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だいぶゆるんできた自分と、まだまだ捨てたい「いらないもの」。

 昨日はBTS(バンタン)のオンラインコンサートのディレイ(再配信)がありました。ちょうどお昼ご飯の時間になるのでその準備をして、10時にログインしたらいきなり本編が始まっていて焦りました...。開場が10時ではなくて、配信開始が10時だったんです...。完全なる勘違い。焦って娘を大声で呼んで、という状況になってしまい、すごく楽しみにしていた1曲目のテテのソロを十分に味わえず...。娘には「ママ、なんでー(こんなことになってるの?)泣」と言われました。

 でも、これっていいぞ!なんて思っちゃったんですよね。以前の私はキチキチにちゃんとしていて、こういう失敗をしなかったんです。念には念を入れる日々で疲れ切っていたので、だいぶゆるくなっている自分を褒めたい気分になりました。なんだかんだで10時にはテレビ前の掃除やメイクや、ご飯の準備もできていたし、まーいいんじゃないー?なんて。もしこれが1年前の自分だったら、1日経った今でもお腹が痛くなるほど自分を責めていたと思います。こういうなんだかよくわからない出来事で自分が変わっていくことが確認できるのって、おもしろいな、とも思いました。でも次からは!ちゃんといろいろ確認しようと思います。バンタンを見逃すのは避けたいです。

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 私は特に、バンタンのボンボヤージュやIn the SOOPでメンバーのやりとりをみるのが好きなのですが、同じ夢を持った仲間たちって本当にいいな、と思います。いくら夢があって、それを持ち続ける強さや勇気があったとしても、最初から最後まで本当に一人ぼっちだとしたら? どんなに強い人でも続けられないのでは、と思ってしまいます。

 これはバンタンを通して気づいたことだけれど、本当は今生きている人間たちも、とてつもなく大きなくくりでいえばみんな仲間で、何かを目指していて、仲間割れしている場合じゃないんじゃないか、と。何かが少しできるから、何かが少しできないから、そんな小さな違いでさえ人と人を区別する大きなものさしになってしまう。できたっていいし、できなくたっていいし、それよりもっと大きな何か(←これをうまく言葉で表現できないのだけれど)で、人と人とがまるっと関わっていくことってできないのかな?と考えてしまいます。私は45歳の女性で、妻で、一人娘の母で、と自己紹介するだけで、そうでない人との区別が生まれてしまう。大きなくくりでいえば、同じ人間なのになぁ。そんなえらそうなことをこうやって書いている私も、何人も子供を産んで仕事もしている女性をみると「自分にはできない」と感じてモヤモヤしてしまう。でも、モヤモヤする必要はないんです、そんな自分になりたいとは心の底では思っていないから。なのにどこかで、自分のエゴが、もっともっと!と欲張って、でしゃばってくる。エゴを飼いならしてしまいたい、とつくづく思います。

 話がそれましたが、バンタンがお互いを認め合って活動している姿をみるたび、大事なことに気づかせてくれます。自分を振り返る、いいきっかけになります。私はバンタンのメンバーのように、まわりの人といい関係を築けているのかな?と。今後、気持ちよく人と関わっていける自分になるためにも、まだまだ自分の中にあるゴミを捨てなくちゃ、と思います。

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