桶狭間の謎が解ける!? 新解釈・桶狭間の戦い まとめ その3

19 信長公記は太田牛一による直筆本以外にも様々な写本が存在している。写本は後世に書き写されているものが多く、明らかな間違いが見受けられたり、内容が少し異なっている事がある。それゆえ吟味が必要となるのだが、では直筆本なら正しいかというと、そうでもないのが難しいところだ。#信長 #信長公記 #桶狭間

20 太田牛一は信長公記を書くにあたり、正しいことしか書かないと宣言しているものの、大名などから依頼を受けて書いたものが多いので、やはり忖度もあれば、盛っている部分もある。また何冊も書いているだけに、書いた時期による変化もある。登場する人名が増減することは多い。#信長 #信長公記 #桶狭間

21 信長公記のいわゆる首巻は、太田牛一の自筆本が未だに発見されていない。写本は町田本、旧南葵(なんき)文庫本、陽明文庫本、天理大学附属天理図書館所蔵本(天理本)の4種類・10点あまりが存在している。このうち陽明文庫本は角川文庫の底本となり、中川太古訳の現代語訳の底本となっている。#信長 #信長公記 #桶狭間

22 信長公記の中でも天理本は他の3種類より古態を留めているとされ、また著しく異なった独自内容を持っている。小瀬甫庵のベストセラー読み物「信長記(甫庵信長記)」に似通った内容があり、それを引き写しているという批判があるが、甫庵の方が天理本を読んで「信長記」を書いたと考える。#信長 #信長公記 #桶狭間

23 天理本の首巻部分を現代語訳したのがかぎや散人氏。18年に発行されたこの本では、単に現代語訳するだけでなく、様々な新しい見解をかぎや氏は書いている。例えば有名な信長の抹香投げは信秀の葬儀ではなく、一周忌の法要としている。首巻には葬儀とはないからだ。#信長 #信長公記 #桶狭間

24 「銭施行ヲ被引」とあって、信秀の追善にと「僧侶に銭を贈る(ほどこす)銭施行」という法要(おびただしいお弔い)を信長ではなく叔父の大雲永瑞(東堂)が行ったということになる。#信長 #信長公記 #桶狭間

25 銭施行の法要は、前年の信秀死後に争っていた信長と勘十郎信勝が和解したことをうけて行われたとかぎや氏は考えている。したがって通説の天文21年ではなく20年が信秀の没年とする。#信長 #信長公記 #桶狭間

26 かぎや散人氏の『現代語訳 信長公記 天理本 首巻』では、万松寺で行われたのは葬儀ではなく銭施行という法事など独自の解釈がたくさんされている。いずれにせよ天理本を現代語で読めるのはいまのところこの本だけなので、参考にすべき。Amazonで購入できる。#信長 #信長公記 #桶狭間

27 天理本を否定する人の多くが、甫庵信長記に似ていると指摘し、甫庵信長記を引っ張ってあるという。しかし、甫庵信長記が天理本を参考にしたと考えた方が自然では。巻十二が甫庵信長記によって補われているのは確かだが、首巻は独自性を保っているといえるだろう。#信長 #信長公記 #桶狭間

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