さようならCP 愛は障害者を救うのか?感動ポルノに喧嘩を売るドキュメンタリー映画
脳性麻痺者で組織された障害者団体「全国青い芝の会」のメンバーの活動を描いたドキュメンタリーで、物語は、後に同会の第2代会長を務めた横田弘さんの行動を軸に構成されている。原一男、監督第1作。
1961年、茨城県新治郡に関東一円の脳性麻痺者を集めたコロニー「マハラバ村」が、建設された。
原一男監督は、そこで横田弘や横塚晃一をはじめとする「青い芝の会」のメンバーと出会う。
彼らは、障害者だからといって、片隅にこっそりと隠れるように生きることは障害者差別を容認すると考え、その不自由な体を積極的に人前に晒していく。
「青い芝の会」は、もともと脳性麻痺者の交流や生活訓練などを目的とした団体だったが、次第に社会運動色を強めていき障害者の福祉や生活保護や障害者年金などの生活問題で、厚生省など官公庁などに陳情や交渉を行うようになった。
「青い芝の会」を有名にしたのは、川崎市の路線バスが車椅子の乗客を拒否したことに抗議するため川崎市の路線バスに乗り込んで暴動を起こした「川崎バス闘争」だった。暴力を辞さない手法は、賛否両論だったが、公共交通機関のバリアフリー問題に一石を投じた。
映画では、「青い芝の会」の主要メンバーである横田弘や横塚晃一が、街頭募金活動したり、「障害者だからといって殺されていいわけじゃない。私たちも人間として自由に生き、そして生活を生きたいのです」と脳性麻痺者の人権を訴える街頭演説をしたり、詩人でもある横田弘が自作の詩を街や駅で朗読する「青い芝の会」の活動を軸に、原一男監督が密着して撮影していく中で、募金する市民が原一男監督に「何故募金したんですか?」と質問され異口同音に「体が不自由でかわいそうだから」と答える無意識な差別意識、世話をされジロジロ見られる受け身な立場に対抗するように手足を使い這うように歩いたり市民にカメラを向けることで「障害者を異物として閉じ込めておく健全な市民社会」に喧嘩を売る「青い芝の会」のポリシー、障害者の家族すら「街に出ることや恋愛や結婚そして施設以外の場所で暮らすことだけでなく、脳性麻痺者が自らの体を晒すことに反対する」母性という名のエゴ、「自分が人間として劣っている」と卑下してしまう脳性麻痺者のぬぐい難い劣等感とそれに抗う葛藤が、炙り出される。
這うように手足を使い進んだり、筋肉の不随意運動に抵抗しながら写真を撮る脳性麻痺者の不器用で不自由だが、力強く生々しい生きる力に満ちた姿が印象的な傑作ドキュメンタリー映画。
「私たちも人間として自由に生き、そして生活を生きたいのです」
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