのだけど、中盤からほぼ食事日記になっていったのは自分でも笑える。
 カフェで気に入ってよく食べていたのはクリームティーとバゲットサンド。大きめのスコーンふたつとたっぷりのクロデットクリームとジャム、バターが添えられており、紅茶はポットでお湯は自分で注ぎ濃さを好みに調整できた。イギリス人がお茶の時間を大切にしてるのが伝わってきたし、このセットは見ただけでいつでもしあわせな気分にさせてくれる。バゲットサンドは、少しカリッと焼いたバゲットの横に切れ目を入れ、刻んだレタス、トマト、きゅうりにスライスバナナとクリームチーズ、カリカリに焼いたベーコンを挟んだもの。これが美味しくて!!自分のカフェをオープンしたら、このふたつをメニューに入れられないかと目論んでいる。

最後に

 長文を読んでくださり、ありがとうございました。ずいぶん時が経ってるのに鮮明に憶えていることに驚きつつ、ついどんどん長くなってしまいました。

※現地で撮った写真が手元になく、画像は全て買ってきたポストカードですが雰囲気を感じてもらえたら嬉しいです。


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