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「テラハ肉事件」というリトマス紙

テラスハウスの「肉事件」ご存じでしょうか。 

現在放送中のテラスハウスのニューシーズン、22話で巻き起こった、テラハ史上最大の事件です(大げさ)

端的に言ってしまえば、美容師のうっちーがお客様からお礼としていただいたお肉を、恋人であるみのりとその他メンバーに勝手に食べられてしまいブチギレるという事件。

まあ、こう書いてしまうと、「うっちー器ちっさ!!!」で終わってしまいそうですが、厳密にいえば、みのりへの想いや、テラスハウスという特殊な空間での生活ストレスなんかが積み重なって…という部分も大いにあります。

自分が初めてこのエピソードを見たときの感想は、やっぱり「うっちー器ちっさ!!」でした。確かに事前事後報告なしで「いいや食べちゃえ」ってお肉をたべたみのりは良くない。でもそれを、あんなテンションで怒るのはちょっと大人げなくない??と感じてました。勝手に食べたみのりはよくないけど、もし自分が6人でシェアハウスで暮らしてたら、同じことしてたような気もします。みのりはうっちーから「お客様から頂いたお肉だ」ってことは聞いていた様子。でも、「だから大切に食べたい」とまでは聞いていなかったのでは??と思います。うっちー自身は大切なお客様から頂いた、大切なお肉なのだろうけど、その熱をどこまでみのりに伝えていたかは不明です。6人が共同生活していて、巨大な冷蔵庫があって、そこに「もらった肉」という情報だけの肉があったら…。みんなでシェアして食っていいもんだと思うよなぁ…。

そういう意味では光るの言動が一番納得できるものでした。いきなりキレられて、その原因が「肉を食べたから」。その後に続く「じゃあ『食べるな』って書いとけよ…」ってセリフも思わず笑っちゃいました。ほんと、食べられてそんなにキレてしまうような食材なら、自分でしっかり守っておけよとw

まあ、ここまでうっちーがヒステリックになってしまったのは、単に肉を食べられたという出来事だけではなく、それまでに小さく積み重なっていたみのりへの違和感だったりなんだったりがあるのですが…。それはそのあとのエピソードでわかっていきます。


問題はうっちーの心理状態ではないのです。

実は、私はこのエピソードを彼氏と一緒に見ていました。彼は普段からテラハを見ているわけではないのですが、タイミングがあったのでなんとなく一緒に見ることに。

彼が持った感想は、うっちー云々ではなく、「みのりと光るの態度にイラつく」というものでした。「ああ、そっちなんだ…」と思って少しぼーっとしてしまいました。

「ごめんって言ってるけど絶対悪いって思っていないよね!!」って言われて、「まあ、うん、悪いと思う以上に『なんでこいつこんな怒ってるの』が先に来てるんだと思うよ」と返すと、「もーイラつく!!」と憤慨してました。

まったく同じ映像を見ていて、着眼点がまったく違うのも面白いと思うのと同時に、「これが価値観の違いってやつなのでは…?」と焦りを感じたのは彼には内緒です。

みのりとうっちーは肉破局こそ回避しましたが、ある種の「価値観の違い」があったからこそ、肉事件は勃発し、ひとつの肉に対するそれぞれの価値観の違いをまざまざと見せつけ、ひいては仕事に関するスタンス、生き方のビジョンの違いまでをも目の当たりにせざるを得ませんでした。

価値観なんて違って当然、という考え方もあります。ただ、違う価値観を埋め合わせることは、決して簡単ではありません。違って当然の価値観とどううまく付き合っていくかといえば、避けるかぶつけるかです。

そして違う価値観をぶつけ合ってリビルドしていけるような関係はとても稀。なぜなら、価値観をぶつけ合うことも、ましてや再構築することも、恐ろしく体力と気力を使うからです。二人の体力と気力が有り余っていて、その強さがほぼ拮抗しているような二人でなければ、難しい作業だと思います。

だれもがみんな強いわけじゃないからこそ、「避ける」こと、言い方を変えれば「諦める」ことも選択肢として選んでいくことが大切なのかな思います。全てを同じように感じることのできる人間は自分の除いてほかにいないのですから。


6人もの人間が同じ家で共同生活をするテラスハウス。そこに集まる6人は、最強のワンダーガール、ワンダーボーイではありません。全員が主人公だけど、RPGの主人公のように常に正しい倫理観あふれる選択をできるわけじゃない。

そんな「普通の人間」が集まった人間ドラマだからこそ、見ている人間の「価値観」をあぶりだすリトマス試験紙になるのかもしれまんせん。

これからのステージを一緒に歩いていきたい人と一緒に見てみませんか?その人の意外な「価値観」が垣間見えるかもしれませんよ。

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