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記憶の奥で息づく、祖母のサーターアンダーギー/1013 陽風

   今月は「食」ですね。みなさんにオススメの味でなくて申し訳ないのですが、私にとって大切な味のひとつ、祖母が作ってくれたサーターアンダーギーの思い出について書きました。

 私の母の一族は沖縄出身の家系で母の旧姓も一聴すれば沖縄の人間とわかる苗字。そんな母ですが、生まれ育ったのは熊本県。戦争中、母が生まれる前に母の両親とその兄弟家族たちとで沖縄に残る親戚たちと分かれて本土に逃れてきて熊本や大阪に住みついたのだそうです。
 私が幼少の頃は、夏休み、お正月、春休みと長期休みのたびに母の実家に帰省していて、祖母は私たちが来る度に大きなお皿に山盛りのサーターアンダーギーをつくってくれた。サーターアンダーギーの材料はシンプルで、薄力粉、たまご、砂糖(黒糖)、ベーキングパウダーくらい。それらをボール入れて混ぜ、ねっとりした生地をつくる。片手でたねを適量つかみ取ってぐっと握り、親指と人差し指でつくった輪から小さな丸い玉くらいのたねをしぼり出し、熱した油の中に投入する。低めの温度でじっくり揚げるのでそこそこ時間と手間もかかるお菓子だと思う。祖母が手で器用にたねを絞り出して揚げてくれるのを子どもながらわくわくと眺めた。丸い形を崩すようにぽこっとできた割れ目でふたつに裂いて外側のカリッとしたところからかぶりつき、口の中で内側のさっくりした部分の感触も味わう。油をいっぱい吸い込んだ甘い味もさることながら、その感覚も好きだった。

 私が小学校1年生の秋、祖母は突然くも膜下出血で倒れ、その後は半身不随となりほぼ寝たきりの生活で会話もほとんどできない状態になってしまった。悲しいけれど祖母との楽しい思い出とサーターアンダーギーの記憶はそこで途切れた。それから5年の闘病の末、亡くなった。その後、母が数回つくってくれたけれど祖母のあの思い出の味を超えることはなく、百貨店の沖縄フェアなんかでサーターアンダーギーを見かけるとつい買ったりもするけれど、やはり祖母の味は記憶の奥で特別な位置を保っていた。もう何十年も。
 
 どうやら、そんな風にノスタルジックな想いをもっていたのは私だけではなかったようで、2年くらい前から兄が思い立ったように時々サーターアンダーギーをつくるようになった。初めはサーターアンダーギーミックス(ホットケーキミックスみたいなもの)なる混ぜるだけの簡単なものを使っていたのに、だんだん慣れて最近では材料の配合も自分でするようになっているらしい。しかも、どんどん腕も上がってきている。なかなかやるな、兄!
 いつか、「cafe陽風」のオススメの味のひとつになっていたらおもしろいな。
 (画像のサーターアンダーギーは兄の作です)

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