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雲が多くて風が吹いているから雨を待っている

この8年間は嵐のように過ぎていった。変わったことはカラダが堅牢になって思考がまとまってきたことだ。18歳の私はまだ何も知らなくて大学に入れば前途洋々な日々が送れると思っていた。そして1年目で東日本大震災の復興支援に行ってから僕の学習量と思考の深さは変わった。あの地震は私を変えた。私は地震が起きた次の日親友と新宿まで行った。帰れない人々や怒声をどこに浴びせていいかわからず地団駄を踏んでいる人達がいた。私はそれを記憶の貯蔵庫に記録してただ見ていただけだった。2年後被災地へ行くと車が燃えて津波でひどい匂いがした。シャベルで地面を掘るとエアコンの残骸や人形、片方だけのハイヒールなどがあった。そこに白い物体があって何ですかと聞いたら仏さんだよと言われた。桜の植樹などをして帰路に帰る途中、一緒に来ていた小学生をカメラのフィルムに収めた。歯が抜けていて可愛かった。この小さな子供達はなにを考えて大人になるのだろうと漠然と思った。この子達のために勉強しようと思って英語や法律、政治を猛勉強した。その年の8月私は牢屋に入っていて裸同然の格好で寝ていた。あまりにも疲れて呂律が回らなくなってJRの職員に警察を呼ばれ牢屋に入ったのだ。それでも私は勉強をやめず昼間に転部して学校全体で1番の成績を収め15万円の奨学金をもらった。そのお金は教科書を買う費用や学費に当てた。それから1年間は勉強と剣道、ボーイスカウトを続けた。しかし、私のカラダは大量の薬と疲労でボロボロになっていた。そこで1年間休学し、亡霊のように彷徨う日々が始まった。その年の記憶がほぼない。私は大学を卒業することはなかった。学籍だけ置いてドロップアウトした。そして私は能をすることにした。突然の転向に両親は驚き止めたが私は突っ走った。能楽堂では上杉さんや三浦さんなどによくしてもらって山階先生や藤田先生に謡や笛を教わった。でもそんな時代も8ヶ月ほどで体調が悪くなりやめた。その後の1年間は美術館に行ったり恵比寿ガーデンシネマに行ったりして東京中を巡り歩いた。それからUNIQLOセレオ八王子店に就職して怒鳴られながら掃除から仕事を学んだ。それも3ヶ月くらいで終わった。2020年になって新型コロナウイルスが猛威を振るう中UNIQLOだけは応募していたので15店舗くらい応募して新店舗のUNIQLOTOKYOに合格した。そこでは最初ロジスティクス部門で採用されたがあまりにもハードでカラダが持たず販売に回ることになった。ジルサンダー氏とのコラボなどの大型企画が始まり服の販売におけるイロハを学んだ。1年くらい経つとまたカラダがおかしくなり産業医の面談でファーストリテーリング東京ミッドタウン本社まで行ったりして日数を調整してもらったがダメで私はどん底の気持ちになった。アルバイトの仲がよかった人達もコロナ関連で来なくなり私はやる気を失っていった。その時に芸能プロダクションのオーディションを受け狭い門を通って合格した。宣材写真を青山の方まで撮りに行ったり、CM撮影の代役をしたりした。またできるかどうかわからないが芸能活動はやってみたい。それから3連続で入院し、退院することはできたがまだイマイチ自分のメンタルに自信が持てない。体力は増えてきて筋肉量も上がったと思う。つくづく思うのは苦手なことや無理してやることは続かないということだ。私は小説を書くことが好きでまだ続けたいし、いつか売れたいと思っているが、運の問題や実力の問題、行動力の問題でまだ叶っていない。SEKAINOOWARIのLOVESONGで大人になることについて歌っていて"僕たちもかつてはいつか素晴らしい人に憧れていた。いつだって時間は僕たちを楽にさせて少しずつ麻痺させて最高の大人にしてくれる""どんなに時間がかかっても僕がここでずっと待っているから君の力で立ち上がれ"と言っている。彼らのようなポップスターに僕は憧れていたのかもしれない。僕は遠回りを繰り返して何者にもなれていない自分に諦めかけているけど、作家になるということ芥川龍之介賞をとるということこの2つのためにこの8年間ないし9年間向き合ってきた。その中で小説と呼べるものを初めて1作品完成させることができた。パソコンを買ってワードで打ち込もうと思う。この作品が私の集大成だし、これ以上今は書くことができない。画面上のことだけかもしれなくて今はなにも形になっていないけれど私にとっては偉業だ。この作品が芥川賞をとることは想像しづらいし、自分が金屏風の前でスーツを着て写真に写っていることはあり得ない妄想のように思うけど、なんとかカタチになったのでよかった。かつてはこの世界に困った人がいたら手を差し伸べられる人になりたいと思っていた。それとは反対に自分が助けられる側になって思った。助けようとするのはエゴで助けられる側は助けられたいと思っていない場合の方が多いということだ。私は誰一人救えないかもしれないし、逆に傷つけているかもしれない。でも文学を書くという行為はやめることができない。どれだけ苦しくても、もがき抗っても最高の作品を作りたい。そのモチベーションは世界を変えたいという衝動なのかもしれないとも思う。この不条理な何もかもが相殺される世界を少しでも変えたい。そして有名な作家になって自分でマイクを持って世間に訴えたい。矛盾を少しでも変えていこうよくしていこう。戦争のない悲劇のない差別のない世界を作ろう。この価値観は昔の作家みたいな時代遅れのものかもしれないけれど、いつか先頭に立ってネルソンマンデラのように立ち上がりたい。
ずっと国連で働きたいと思ってきた。そこが1番世界を見据えているところだと思っていたから。でも考えが変わった。作家になれば1人の力で善の連帯へ市民を動かせると思った。ユゴーやデュマ、トルストイが行ったように私も日本から世界へ発信する作家になりたいと思った。夢物語だと思うかもしれない。でも夢は現実にするから価値があるものだ。これから激動の時代が来るだろう。その荒波にかき消されないためにも言葉の力を磨いて真剣に人とぶつかれるようにしたい。これが私の過去と現在思っていること、そして未来への想い。

noteは毎月更新しています。東京を歩くたびに僕の世界はアップデートされています。その日本一の都市で日々起こる日々の現象を描いていきます。お気に入りの記事があったらいいねコメントしてください。