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俺は「憎めない悪役」が憎い!

「憎めない悪役」という概念がある。悪に徹しきれていなかったり、間抜けで可愛げがあったり、視聴者の共感を得たり、様々な理由でそう言われるキャラクターがいる。
代表的なものだと「タイムボカン」シリーズの三悪、「それゆけ!アンパンマン」のばいきんまん、「Yes!プリキュア5」のブンビー、「恐竜戦隊ジュウレンジャー」のバンドーラ一味など。
しかし私はこの「憎めない悪役」という概念が嫌いだ。なぜなら…





それを理由に罰を受けない事があるから

「激走戦隊カーレンジャー」のボーゾックは人間臭さが魅力のコミカルな悪の組織である。総長ガイナモはエグゾスやリッチハイカーに良いように使われていてその中間管理職の悲哀は全国の父親の共感を呼んだだろう。中盤以降はギャグ要素や可愛さが強化されどんどん丸くなっていった。
しかし彼らは平和な星を見つけては略奪と虐殺を繰り返し最終的に爆破する非常に残忍な集団なのだ。やっている事は宇宙海賊バルバンと同じなのだ。
そんなボーゾックだが最終的にカーレンジャーと和解する。前の回でカーレンジャーの基地を壊滅させておきながら「昨日の敵は今日の友」とあっさりと和解する。
暴走皇帝エグゾスが共通の敵になったからという理由からだが巨大化してエグゾスに立ち向かったガイナモはともかくゾンネットやゼルモダはなんの禊ひとつなく無罪放免される。
特にゾンネットはまさに「美少女無罪」で放免された言っていいだろう。
道楽でハザード星を花火にされたダップは泣き寝入り…というか復讐という動機がいつの間にかなかった事にされている。

これが「憎めない悪役」の危険性である。
視聴者が憎めなくてもヒーローが憎む事をやめるなよと言いたい。まあ、ダップのあれこれは同じ高寺Pの「星獣戦隊ギンガマン」の黒騎士でブラッシュアップした上で完璧なオチをつけているので作っていた側も自覚があったのだろう。

 


もっと酷い例

一応ボーゾック連中は義務教育を受け人間社会に適応する姿勢を見せたので最低限の改心はしている。行くべきは学校じゃなくて刑務所だと思うのだが何もしないよりはマシだ。
サムネイル画像の「恐竜戦隊ジュウレンジャー」の敵組織バンドーラ一味なんて最悪だ。ラスボスに丸投げして生存した点まではボーゾックと同じなのだが、なんと彼女らは全く改心していないどころか再度の侵略を宣言している。



もっと、も〜っと酷い例

「騎士竜戦隊リュウソウジャー」のクレオンやプリシャスはなあなあで生存しているがこの作品は脚本家の逆張りで善悪が雑に相対化されておりヒーロー不在とも言える非常に稚拙な作風なので誠実といえば誠実なのだろう。生存競争の域を出ない単なる殺し合いをスーパー戦隊でやるなという話だが。

「Yes!プリキュア5」のブンビーはプリキュアシリーズを代表する憎めない悪役であり、部下を使い捨てるカワリーノに怒りをぶつけながら死んでいった。
…はずだったが次回作「Yes!プリキュア5 GOGO!」で当たり前のように生存。新たな悪の組織エターナルに所属するが、終盤に前作の雑な焼き直し展開で離反する。別にこれといって改心はしていないがなあなあでキュアドリームと和解し最後まで生存。勧善懲悪としてもダメダメだし、何より前作での美しい最期が台無しである。
まあGOGO自体が5最終回を台無しにしたクソ続編の典型例なのでブンビーだけを叩いてもしょうがないのだが…
プリキュアシリーズは敵幹部を殺さない場合はしっかり改心させることが多いので余計に悪目立ちする。



最後に

そもそも「憎めない悪役」とはそんなに高尚な存在なのか?
吐き気を催す邪悪であるマキマや無惨は憎めない悪役に比べて低俗なのか?
私は違うと言いたい。他ジャンルならともかくヒーロー作品ならば非道の限りを尽くす悪役は基本的にしっかり制裁を受ける。ジョジョのラスボスを観て欲しい。みんな情けない断末魔をあげて死んでゆく。この時点でもう憎む必要はないのだ。
作中でろくに制裁を受けずに放免された悪役以外は皆「憎めない悪役」なのである。



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