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対談 渡邉良重×宮田識 /「渡邉良重の原点、そしてこれからも続いていくもの」前編

(この記事は、2021年11月5日にD-BROSの公式HPに掲載したものです)

D-BROSの数々のプロダクトを手がけてきたキギの渡邉良重さんが、3年振りに手がけたカレンダー『BOYS & GIRLS &』。(2021年カレンダー)今回は発売を記念して、久しぶりにD-BROSのクリエイティブディレクター宮田識(みやたさとる)と対談していただきました。台本のない会話はまるでお正月に帰ってきた娘と父が話しているかのようで、話はまず、ふたりの出会うことになったきっかけの話から始まりました。

宮田 良重さんは26歳の時にうち(ドラフトの前身となる宮田識デザイン事務所)に来たんだよね。

渡邉 26歳の終わりですね。私は山口大学を出て、そのあと2年間ほど筑波大学の研究生をして、そのあとドラフトの前は短くはあるんですが2社行ってるんです。そのあと、ドラフトに「もし人を採用する気持ちがなくても面接だけしてください」という内容の手紙を書いたんです。

宮田 それは何がきっかけだったの?

渡邉 前の会社を辞めようと思った時に、「次はどこに行こうかな〜」なんて雑誌の『コマーシャルフォト』と『イラストレーション』を見てたときに、ちょうど宮田識デザイン事務所というのが両方に出ていて。それで、『ZOOM』という写真雑誌のポスターを宮田識デザイン事務所が作ってたんだと知ったんです。当時、写真美術館で見たそのポスターの記憶が残っていたので、「あっ!」と思ったのがきっかけですね。

宮田 それは、フランスの『ZOOM』を日本版にした時のだな。

良重さんがDRAFTに入社しようと思ったきっかけとなった『ZOOM』という写真雑誌のポスター


渡邉 私は美術館でそのポスターを見ていなかったら、宮田識デザイン事務所に手紙を書いてなかったかもしれない。

宮田 そこから長い付き合いですね(笑)。

渡邉 はい(笑)。入社して少ししたら、宮田さんの下でやっていたラコステの仕事で小さなイラストを描くことになって、土日はその絵を描いたりしてました。ちょうどそれと時期を同じくして、『太陽』という月間誌からの仕事の依頼もきて。そっちは2色のモノトーンページだったので、えんぴつで描いて、ラコステの仕事はすごく小さくてカラーだったので「そうだ、久しぶりに絵の具を買おう!」と思って、透明水彩を買いに行きました。ラコステの絵はそれで描いてました。

宮田 どんな絵を描いていたんだっけ? 

渡邉 雑誌の「縦三分の一」って呼んでいた広告スペースがあって、そこにラコステのコピーがあって、それに合わせて私が絵を描くという感じでした。結構、描きましたよ。


渡邉 その頃、掲載する雑誌が3冊くらいあって、原画を描くと当時はそれを複写して、ポジにして、一つは原画入稿、他はポジで入稿するんですけど、圧倒的に原画で入稿した方が出来がよかったんですよ。それで私は、3冊雑誌をやっていたので、同じ絵を3つ描いてました(笑)。それでも絵の出来も違うので、一番好きな雑誌に、一番好きな絵を入稿してました(笑)。

宮田 すごいね。カレンダーはその頃から作り始めたんだっけ?

渡邉 私がD-BROSに参加するのは1997年なんですが、カレンダーはまだD-BROSの商品になる前に、ドラフトの中でカレンダーのコンペをやってたんですよね。やっぱり広告の仕事をやっていると自分の表現っていうのをそんなに出す場もないから。カレンダーのコンペは投票して決めるので、私絶対作りたい!と思って。



後編へつづきます!

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