見出し画像

作者と作品は切り離して考えるべきか問題

作者と作品は切り離して考えるべきか問題。
私が生きる上で十分な結論が出たので生きやすくなるヒント備忘録としてこの記事を書きます。

先日、とある作品に出会いました。
まさに、目から鱗が落ちる思いをさせてくれた作品でしたので、読了後にツイッターで共有。
すると、その作者を知っていたフォロイーが作者の人間性や過去に起こした様々なトラブルについて言及していました。
フォロイーは作者の人間性と作品を同一視する考えの人だったのです。
「作品から得た感情は私だけのものであるはずです」と主張したくなって、ちょっとムッとしてしまいました。

作者が心血を注いで生んだ作品に作者の倫理観や価値観が如実に現れることを理解しているので、切り離して考えない人の気持ちを受け止めることはできます。
理解できるから、受け入れてそうしよう!とは思わないのは、私に向いてないと実感したからです。

フォロイーの件をきっかけに、作者について調べてみることにしました。
時には、感動しただけ探求心が湧いて、勝手に作者の人格に期待しながら調べたこともあります。
人格者か否かの結果は関係なく、その行為後、ニュースを見て落ち込むような疲労感が付き纏いました。
特に、ネガティブな話題を見続けているといつの間にかメンタルが負の方向へ引っ張られてしまう。
ただでさえ人間などというしんどい生き物をしているだけで疲れるのに、自ら心を削る行為を繰り返して心を粗末にするのはやめたい。

だから、作者と作品は切り離して考えたい。

これが自然な気がする。
私がそうしたいから、そうする。
なんで今まで気づかなかったんだろう。
作品から貰った空気感、気づき、心の震えは、私だけのもので、私にとってとても大切なもの。
これが私の価値観。
ムッとしたのは、フォロイーの言及に大切にしている価値観を脅かされる可能性の気配を察知して、身構えてしまった。
「作者と作品を切り離さずに考えるべきだ」側に引き込もう、矯正しよう、上書きしようとする人を数多く見てきた経験則による自意識過剰。


私の価値観は「作品から貰ったものが一番大切」。
私のスタンスは「作者と作品を切り離して考えてもいいし、切り離せなくてもいい」。

私専用の結論ですが、ひとまず「どっちでも良い」に着地しました。

どっちでもOKだからこそ、価値観を押し付けるとか、他人をコントロールしようとかする行為がNGだと思える。
あの時、感情のままに主張しなくて本当に良かった…と安堵して今、変な汗が流れています。
これからは誰かが言及しても、一つの意見として眺める程度でいられそう。

だって、どっちでもOKだから。

ちょっと生きやすくなった。

やったね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?