禍話:手・面/老面男


 加藤くんがべろべろに酔っ払ったときに話してくれたんだけど、子供の頃にそうだと思い込んでいて実は全然違ったってことあるでしょ、ってね。加藤くんの場合、お面らしい。縁日とかに置いてあるやつじゃなくてもっとリアルな感じの。

「俺、昔、お面って口から手が出ると思ってたんですよ、夜になるとね」

 曰く、子供の頃、彼の祖父母の部屋には能面のような老人のお面が飾ってあったそうだ。なぜそこにあったのかも、どんな由来があったのかも未だ知らないが、精巧で奇妙な存在感のあるそれは子供の彼にとっては恐ろしくて仕方がないものだった。
 しかし、ときおり怖いもの見たさで覗きにいくと、お面の口のところからすうーっと白い手が伸びてきて、またすうーっと引っこむのだという。
 そのことを母親にうったえても、はいはい、とそっけない。母がそんな何でもないような態度を取るものだから、こどもごころに彼は、ああいうリアルなお面は口から手が出るものなのだと思ったらしい。

「まあ、少ししたら、違うと気がついたんですけどね」

 


 お面繋がりでもうひとつ、小学校の同級生に聞いた話。

 彼は小学生だった当時、二階の子供部屋に妹とふたりで寝ていたそうだ。
 ある夜、お兄ちゃんお兄ちゃん、と妹が呼ぶ声で目が覚めた。時々あったことなので、トイレかな、と彼は思ったという。
「お兄ちゃん、お庭に変な人がいるよ」
 予想を裏切って妹はそんなことを言った。泥棒に気をつけましょう、という回覧板が最近回ってきていたことを思い出しながら、彼も庭に目をやった。
 すると、確かに見知らぬおじいさんがいて、しかもこちらをじっと見ているではないか。
 さらによく観察するために眼鏡をかけると、庭の人物はおじいさんではなかった。翁のお面をかぶった男とも女ともわからない人がぐるぐると庭中を走っているのだ。玄関に近づくわけでもなく、ただこちらを見つめながら走り回っているだけだったが、ふたりは気味が悪くなって、しっかりとカーテンを閉めて震えているうちに気がつけば眠ってしまっていた。
 翌朝、朝食の席で両親に昨夜の出来事を話した。夢だと馬鹿にされるかと思ったが、ことのほか彼らは顔を青くして、深刻そうな顔を見せたそうだ。
 その日は学校が早めに終わり、帰ってくると家の前に見覚えのない車が止まっていて、親戚でも誰かの友人でもない全く知らないおばちゃんがどうもどうも、と気さくに声をかけてきた。両親も祖父母も妙に切羽詰まった面持ちでよろしくお願いします、と彼女を迎えていた。
 夕方を過ぎてもおばちゃんは家にいて、晩御飯を食べたり、妹はお風呂にも一緒に入ったりなんかしていた。いつまでいるんだろう、と疑問に思わなくはなかったが、大人の事情があるんだろうと彼は変に首を突っ込むことはしなかった。
「今日は一階のおじいちゃんとおばあちゃんの部屋で寝なさい」
 と母は言った。昨夜のことがあったので、彼も妹も素直に頷いて、そのまま祖父母と一緒に早くに寝入ってしまったらしい。ふと起きると朝の6時頃だった。
「ちょっと、お仏壇にお祈りしてきなさい」
 と祖母に言われて仏間に行くと、仏壇の前には例のおばちゃんもいて、彼の言葉を借りればかっこいい(おそらく巫女装束のような格好だとは思うが)姿をしていた。どうやら一晩中ここにいたようで、若干やつれてはいたが、それらしい態度はおくびにも出さず、彼らの前では快活に振る舞っていた。それから彼と妹がお祈りしている間、しゃっしゃと後ろから何かを払い、呪文のようなことをなにごとか呟いて、もう大丈夫だよ、と言った。難しい言葉ばかりが大人たちの間で交わされたので事情はさっぱり理解できなかったが、両親の心底ほっとした喜びの顔を見て、もう安心していいんだな、と彼は思った。
 それから何もなかったように学校に行こうとして、ふいに自身の部屋にバスケットシューズを忘れたことに気がついた。子供部屋どころか二階に上がるのさえ、あの夜以降、はじめてのことだった。その日の学校の支度は何から何まで両親がやってくれたのだ。
 部屋に入ったとたん、えっ、と彼は声をあげた。二段ベッドがありえないほど大きな力で、くの字に折れ曲がっていたのだ。

 廊下で鉢合わせた父親の、ああ、見ちゃったか、という困ったような表情が忘れられず、今もそこに住んでいるが、あの時のことは何ひとつ聞けていない、という。


ツイキャス「橙魂百物語 最終夜」(2017年02月24日)17:52〜を抜粋、文章化したものです。


#禍話 #禍話リライト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?