ウチとヨソとカテゴライズ


種まきが遅くなってしまったのですが、ミニトマトがようやく大きくなってきました。
種取りを続けて4代目くらい。
収穫が楽しみです。


整体と称しているくせに身体以外のことばかり書いてると思われるかもしれませんが、私は身体に限らず多角的な「自律」を目指しています。
少しでも価値あるものを書いていきたいと思います。


今回のテーマは「ウチとヨソとカテゴライズ」です。

ひとは皆それぞれ周りの人を「親しい人」と「そうでない人」に分けていると思います。
学校で職場で地域で…

「あの子は同じグループ、あいつはよそのグループ」
「あの人は同じチーム、あいつはよその部署」
「あの人は同じ町会、あいつは隣町」
というように。

ある程度グループ化することで関わりを絞って密な関係を作ることが出来やすくなると思います。
一方で「ウチの人間」と「ヨソ者」といった区分けによって諍いや差別が起きやすくなります。

これもよくある話なんですが…。
外国へ行ったとき、日本人が自分だけだったとします。
全然言葉が通じない。
とても不安ですよね。
そんな中たまたま日本人を見かけたとしたらすごく安心しますよね。
どんな人か分からないのに日本人というだけで。
しかも出身地が一緒だったならそれだけで大盛り上がりなこと請け合いです(笑)

片や住んでいる町会単位で区別し、片や同じ国の出身というだけでうれしくなる。
つまりみんな同じでもあり違う、ということです。

極論、生きるものすべてこの地球で生きる仲間です。
逆に家族であっても人として違う一個の存在です。
何が言いたいかというと、どんな人もウチにもヨソ者にもなるということです。
それを決めるのは自分自身。
少しの違いを見てヨソ者と捉えるか。
より大きな括りで同じと考えるか。

みんな仲良くしよう、と言いたいわけではありません。
どの人にも違う所、同じ所がある、と考えられれば少し冷静に物事を捉えられるようになるのではないか、と思うのです。


似た話にカテゴライズがあります。

「女、男」
「子ども、大人」
「理系、文系」
「金持ち、貧乏」…

自分や人をカテゴリー分けして違いを強調したり色々な理由付けに使います。
カテゴリー分けは便利ですからよく使われます。

カテゴライズすることが悪いわけではありません。
大事なことは違うことと同じことをまず認識すること。
その上でカテゴリーに振り回されないことです。

特に自分を枠に押し込めてしまうことはよくあります。

「文系だから」
「インドア派だから」
「運動オンチだから」
「生まれつき体が固いから」…

ほぼ全て思い込みです。
もちろん得意不得意、センスの有無はあります。
でも大抵のことはやればできます。
やるかやらないか、ただそれだけです。


自分自身、比較的フラットに人と付き合う方です。
自分を枠に押し込めることもだいぶ少なくなりました。
世の中あまりにも細かなことでの諍いが多い様な気がします。
自分の可能性を自分で押し込めてしまう人もとても多い。

枠を手放したら世界が変わる
そう確信しています。

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