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フジロック冒険記/0701時任


フジロック冒険記

山

2019年の7月にフジロックへ行った。 旅じゃなくてフェスに行った話じゃないかというツッコミが入りそうだけど、間違いなくフジロックは旅だ。

フジロックには長年の憧れがあった。中学生の頃に洋楽を聴き始めて、山に篭って三日間続く音楽祭があると知り、夢に見ていた。昔作ったZINEにもこう書いてある。

ふじろっくじん

インドは置いておいて、念願が叶ったのだ。たまたまが重なって、行けることになったという具合である。

偶然が重なっての実現


2018年の台風21号で当時勤めていた会社の施設が倒壊し、半年ほど自分の会社の仮施設でのサポート業務のような仕事に持ち回りであたっていた。そこで何度か一緒になった現場職員のWさん(父より年上)と音楽の話で盛り上がり、冗談で「いつかフジロックに行きましょう。」と話をしていた。しかもWさんの娘さんはバンド(現在はご夫婦でStill Dreamsというドリームポップのユニットをしていて、サブスクにも音源があるので是非聴いて欲しい。)をやっており、私はそのバンドのライブを以前観たことがあったというミラクル。そのタイミングで偶然、例の働き方改革により強制的に有給休暇を取る義務(それまでは取れたものではなかった)ができ、「5連休をとってフジロックに行きます。」と2019年の3月くらいに課長へ宣言し、よし行ってこいという感じでフジロック行きが決まった。

フジロックとは

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フジロックは毎年新潟県の苗場スキー場で7月に開催される1997年から始まった、日本屈指のロックフェスである。前夜祭を含めると計4日間あり、観客はキャンプサイトにテントを張ったり、近くのホテルに泊まったりして音楽漬けの非日常を味わう。国内外から豪華ラインナップが揃い、タイムテーブルは29:00という何時かよく分からない深夜(朝?)まで続く。

準備

行くとは決まったものの、アウトドアに慣れていない自分はかなりビビっていた。フジロックは普通のフェスではないと昔から知っていて、広大な会場でステージ間の山道の長距離徒歩移動、そしてころころ変わる天気、雨が降らなかった年はほとんどない。W家は昔からアウトドアに家族で行ってるらしく、アドバイスを受けながら道具を揃え(カッパや靴は絶対に登山用でないと凌げない)、テントは後輩に借りた。大阪から苗場までは、Wさんの知人の車を借りて2人で交代で運転していくことにした。運転に関しても私はペーパードライバーで、調べてみると片道8時間近くかかる運転にかなり不安も抱えていた。

Wさんについて


Wさんの様な大人に(元)職場で出会えるとは思っていもいなかった。音楽が好きだと言う大人も「昔はよく聴いたけど、最近の音楽は聴かないなあ」ということが多い。自分もそうなったら嫌だなと考えていたが、Wさんは昔の音楽はもちろん詳しく、ラジオとApple musicを駆使して新しい音楽をどんどん聴いている。忙しくて毎日が戦場の様な職場だったけど、Wさんが音楽雑誌を貸してくれたり、音楽やアートの話をするのが楽しかった。優しくて仕事のできる尊敬する大人だ。仕事をやめた今でも交流があるのはWさんだけだ。しかしDaughterというバンドの話で盛り上がれる60代が職場にいるとは...

苗場までの道


メンバーはWさん、Wさんの娘さん、私という3人で運転は免許を持つWさんと私の2人ですることになっていた。運転に関しては意外と問題なく、長時間で流石にお尻が痛かったけど、車中では各々が持ってきたCDを聴きながら楽しく向かった。そして高速を降りて、山中にある苗場スキー場が近づくにつれて周りの風景は本当に、天上の世界のように変わっていった。空気は澄んでいて、下界ではみないような植物、これは言葉では伝えられないような感覚だったけど、3人は同じ感覚を共有していた。

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しかしよく考えてみれば苗場スキー場の標高は約900m、スカイツリーは634mで天上の世界という表現は自然かもしれない。

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ついに苗場スキー場へとついた。この時の気持ちも忘れられない。山にかかる霧、そびえ立つ苗場プリンスホテルの白さ、山の斜面に張ってあるテントの数々、祭りの予感。

1日目 フジロックの洗礼


W家の2人はMOON CARAVANという車の隣にテントを張れる区画のチケット、私はテントのみ張れるキャンプサイトのチケットをとっていたのでそれぞれの区画へと向かった。

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キャンプサイトは前日にもかかわらず、沢山のテントがすでに所狭しに並んでおり、皆これから始まる祭りを前に高揚していて、ヒッピーのコミューンのような雰囲気だった。無事平らな場所にテントを張り(後からきた人たちは山の急斜面にテントを張るしかない。)、先にグッズを買おうと売り場に向かった。

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グッズ売り場は長蛇の列ができており、並ぶのをやめようかなと思ったけれど、ライブが始まる明日以降は絶対に並ばないよなと思い、並ぶことにした。しかしとにかく列が進まない。そんな時にさっきまで気持ちよく晴れていた雲行きがだんだんと怪しくなり、ついに降り出した。フジロッカーは全員カッパを持ち歩いているので、私もさっと出して羽織った。雨はどんどん強くなり、気温は下がり、列は1時間並んでも進まない。ひたすら耐える。結局グッズを買うのに約2時間、大雨の中耐えた。これがフジロックか〜と逆に嬉しくなったりしたけど、後から考えるとこれは序の口であった。ちなみに並びすぎて前夜祭のライブにはいけず。グッズはオンラインで事前購入するのが吉!

