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論語と算盤④仁義と富貴: 8.富豪と徳義上の義務

私は老人(としより)の冷水(ひやみず)といいましょうか、はた老婆心といいましょうか、この歳になっても、国家社会のためには朝夕(ちょうせき)駈け廻っております。自宅へも皆さんが種々(しゅじゅ)なことをいって見えますが、それが必ずしも善いことばかりではありません。否、寄付をしろの、資本を貸せの、学費を貸与してくれのと、随分理不尽なことを言って来る人もありますが、私はそれらの人々に、 ことごとく会っています。世の中は広いから、随分賢者もおれば偉い人もいる。それをうるさい、善くない人が来るからといって、玉石混淆(こんこう)して一様に断り、門戸を閉鎖してしまうようでは、単り賢者に対して礼を失するのみならず、社会に対する義務を完全に遂行することができません。だから私は、どなたに対しても城壁を設けず、充分誠意と礼譲とをもってお目にかかる。しかして、もし無理な注文が出れば断るし、できることは尽くして上げるようにする。昔、支那の語に、「周公(しゅうこう)三たび哺(ほ)を吐き、沛公(はいこう)三たび髪を梳(くしけず)る」ということがある。すなわち周公という大政治家は、御飯を食べている時に訪問客があると、食べかけた御飯を吐き出して客を迎えて用件を聞く。客が帰るとまた御飯にかかるが、そこへ来客があるとまた御飯を吐き出して面会する。かくて一回の食事中に三度(みたび)も哺を吐いて、来客に接するというほど来客を優遇した。また沛公は漢八百年の基を開いた高祖であるが、この人も周公に私淑(ししゅく、ひそかに尊敬し模範として学ぶこと)し、よく広く賢者に俟っという主義で、朝、髪を梳いている時来客があると、髪を梳ったまま引見する。三度髪を梳るというのは、「三度結いかけた髪を中止してまで訪客に接するという、非常に客を歓迎するの意味を現したものである。私はあえて周公、沛公の賢に比する」という訳ではないが、広く賢者に俟っという意味で、どなたにでもお目に懸ることにしておる。しかるに世間往々にして、客を引見することを億劫がる人が多い。否、富豪だとか名士だとか言わるる階級の人には、ことに来客を厭(きら)うの風が甚だしいようであるけれども、うるさいとか億劫だとか言って引っ込んでおっては、国家社会に対して徳義上の義務を全うすることは、できまいと思う。
私は過日、富豪の子息で大学を卒業したばかりの御人に面会した。これから社会に出るについて、いろいろ御注意に与かりたいということであったので、私はその時、こんな話をしては貴方のお父さんに、渋沢は余計なことをいうと、蔭で恨まれるかもしらんがと冒頭(まえおき)して、次のような話をしました。
今時の富豪はとかく引っ込み思案ばかりして、社会のことには誠に冷淡で困るが、富豪といえど自分独りで儲かった訳ではない。言わば、社会から儲けさせて貰ったようなものである。例えば地所をたくさん所有していると、空地が多くて困るとか言っているが、その地所を借りて地代を納めるものは社会の人である。社会の人が働いて金儲けをし、事業が盛んになれば空地も塞がり、地代も段々高くなるから、地主もしたがって儲かる訳だ。だから自分のかく分限者(ぶんげんしゃ)になれたのも、一つは社会の恩だということを自覚し、社会の救済だとか、公共事業だとかいうものに対し、常に率先して尽くすようにすれば、社会は倍々(ますます)健全になる。それと同時に自分の資産運用も益々健実になるという訳であるが、もし富豪が社会を無視し、社会を離れて富を維持し得るがごとく考え、公共事業、社会事業のごときを捨てて顧みなかったならば、ここに富豪と社会民人との衝突が起こる。富豪怨嗟の声は、やがて社会主義となり「ストライキ」となり、結局大不利益を招くようにならぬとも限らぬ。だから富を造るという一面には、常に社会的恩誼(おんぎ)あるを思い、徳義上の義務として社会に尽くすことを忘れてはならぬ。
こんなことを言っては富豪から憎まれるかもしらんが、実際私どもでさえ上述の訳合いからできるだけ尽くしているのに、どういうものか世間の金持ちは引っ込み思案で困る。この間もある富豪に、「貴方がたがもう少し社会に口を出して下さらなくては困る」と言うと、どうも面倒臭くてと言っておられたが、単にうるさいからと言って引っ込んでおられては、私どもばかり躍起になっても、誠にうまく行かないで困ります。現に私どもがお先棒になって明治神宮の外苑建設を企画しておりますが、これは代々木か青山辺の明治神宮の外苑として、宏大なる公園様のものを造り、帝国中興の英主なる先帝の御遺徳を永く後昆(こうこん)に伝うべき記念図書館、もしくは各種教育的娯楽機関を造りたいというのが趣意で、約四百万円の費用を要する見込みである。かかる企ては社会教育の上から見て、誠に適切なる事業だと信ずるのであるが、さてこれだけの費用を寄せるには容易でない。こういう場合には、岩崎さんや三井さんにぜひ一と奮発して貰わなければならぬが、それと同時に世の大方富豪が社会に対する徳義上の義務として、常に公共事業に尽くされんことを望むのである。

本節では、金儲けができたのも社会のおかげなので、健全な公共事業には民間も率先して寄付するのがよいとある。

私の会社も一人経営の小さなコンサル会社であるが、ご近所の伊賀八幡宮の玉垣寄付や大学の授業へのコンテンツ提供や学生のインターンシップ先に時間をさくなど身分相応の小さな寄付をして自己満足に浸っている。

小さいながらも社会への貢献は楽しいものです。

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