映画『プロメテウス』のデヴィッドに倣う

noteをはじめてみたは良いものの、何から書いたら良いのか、どう書いたら良いのか見当もつかない。映画について書こうにもどこまで調べるか、その先に独自性のあるものが書けるのかと躊躇ばかりしているので準備なしに強引にフリック入力の指を動かす。
題材に迷うのでnoteをはじめるきっかけとなった映画、というよりキャラクターについてちょっと書く。

そのキャラクターは、言わずと知れたSFホラー映画の金字塔『エイリアン』の前日譚である『プロメテウス』とその続編『エイリアン:コヴェナント』に登場するデヴィッドだ。

この2作は登場人物がバカだとか、一作目に微妙に繋がらないとか、宗教モチーフを拾えないと話を理解できないとかの理由で芳しくない評価を受けている。例に漏れず自分も読み取れていないのだが、リドリー・スコットの圧倒的な映像美とデヴィッドのキャラクター性にやられてしまいメイキング本を買ってしまうほど好きな作品である。

デヴィッドは命を弄び完全生命体エイリアン造りに勤しむ、人間からしたらクソアンドロイドなのだが、心の根は「創造主になりたい!」と願ってやまないかわいい奴である。しかもその願いがおそらく、生物ではないことのコンプレックス。つまり、種を残せないことから生じているということに悲哀を感じて嫌いになれない。

というか、めちゃくちゃ好きで共感してしまう。「人生でなにも残せない」と焦っていた俺は、デヴィッドと一緒にエイリアンの痕跡に高揚し、アンドロイドにとって神である人間を引きずり下ろして実験台に変え、自らも創造主になろうとする瞬間に、「いいぞ!やれ!」と応援した。

そんなワケで俺も創造主になるため、このnoteで小さいことから実験をしていきたい。

『プロメテウス』と『エイリアン:コヴェナント』の映画感想文はメイキング本などをちゃんと読んで多少は理解に近づいたら書きたい。いつか。

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