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論語と算盤⑤理想と迷信: 4.かくのごとき矛盾を根絶すべし

強い者の申し分はいつも善くなるということは、一つの諺として仏国に伝わっているけれども。漸々(だんだん)文明が進めば、人々道理を重んずる心も、平和を愛する情も増して来る。相争う所の惨虐を嫌う念も、文明が進めば進むほど強くなる。換言すれば、戦争の価値は世が進むほど不廉となる。いずれの国でも、自らそこに顧みる所があって、極端なる争乱は自然に減ずるであろう。また、必ず減ずべきものと思う。明治三十七、八年頃、露西亜(ロシア)のグルームとかいう人が、『戦争と経済』という書を著作して、「戦争は世の進むほど惨虐が強くなる。費用が多くなるから、遂には無くなるであろう」という説を公にしたことがある。「かつて露西亜皇帝が、平和会議を主張されたのも、これらの人の説に拠ったものである」と、誰やらの説に見たことがある。それほどに、戦争の惨虐なものであるということが唱えらるるくらいだから、今度のごとき全欧州の大戦乱なぞは、決して起こるべきものでないように思われておったが、丁度昨年(大正三年)の七月末に日々(にちにち)各新聞紙の報導を見た頃、私は両三日旅行して、「どうなるか」という人の問いに答えて、新聞紙で一見すれば戦争が起こると信ぜられるが、先年亜米利加(アメリカ)のジョルダン博士が「モロッコ」問題の生じた時に、米国に有名なる財政家ゼー・ビー・モルガン氏の忠言のために戦争が止んだということを、電報でいって来たと言って、──博士はもとより平和論者であるから、平和に重きを措いたのであろうが──特に手紙を寄越したことがある。私もその説を深く信じた訳ではなかったけれども、世の進歩の度が増すに随って、人々がよく考慮するから、戦乱は自然と減ずるという道理が起こって来る訳で、それは自然の勢いと思われると申したことであった。
しかるに、今日欧羅巴(ヨーロッパ)の戦争の有様は、細かに承知はしないが、実に惨澹たる有様である。ことに独逸の行動のごときは、いわゆる文明なるものは、いずれにあるか分からぬというような次第である。蓋しその根源は、道徳というものが国際間に遍(あまね)く通ずることができないで、 遂にここに至ったものと思う。果たしてしからば、およそ国たるものは、かかる考えをもってのみ、その国家を捍衛(かんえい)して行かねばならぬものであるが、何とか国際の道徳を帰一せしめて、いわゆる弱肉強食ということは、国際間に通ずべからざるものと、なさしむる工夫が無いものであろうか。畢竟(ひっきょう)政治を執る人、及び国民一般の観念が、相ともに自己の勝手わがままを増長するという欲心が無かったならば、かくのごとき惨虐を生ぜしむることはなかろうけれども、一方が退歩すると、他方が遠慮なく進歩して来るようでは、この方も進まなければならぬから、勢い相争うようになり、結局戦争せねばならぬことになる。ことさらその間に人種関係もあり、国境関係もありましょうから、ある一国が他の一国に対して勢力を張るのはその意を得ない。これを止めるには平和ではいかぬというので、ついに相争うようになるのである。蓋(けだ)しおのれの欲する所を人に施さないのであって、ただ我を募り欲を恣(ほしいまま)にし、強い者が無理の申し分を押し通すというのが、今日の有様である。
一体文明とは、如何なる意義のものであるか。要するに今日の世界は、まだ文明の足らないのであると思う。かく考えると、私は今日の世界に介在して、将来わが国家を如何なる風に進行すべきか。またわれわれは如何に覚悟して宜いか、已むことを得ずばその渦中に入って、弱肉強食を主張するより外の道はないか、ぜひこれに処する一定の主義を考定して、一般の国民とともに、これに拠りて行くようにしたいと思う。われわれは飽くまでも、おのれの欲せざる所は人にも施さずして、東洋流の道徳を進め、弥増(いやま)しに平和を継続して、各国の幸福を進めて行きたいと思う。少なくとも、他国に甚だしく迷惑を与えない程度において、自国の隆興(りゅうこう)を計るという道がないものであるか。もし国民全体の希望によって、自我のみ主張することを止め、単に国内の道徳のみならず、国際間において真の王道を行なうということを思ったならば、今日の惨害を免れしめることができようと信ずる。

本節の序文には、文明が進めば道徳が重要視され悲惨な戦争も起こらなくなるはず、との発言がある。しかし、このころ第一次世界大戦前のヨーロッパでどんぱちはなくならず、日本も日清戦争や日露戦争をおこなっていたころで、渋澤先生は平和主義を貫きながらも、少なからずこれらの戦争にまきこまれ、勝利に貢献したことも歴史の事実のようです。

かたや現代社会を見てみると、核戦争で人類滅亡することが子供でも理解している中で大国同士の戦争はさすがにおこなわれないでしょうが、科学文明が相当進んでいるように見えるけれど道徳が欠落した今日では先にも書いた全体主義が蔓延し、某国ではナチスによるユダヤ人虐殺を超える虐殺がいまだに実施されていて、世界はそれを見てみぬふりをしているように見えます。

渋澤先生が指摘する道徳の重要性はそのとおりだとしても、時代が変わって発生している問題が大きく変わってきている今日、道徳の重要性やなにがその欠落をうんでいるのかを、別の視点や新しいテクニックを使って考え直し、世に広めなければいけないなと思います。

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