見出し画像

小説を書きたい人のための講座 内容と感想

先日、ある高校で小説を書きたい人のための講座という市民公開セミナーを受けたのでメモしておく。

まず言葉とは何か?を考えた。
ソシュールの

ものがあるから言葉(名称)があるのではない。言葉(名称)があるからものがあるように見えるのだ

という言説を引いて実体が先にあるのではなく言葉が先にあることを学んだ。

先生は分類を名称によって名づけているのだと言い、人間は言葉を通してしかものを認識できない。

フランス語では蝶も蛾もパピヨンで同じだと言っていた。

先生は認識のフィルターを「認識の窓」と呼びそれを通してしかものを見れないのだと述べた。

認識→知識→語彙の順番で認識は洗練され、語彙の総量で見え方が変わる。

千の語彙と万の語彙の世界は精神世界も外面世界も見えるものが違うのだと言っていた。

結論としてどれだけ多くの語彙を持つかで説明できる世界の広さが変わるとおっしゃった。

次に言葉の働きとして
・意志や情緖を伝える情報としての役割
・読者に対して認識を助ける役割(言葉の専売特許)
・作者がものをあらしめる(世界を広げる役割
があることを教えていただいた。

そして

国語学習の目的はボキャブラリーを増やすこと

と完全に言い切っていた。

ゲリラ豪雨や三密やメタボのように世界にものを生み出すのも言葉の役割としてあるそうだ。

そして、その言葉を通して世界に新しい価値を生み出すのが作家だと言っていた。

ありきたりな表現をプロ作家は使わない、新しい言葉を創造するのが作家の仕事だと述べていた。

そして

文学とは、新しい言葉を創造することで私達に世界の新しい見方、新しい感触、新しい価値を提供するもの

と定義していた。

宮本輝さんは

八百屋のおばちゃんが読めるものを書くと言ったそうだ。

そしてタイトルのナンバーワンは村上龍さんのデビュー作『限りなく透明に近いブルー』と言っていた。

文学賞をとるには、抑制を効かせ書きすぎないで圧倒的に面白いものを書くことだけだと言い切っていた。

文学は事実を書くだけで判断価値観を入れないというのも繰り返し言っていた。作者は極めて冷ややかに自分を突き放したところで文章を書かなければいけない。

そして、書くことのメカニズムとして
文章は後ろ向きに綴るものだと教えてくれた。

書くとは、頭の中にあるものを文字に移すという行為ではなく、むしろ何を書きたいかを発見する営みであると。

言葉の窓を通すとさまざまなものが見えてくる。

後ろ向き歩行だから行き先がわからない。

文学においては迷える羊でいいのだと感動した。

みんな書きたいものなんてないんだ。

書きたいものが何もなくても書けば書けると極意を教わった。

☆文章は一文でも書いてしまうと止められない仕組みになっている。

☆文は何かが足りない形をとる。

☆WHYの積み重ね

☆文章は書きたいものがそこにあって向かっていく作業ではなく5W1Hを埋めていくのが描写である

いわゆる木組みをする。

出鱈目に書いた文にハマる文章を書く。

何を書くのかは出鱈目でいい。小説世界は何を書いてもいい。「書くと書ける」それを知っているのがプロなんですと。

読む力がないと書けない。自分の文章を読む力をつける。岡目八目(第三者視点)を持つ。自分を客観視して書く。

読める人間は書いたものの不足にいち早く気づき穴を埋めることができれば一発で文学賞をとることができる。

今読んでいる文の中の不足に気づいて丁寧に文章を読むならば300枚の文章を書く力がつく。

物書きになるには情報を埋めるのことだ。

そして、冒頭の一文に魂を込めろ。

ライブパフォーミングアーツが文学でフリーインプロビゼーションなんだとここまで聞いて今までの小説を書いてきた蓄積が昇華された気がした。

そして1日目の最後に

世の中に皆さんの文章を本気で読む人は一人もいません。

ただ文学賞の下読みの人達だけが本気で読んでくれます。

彼らはアルバイトですがダイヤの原石を見つけるという自負があります。

良いものが書けていれば絶対上にあげます。

だから書いたものは投稿すべきです。

書くことは即物的仕事で必要なのは論理(ロジック)情緖・感情はないものが書くことです。

冷徹な目で自分の作品を見てください。

最初の記述の力を最後まで貫いてください。

こう書いた以上こう書くしかないという木組みを作ってください。

小説はちょっとしたとっかかりワンエピソードからはじまります。

これを聞いてエジソンの発明と似ていると思った。

そうして1日目が終わった。

2日目は先生の書いた小説の説明から始まった。詳細は省くが言葉が言葉を開く天からは降ってこないと述べていた。

そして小説の三要素は

・描写◎ 90% 人物の動き 見ているもの
・説明× 排除 解説も同じ
・会話△

美しい花 説明 自分の気持ちが入っている評価
小さな紫色の花 描写

読者が想像する余地を残すのがいい小説

豊かな小説→読み方が色々できる
膨らみのある小説→さまざまな解釈が可能

小説の外に影響を及ぼす描写が多いほど小説は膨らむ。⇆痩せた小説

解説をしないこと。

小説家の作業=人を動かすこと
いつどこで誰がどうした

言語化していくことは世界を詳細に眺めることで書き上がったものが自分の想像していたものと違うほど面白いものになる。

希望のない小説はダメで希望に繋がる結末を書く。

暗部を抉るのもいいが最後は希望に繋がるものを書く。

編集者の役割についても教えてくれた。

ダメ出し、描写が甘いなど評価してくれる点で文章の形を直す校正とは違う。

編集者は中身についての良し悪し、文章のアップグレード、書き手を探すのを生業としている。

映画を見まくるのも大事。

ストーリーのパターンがわかる。

物語のキモを熟知している人に読んでもらう。

その相手は小説を読みまくっているか映画を観まくっているかが選定のポイント。

書くときのコツは後ろを見ること。

前に書いた文章を見る。

視座を変えるのがいい文章。

論理に綻びがないが読むに堪えない文章がダメ。

☆小説は人間の真実を描くもの⇆現実、事実

真実とは?人間はこんなことがあっていいんだ。それが人間なんだという人間の核心を描くもの。

今の時代は事実や現実がふんぞり返っている。虚構が果たす役割は現実を蹴っ飛ばすことだ。

現実に楯突くことが小説の役割で大ボラを一個吐くことが必要。

小説を書く喜び
・発見する営み
・第三者が読み面白いと言われること

物語を書く快楽は何ものにも代え難い。

島田雅彦

読んで泣けるか泣けないかが指標になっているのは嘆かわしいこと

先生

黙らせることが本物の文学

新しい言葉を生み出し首を垂れる一瞬の行為をさせれば文学の役割を全うすることになる。

価値観や解釈は入れないで新しい価値=真実を文章に与える。

(了)と最後に書くまでが小説。

執筆中の作品を見せない。

the その、あの、この、こそあど言葉を使わない。

私はとても驚いた。

私は驚いた。

副詞を外すのがプロ。

〇〇のようなを使わないで——だったと言い切る。

最後に質問をした。

純文学とはなんですか?

返ってきた答えは

対象を自分の目で見て世界を掴み取ろうとする態度

だった。

斬新な定義で感動した。

これで2日間の講座が終わった。

あとは書くだけだ📝

noteは毎月更新しています。東京を歩くたびに僕の世界はアップデートされています。その日本一の都市で日々起こる日々の現象を描いていきます。お気に入りの記事があったらいいねコメントしてください。