禍話:合羽の男たち

 雨が降ってもいないのに雨合羽を着ている集団がいたら気をつけた方がいい。それが家の近所なら尚更だ。すぐにでも引っ越すべきかもしれないな。


 Nさんは子供こそいないが、大学時代から付き合っていた奥さんと仲睦まじく暮らしていた。彼は仕事の関係であちらこちらの地方を飛びまわることが多く、その都度、会社がアパートや借家などを用意してくれていたそうだ。
 九州某県のとある団地にNさん夫婦が引っ越してきたときのことだ。
 会社の手配した借家は新興住宅地の一画にあり、ほとんど新築同然で最新の冷房器具なども備えており、かなり良い家だった。加えて費用は会社が負担してくれている。不満があるとすれば、その家は山を切り拓いた住宅地の一番上の方にあり、大分山まで近く、隣家までは少々遠い、そういう場所であったという。
 だがそれも取るに足らない程度の問題であった。

 暮らしはじめて一週間と少し経った頃、会社から帰宅したNさんに奥さんがぽつりと不思議なことを語った。
 いわく、夜の7時ぐらいに空き地前の電柱のところに雨合羽を着た人が立っている。どうやら人を待っているようだが、雨も降っていないのに変だなと眺めていると、しばらくして何人かの中年男性らしき合羽を着た集団がやってきて、そのまま山の方へぞろぞろと歩いていく。それからNさんが帰ってきても彼らが戻ってくる気配がない。
「こんな夜中に大丈夫なのかしら」
 と彼女は不安そうに呟いた。たしかに奇妙なことだが、山の中で工事か何かがあるのであろう、とそう結論づけた。

 翌週、Nさんはその時間にたまたま家にいたという。奥さんは買い物に出かけていて、ひとりきりであった。
 ふと気になって窓の外を見てみると、彼女の言ったように、おそらく男であろう体格の人影が電柱の前で誰かを待っている。やはり雨でもないのに合羽を着ていた。ややあって、遠くから4、5人近づいてきて、顔を突き合わせて何やらぼそぼそと話しをしてから、山へと向かって行った。
 懐中電灯を誰も持ってなかったぞ。
 あれ? とNさんは思ったそうだ。荷物すら携帯している様子はない。
 そのことを帰宅した奥さんに伝えると、いっそう怖くなったようで、なんだか気味が悪いわね、と言った。

 近所の住人が言うには、あの山で今工事などはしていないらしい。それどころか蝮や猪がでるので危なくて誰も入らないそうだ。
 あの集団はいったい山で何をしてるのであろうか。
 会社であれやこれやと考えあぐねていると、何か悩み事ですか、と同僚に声をかけられた。
「それって不法投棄の集団じゃないんですか」
 合羽の男たちについて見たことを簡単に説明したところ、そんなことを言った。
「でも、何も持ってなかったよ」
「長時間いると怪しまれるから、いくつか集団を分けてるんじゃないですかね」
 不法投棄かはともかく、違法なことをしている可能性はある。なんにせよ、奥さんも怯えているので早めに解決してしまいたい。
 彼らがやってくる曜日は決まっていたので、次のとき、直接話をつけてこようとNさんは考えた。

 その曜日が来て、窓を覗いてみると、案の定、雨合羽を着た人影が見えた。前回見かけた奴よりも幾分背が低いようで、別人であると思える。
 同僚の言うとおり、不法投棄の業者が大量に人を雇っているのかもしれない。
 そんなことを考えながら玄関へと向かうと、入り口の磨りガラスに黒い影が映っている。
 誰かがいる。しかも合羽を着た誰かが。
 おかしい、とNさんは直感的に思った。音が全くしなかったのである。
 防犯のためNさん宅の門扉は開くときにかなり大きな音をたて、また玄関までのアプローチも歩くたび砂利が鳴るようにできている。つまり、そこに立つには、その間にNさんが絶対気づかなければいけなかったのだ。
 ふいに恐怖が襲ってきて、Nさんはまずインターホンを覗きにいった。しかし何も映っていない。
 再び玄関に戻ると、そこにはもう誰もいなかった。
 窓の外では、何事もなかったように合羽の集団が山へ向かっていっていく。
 さすがにNさんも怖くなって、彼らと話をつける気は失せてしまった。

 ここまでくるともう、この家になにかあるに違いない。そう思ってNさんは会社に電話で問い合わせてみた。
 ところが取りつく島もなく、無難な回答をされて終わってしまった。
 諦めなかったNさんは別の時間帯に電話をかけた。すると、今度は若い女性がでた。素直で純朴そうな声色だった。
「あの、この家って以前におかしなことがあったりしませんでしたか?」
 彼女は返答に詰まった様子で、少々お待ちください、という言葉とともにすぐに保留音が流れはじめた。
「宗教団体みたいなものが、その、近くにあったらしいのですが、」
 ずいぶんと長い間待たされた後、そんな歯切れの悪い答えが帰ってきた。
 なるほどカルト団体か。疑問がないわけではないが、おおよそ納得がいく。
 だとしてもやはり気味が悪いので、費用はこちらで負担するから別の家を用意してほしい、と会社に頼み込んだところ、意外とすんなり話がまとまって、翌週引っ越す算段がついた。
 それまでにはあと一度だけ、合羽の男たちをやり過ごす必要があった。

