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社員旅行によせて

私は、学校や地域の行事が大嫌いだった。
全くナンセンスで、くだらない慣例に付き合わされるのは御免だと強く思っていた。
しかし、何故そんな人間が"社員旅行"を企てるに至ったか。
バブル崩壊より30年以上が経ち、先進国間の経済体制の激変、その潮流に全く立ち遅れてしまった日本。かつて保守的な経済体制、家庭内手工業的な零細中小企業が戦後の繁栄を支えてきた事は火を見るよりも明らかである。
しかし、その構造も精神性も全て雲散霧消し、今やその形骸化した根性論だけが残り、我々の日常から暗雲は晴れるどころか、ますます濃くなり続ける事だろう。

かつて、旅行というのは特別なものであった。ハレの最たるものであった。経済的豊かさが未だ達成される前においては、社員旅行、新婚旅行位が数少ない旅へ行ける機会だった。HISなどが提供する格安パック旅行すら忌避される現代では隔世の感があろう。
社員旅行、新婚旅行、町内会の旅行などは貴重な機会というだけでなく、礼儀作法や礼節、社会のモラルを学ぶ場でもあり、それを前提とした上での無礼講が許さる上下を越えた交流の場であった事も確実なのである。
私の世代(1987年生まれ)は、そういった旧世代的なハレの日を味わえたと同時に、その悪弊(パワハラ、アルハラ、セクハラ、セクシズムetc)をも体感した分水嶺的な世代である。
その私が、社員でも会社組織でもない、現代的に出会った交流圏の人々を招いて"社員旅行"を行うわけである。かつて市井の人々が当然としていた光景、景色を受動的に失ってしまった若者達にこの機会を届けたいと思った次第である。
正に、これは民俗学、文化人類学的な実践である!と、すら思っている。

この二日間では出来れば現代的物差しではなく、パワハラ、アルハラ、セクハラ(これに関しては例えネタでもやり過ぎている奴は肉体的制裁を我々指導部配下の武闘派により完遂するので何かあれば僕か山本さんなりに裏で伝えてください)のような行動も、かつて日本で行われていた儀式のようなものとして演劇的にやれたら良いかなと考えている。
前提として、この二日間は完全に非日常であり、意味不明なのだ。
それを、全力で楽しむためであれば金も時間も私にとっては大きな問題ではない。

古くから良い言葉が本邦にはある
「旅の恥はかき捨て」
各員全力で楽しむべし!!!

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