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天理本は「かゝらハ引、ひかは引付」陽明本は「懸らばひけ、しりぞかば引付くべし」。 桶狭間の謎が解ける!? 新解釈・桶狭間の戦い まとめ その21

166 この信長の訓示は、内容が正しいということのほかにもう一つこれまで大きな誤解があった。それが原文の「かゝらハ引、ひかは引付」という部分だ。これは信長公記『天理本』の記載だが、これまでよく読まれてきた『陽明本』では「懸らハひけ、しりそかは引付」となっている。#信長 #信長公記 #桶狭間

167 『天理本』では「かからば引」とあって『陽明本』のように「け」とおくっていない。つまり「引」は「退け」ではなく「引く」と読むのが正しいはずだ。そのあとは「ひいたら(退いたら)ひきつけ(引き付け)」と読むべきだろう。#信長 #信長公記 #桶狭間

168 つまり「かゝらハ引、ひかは引付」は「敵に攻めかかっていったなら、敵は支えきれずに退くはずだ、敵が退いたら逃さないようにひきつけろ」という意味になる。『陽明本』だと「攻めかかっていったら引きあげろ、敵が撤退したら引き付けろ」という変な話になる。#信長 #信長公記 #桶狭間

169 これから突撃する軍勢に対して攻めかかったら退けと言うことなどありえないだろう。この部分は意味が通らないにもかかわらず、『陽明本』にあるために昔から誤解されてきた部分だ。多くの人はこの矛盾に気がついていないのかもしれないが。#信長 #信長公記 #桶狭間

170 信長の訓示の時点では、信長も家臣らも今川方の状況を誤認などしていない。善照寺砦や中島砦の将兵は、夜明け前から移動し、あるいは砦を攻めて疲れ切った今川勢が撤退していくのを見たと考えるべきだ。#信長 #信長公記 #桶狭間

171 家臣らが何度も信長の出陣を阻止しようとしたのは、兵力の差を実際に見てわかっていたからにすぎない。そこへ佐々・千秋の戦いに参加していた前田又左衛門利家らが、敵の首を持ってきたので、信長は彼ら一人ひとりに同じことを言い聞かせたのだ。#信長 #信長公記 #桶狭間

※写真は2016年の桶狭間再現劇(緑区の古戦場公園で開催)

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