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存在

毎回私はここに来るたびに「お久しぶり」と言っているような気がする。お久しぶりです。皆さまいかがお過ごしでしょうか。

私は最近本を読むなり漫画を読むなりで大忙し(という訳ではないが)。インプットにインプットを重ね、アウトプットの準備をしています。映画をチョロっと観て知らない人が書いた考察に「なるほど!」となったり。楽しいです。

最近ひっそりと曲ができて、それも不幸を曲にしてきた私は幸せを曲に落とし込むスキルが完璧に備わっておらず。無理を言って「私が酔っ払ってる時に嘘で罵ってくれ」と頼みまして。

ばっかで〜い!って感じに聞こえるが、打撃が凄すぎて心身鞭打ちになり。


、、ばっかで〜い。


そこで私は従来の辛さをそのまま歌にするのではなくて、嘘の罵倒(本当に罵倒されてたりして)に打ちのめされるくらいに今が大事なのだという曲になりました。「優しい嘘」と名付けました。良い曲がまた生まれました。乞うご期待。


冒頭に戻る。私が今ウッキウキで読んでいる漫画というのが、浅野いにおの『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』である。

すごーく浅くざっくりいうと、謎の生命体『侵略者』とそれを突き止める少女おんたん・門出のお話。浅野いにおらしい心情の青さだったり、はたまた今までにない世界線で繰り広げられる時事問題だったり、非常に読み応えがあってページが止まらん。早よ新刊。

私はその中で、おんたんが物語中に「いなくならないで」と繰り返し伝える描写がとても印象的で。

普段のおんたんの様子からその瞬間だけフッと顔色が変わり、永存を望むシーンは何度みてもグッとくる。グッと来るし、悲しくなってしまうのは何故だろうか。


今の時期、ニュースで自殺が取り上げられていて、私自身とてもショックで、日常的に画面の向こう側で笑っていた俳優の突然の死を理解できなくて、気持ちが追いついてこなかった。

その時私はそういう弱みを見せてこなかった人の突然の死に対して、死にゆく心情だとか、周りに取り巻く人、仲間たちのこととか、救いの言葉とはなんなのかとか、考えても想像しても答えの出ない事象にぐるぐる思考を巡らせたりしていて、結果迷宮入りしていた。


少し話はズレるが、私が小学生の時に仲の良かった女の子がふと「私と仲良くしてくれた子って、必ず遠くに行っちゃうんだよね。」と放課後の校庭で私に話したことがある。私はふーんとしか言えなかったけど、その数日後に両親から仕事か何かの都合で転校を告げられて、私は遠くの街に引っ越した。

正直、転校のことを本人に直接私から告げたのか?先生のいう「吉田さんが転校することになりました」という言葉で知ることになったのか?どんな顔をしていたのか?全然覚えてない。し、転校してから一回も会ってない。


私の中でこの体験が無意識に根強く残っていて、その死に関する考えを巡らせている時にふと過った。

この子が言うように、私の方こそ、私と関わった人が急に居なくなっちゃったりして。と。


そう考え出したらキリがなくて、根拠もない仮定に将来が怖くなったり、不安になったり、死がとても怖くなって。自分の私も他人の死も。

妄想の世界で私も様々な存在に「いなくならないで」という気持ちを込めて、独りで塞ぎ込んでいた。ショックがある程度のところまで来て、それを越えると人は孤独になり、その状態すらも自分には見えておらず、そこで迷子になる。自分の世界には自分しかいなくて、思考が堂々巡りを繰り返して、結果抜け出せなくなってしまうのだ、と勝手に自分を解釈する。


どうしようー、怖いなあこれから、
私はどこまで生きていけるんだろう


と思っていたら、私の携帯が光り、そこには
「急に居なくならないでくれよ!」と書いてあった。


嘘が付けない優しい人からの脈絡のない言葉。
そうかー、私は「いなくならないで」と言いながら自分の世界に閉じ籠って現実から「いなくなっていた」のだと、ようやくそこで気付いた。

みんな今ここに居る。いつかのことはその内考えれば良い。考えなければならない時がいつか来るんだから。

存在が物体としてここに在る限り可能性は無限だと本気で思ってる。お腹が減って、食べたご飯が美味しくて、眠くなって、起きたら窓を開けて、風が気持ち良くて、お日様があったかい。全て愛おしい。



「いなくならないで」

優しい嘘。正直なこころ。
私は未来が楽しみだ。



てな感じで。デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション早よ新刊。

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