 その日は雨が降っていた。あの集団が来てからはじめての雨であった。
 奥さんも不安だろうから早く帰ってこようと思っていたが、そんな時に限って仕事が立て込み、時間までに帰宅できそうもなかった。その旨を奥さんに伝えると、彼女は駅前のスーパーにいるようだった。今日は雨だし、まあ大丈夫でしょう、と彼女は言うので帰ったら連絡してくれ、と電話を切った。
 なんとか急いで仕事を終わらせたが、いっこうに彼女からの連絡が来ない。メールも着信もなく、こちらから電話をかけてもでなかった。
 とっくに家に帰っているはずの時間のはずだ。
 うすら寒い予感がして帰宅すると、家の明かりは煌々と点いている。しかし奥さんのサンダルはなくなっていた。
 玄関には買い物袋が散乱していて、その中に雨合羽の外袋が見えた。中身は入っていない。
 あっ、と点と点が光の速さで繋がって、考える暇もなく、外へとNさんは飛び出していた。
 ちょうど合羽の集団が山に入っていくところで、その最後尾を奥さんがまるで小鴨が親についていくように覚束ない足取りで歩いている。彼女もまた真新しい雨合羽を着ていた。
 Nさんも慌てて後を追いかけたが、足を縺れさせて転んでしまった。
 すんでのところで手をついたNさんの視界に、ぬっと裸足の足先が入ってきた。恐る恐る顔を少しだけあげると、合羽を着た誰かが前に立っている。顔まで見る勇気はなかった。
「いろいろ飛び散っちゃうから、着てるんです。あの人たち」
 女の声だった。心底可笑しそうに、いろいろ飛び散っちゃうから、と繰り返す。
 うわぁ、と反射的に目を閉じて後退り、再び顔をあげたときには既に誰もいなかった。
 恐怖でもう逃げ出したくなったが、それでも奥さんを助けなければいけない。山に入って、藪をかき分けていく。獣道のような、誰かが通った形跡を辿りながらいくと、小さな洞窟があった。防空壕だろうか、人為的に掘られたものだ。
「やだぁ、やだぁ」
 と中から奥さんの悲鳴が聞こえた。ライトで照らしながら、奥へと進んでいくと、彼女だけがいて、中途半端に掘られた壁の穴をスコップで必死に埋めている。
 落ち着け、落ち着け、と彼女を宥めて話を聞くに、Nさんと電話をしてから記憶がないそうだ。
 気がついたら真っ暗などこかにいる。持っていた携帯電話の明かりで辺りを見回すと、何人かで掘った後があって、そこから何かが覗いている。
「何か?」
「人の胴体の右半分。顔は埋まってて息はできないはずなのに、呼吸してるみたいに動いてたのよ」
 存在してはいけないものだ。これ以上見たくない、そう思ってその場にあったスコップで埋めていたという。
 彼女の話が本当なら、事件性のあることに巻き込まれているのかもしれない、とNさんは考えて、もう一度埋めたところを掘ってみた。しかしいくら掘っても何も出てこない。
「でも、私見たの。本当よ」
 彼女が嘘をついているようには思えなかった。
「そういえば、お前の前に7、8人いたんだが」
「知らない。ここには私ひとりよ」
 恐怖で腰が抜けてしまったので、Nさんは奥さんをおぶって帰ることになった。山の深い暗闇を小さなライトの光だけを頼りに進んでいく。
「俺たちが見たのは、この世のものじゃあなかったのかもな」
 そのような話をしていると、ふいに家の明かりが見えた。ああ、やっと帰れる、そうほっとしたのも束の間で、Nさんは思わず足を止めた。
 家の前にたくさんの合羽を着た人たちがいる。10では足りない数だ。それが全員こちらを向いて、ありがとうございました、と頭を下げる。
 Nさん夫婦は放心して、その場で30分ほど雨に濡れながら立ち尽くしてしまった。
 正気に返ると、もう影も形もなく、近づいてみても足跡などなんの痕跡も残っていなかった。

 次の日からNさんは奥さん共々、引っ越しの日まで会社に寝泊まりすることになった。ほんの少しの間でも、あの家にはいたくなかったのだ。
 最後の日、同僚の何人かに頼んで、Nさん自ら引っ越し作業をした。トラックは合羽の男がいた電柱の前に止めていたのだが、後輩がたまたまその場所で、立ち止まることがあった。
 Nさーん、これで全部でいいですよね、そんな快活な声を聞きながら、はじめて気がついた。
 後輩と比べると、一番最初にNさんが見た合羽の男は3メートル以上あることになる。
 うっ、と全身の産毛が逆立つ思いがして、Nさんは足早にその地から去った。

 現在ではその家も取り壊されて、周辺は全て空き地になっているという。
 その後、Nさんが詳しく調べてみると、どうやら、昭和の頃にあったとある新興宗教の、さらに枝分かれしてより過激になった集団が何かを間違えてしまったらしい。そこでひとり死人が出たようだが、同意の上だったこともあり事件にはならなかった。教団は自然消滅したが、その幹部の人たちは未だ消息不明だそうだ。

 そこがどこかは教えられません、とNさんはいう。


ツイキャス「THE禍話第14夜」(2019年10月23日)34:46〜を抜粋、文章化したものです。

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