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きみ論文 ①

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   ボムギュさんへの想いを多方面に散りばめた、不格好なモーメント。実は99件で止めていたんです。100件目を飾るようなツイートを、140字で美しくあやどる力は私にはまだないような気がするし、140字の小さな枠組みに収めるのはちょっと、勿体無いかな。なんて思ったりしてずっと100件目を埋めることをしていませんでした。だからこそ特別な100件目は、少したくさん想いを零してみようかなと、このnoteを開きました。
   実を言うと私は、語彙の豊富な方や貴方への愛が溢れた素敵な文面を見る度に「わたしもそんな素敵な文で、貴方の素晴らしさを語ってみたい、貴方の美しさを、柔らかな言葉で謳ってあげたい。」なんて考えてnoteを開くことはありました。でも私は貴方を推し始めてまだ1年も経つかどうかのひよっこで、まだまだ知らないことだらけで。貴方がこれまで私たちに見せてくれたものの3.13%も知れているかわからない。かつ湧き上がるたくさんの思いに対し、それを簡潔に文章化する力が備わっていない。
そのためどうしても拙い文章になるとは思いますが、少しでも目に留めて下さると幸いです。

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 1度noteを書いてみた結果、あまりに長々と続けてしまうから流石にやさしい人でもこれを読み切るのは容易ではないな。笑という結論に至った。
そのため一部分に絞りながら小出しにして、サブ垢とはまた違った日記帳のようなものにしていきたいと考えた。今回は、私がボムギュペンになった決め手である、ステージ上での話をしたいと思う。

   ボムギュを推すきっかけになった曲は、「0×1=LOVE SONG」。この曲は最初、MVは見ずに、あ、新曲。聞いてみようかな。なんてくらいの気持ちで再生した。そしたら世界が変わった。歌詞も曲も、大人になろうとして今を生きる私の胸を、刺すように痺れさせたのだ。そこからはがむしゃらに0×1のMVやパフォーマンス、チッケムを見漁った。そこで、長髪の青年に出会った。彼のチッケムを見た時、息を呑んだ。どうしたらこんなに、苦しそうに、儚げに、でも力強い青年の力を表現できるのだろうか?歌声は低く吐息混じりの発声で、苦しみと「君」に対しての想いを切実に乗せた声色に感じた。ダンスは全身に力を感じられるパワフルさで、どちらも彼の中性的な見た目からは想像のつかない、男性の力強さが画面越しからでも溢れていた。
何より、表情管理が素晴らしかった。彼はパフォーマンスをする時、何よりも曲にあった表情や表現を大事にしているということは知っていたが、ここまで魅せられることができるなんて、と感嘆した記憶がある。

決してパフォーマンス全体でのカメラには抜かれ無いところで、ここまで痛々しく青年の辛さを切実に表せるその表現力に魅かれたのだ。
   その後、ボムギュの他の曲のチッケムも見てみたのだが共通して言えることは「誰よりも表情の魅せ方を重要視している」という事だった。
もちろん歌もダンスも最高に好きだが、特にコンセプト、曲調、歌詞をしっかりと自分なりに受け取り解釈し、「コンセプトの中のボムギュ」を作り上げるところが好きだ。曲によって頭から爪先まで全く違う一面を見せてくれること、ダイレクトに曲の雰囲気や魅力が伝わり、ボムギュのパフォーマンスによって私の曲の受け取り方もまた変わっていく…、その感覚。ここまで表情で魅せてくれるアイドルはなかなかいない気がする。(推しバカかも知れないけど笑) ︎︎
   後にこの「FREEZE」ではボムギュ特有の曲と一体化したような表現方法は特に評価され、本人の中でもこういった情緒的な、傷心しながらも切に願うようなコンセプトを表現するために様々な演技を練習したことを知りさらに彼の魅力に呑まれたのは言うまでもなかった。ボムギュの感受性はもちろん、それをアウトプットするためにたくさんの人々に伝わる努力を惜しまない、アイドルとしての底意地も感じられた。
そこまでストイックに己のやりたいことを考えて実行に移すために苦労をした先にあるステージ上での豊かな表現方法は、ある意味型にはまることは無く自由に、しかし全体の調和をとれる個性の出し方ができていて変に浮くことなく他との区別がつけられている。そう言った絶妙な配分ができることは本当に素晴らしいと思う。


   余談にはなるが感受性、の関連で印象に残っているエピソードと言えば、本当に最近の物にはなってしまうが雑誌「ELLE」でのインタビュー記事にて、
Q.「バランスゲーム」と「No Rules」の作詞にも参加した。ボムギュの世界観に影響を与えている歌詞は?
という質問に対しての彼の回答。
A.「"No Rules"を聴いたらいつも悲しくなる。楽しい曲だから笑って歌詞を表現しなきゃいけない時もあるけど、“線に閉じ込められた僕の人生は like 網” のような歌詞に感情移入してしまう。僕の自我をのせて踊ってみると、ムッとしちゃうことが多い。おかしいでしょㅎㅎ」
(翻訳に関してはOYAYUBIニムなどの有識者様の意訳を読みながら記憶を頼りに引用しているため、誤訳・誤謬があったら申し訳ない)

なんとも彼らしさ溢れる回答なんだろうか。こういった音楽などの形にハマらないものに対して、どこまでも己の感性を重要視する究極のF思考のおかげでボムギュのつくる世界は美しくありながら私たちに寄り添うような、共感を誘うようなほどよい近さにあるように錯覚させられるのだろう。
今回のカムバック、「Good Boy Gone Bad」でも彼らしいステージでの表現への向き合い方が垣間見えたような気がする。歌詞とそのコンセプトの世界観を何度も噛み砕き自分の感性と一体化させていき、私たちにどのくらいの力加減で熱量をぶつければ良いのか考えていることを、Weverse Magazineで言及していた。基本的にはどんなステージにも最大値をぶつけてくる彼が、魅せ方を重視し力加減を調整すること。そのことこそがボムギュの最大値なんだろうな、と深く感銘を受けた。
   私はこれまでの彼のコンセプト全て引っ括めて愛している。そしてこれからもステージ上で魅せてくれる新しいボムギュの一面をたくさん記録できることを切に願っている。

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   本当は少しだけ、思うことを連ねてスッキリしよう!と思っていたので、こんなに書くつもりではなかったんですがいつの間にかここまで膨れ上がっていました。これでもある程度取捨選択して文を纏めたので、繋がらなかったり文章が散らかっている部分がありますがご愛嬌だと思って呼んでいただければ幸いです⸜🌷︎⸝‍
   最後にはなりますが、全て主観による文章なので解釈は人それぞれだと思います。なのでこういった意見を持つ人間もいるんだな、くらいで賛否して頂けるとありがたいです!ここまで読んでくださってありがとうございました。またいつかこういった場所でキーボードを打つ機会があると思いますが、その時も読んでくださると泣いて喜びます。


                                                        白昼夢

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