2日目 Field of Heaven

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初のテント泊も疲れていたのでぐっすり眠れて、難なく2日目(フジロックの初日)を迎えた。フジロックで最初に観たのはField of Heavenというステージの中村佳穂。フジロックの魔法も手伝って、多幸感の極みというようなライブで、後から考えたらベストアクトと言ってもいい程の体験だった。周りの知らないみんなと一緒に泣いた。

3日目 豪雨と謎エネルギー

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初めてのフジロックを満喫していたけど、来場客は皆台風の接近を気にしていた。その後苗場に着く前に温帯低気圧に変わったが、雨雲がこちらへ向かってるらしい。

3日目の朝、キャンプ初心者の私は心配でキャンプサイトにある、「キャンプよろず相談所」へ向かった。暴風、豪雨の対策を尋ねた所、「とにかくテントにシワができないくらいピンと張ることです。なんとか乗り越えましょう。」ということだった。アドバイスを元に再度テントを点検し、ペグを打ち直した。

いつからか雨が降り出し、日が暮れるにつれてどんどん天気は悪くなっていった。そして日が暮れると土砂降りに変わった。とにかくすごい雨で、流石に身の危険を感じてトリのアーティストを観ることは諦めて、テントへ向かった。道中、大量の雨水が坂の上から川のように流れている箇所がいくつかあり足元は暗く、懐中電灯で照らしながら暗い山の中を進んだ。でも謎のエネルギーがどくどく湧いてきて、キャンプサイトは似た様なテントが並び、暗くて場所もはっきり分からないはずだけど、流れる水の中をぐいぐい進み、山を上り迷うことなく一直線にテントへとついた。テントはなんとか無事だった。一息つく間も無く、水が天井からポタポタと落ちてきた。そしてテントの下に水が入り込んできて、まるでウォーターベットのような状態になった。恐怖感に襲われたけど、たまたま100均で買った小さなビニール袋100枚セットを持参していた為、天井を補強し、床一面にビニール袋を敷き詰めた。エアマットの上に寝袋を着て、テントを打ち付ける雨の物凄い音と土砂崩れの恐怖の中、耳栓をして祈るように眠りについた。

この時湧いてきた謎のエネルギーと頭がどんどん回転して対処した感じは、ちょっと今までに味わったことのない不思議な感覚だった。

4日目 乗り越えたご褒美

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4日目の朝を迎えた。「よろず相談所」のアドバイス通りの対策をして、テントはなんとか持ち堪えた。雨も上がり、次第に晴れてきて、まるで苦難を乗り越えたご褒美のようだった。私は使い捨てのインスタントコーヒーの粉を持って、お湯の配給へ向かった。普段まずくて飲めないインスタントコーヒーがこの時は人生最高の味だった。浸水しているテントもあり、ホテルのロビーを避難所といて開放しているらしい。雨の重みで潰れたテントもいくつかあったけれど、キャンプサイトは安堵の雰囲気だった。みんな強い。

フジロックの最終日、最後まで観てもう一泊して帰る予定となっていた。その日は唯一ずっと晴れていた(小雨は晴れのカウント)。本当にご褒美のようなラストデイで、夜の森の中から観たThe Cureは最高だった。

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夜中に観たいバンドが一つあったけど、翌日の車の運転を考えて諦めてテントへ戻ることにした。

テントへ着いた瞬間、聞き覚えのある音楽が遠くから聴こえてきた。それは泣く泣く観るのを諦めたバンドの曲だった。ステージからテントまで、かなりの距離があるはずなのに風に乗ってきたのだろうか。最後にこんなご褒美があるとは...と感動し、前日の恐怖と現在の幸福感、ここはすごい所だなとつくづく思った最後の夜だった。

5日目 旅の終わりと小さな仲間


無事朝を迎え、テントを畳み、車に乗り込んだ。車中でフジロックのステージを振り返り、大変な思い出もいろいろ話した。そして3人とも共通だったのが、「また絶対に行きたい。」という気持ちだった。私は様々なライブやフェスに行ったけど、フジロックは間違いなく別格だった。それは3日目の豪雨の夜に体験した不思議なエネルギーの件もあるけど、あそこは文字通り天国なのだ。みんなそれぞれ仕事や日常に追われ、下界を離れてフジロックで踊り、そしてまた下界に降りてゆく、そういう場所だ。

今回、災害と呼べる程の大変な経験を書いたけれど、フジロックは本当に運営がしっかりしていると感じた。「キャンプよろず相談所」のアドバイスのおかげでテントを守れたし、危険と判断したイベントは中止や短縮し、可能な限りでライブは続行されていた。現場にいたみんながそう思った様に、私もまた絶対にフジロックに帰ろうと決めている。

家に帰り荷ほどきをしていると、クワガタ虫がリュックに付いていた。苗場から一緒に着いてきたみたいだ。

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彼にフジ君と名付け、残りの夏を過ごした。

〜終わり〜


お知らせ

長文となりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。私はアートチーム「海と梨」として絵を描いたり、絵画技法を応用したLeon art jewelryというアクセサリーブランドをしています。7月は横浜と東京で展示の予定があるのでお知らせをさせていただきます。

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