見出し画像

論語と算盤⑤理想と迷信: 7.日新なるを要す

社会の事柄は、年を逐(お)って進んで来るようにも見える。また学問も内からと外からと、次第次第に新しいものを齎(もたら)して来る。社会は日に月に進歩するには相違ないが、世間のことは久しくすると、その間に弊を生じ、長は短となり、利は害となるを免れぬ。特に因襲が久しければ、潑溂(はつらつ)の気がなくなる。ゆえに古人もいった。支那の湯(とう)の盤の銘に、「苟(まこと)二日二新(あらた)ナリ、日ニ日ニ新ニシテ、又日ニ新ナリ」とある。何でもないことだが、日々に新たにして、また日に新たなりは面白い。すべて形式に流れると精神が乏しくなる、何でも日に新たの、心掛けが肝要である。
政治界における今日の遅滞は、繁縟(はんじょく)に流れるからのことである。官吏が形式的に、事柄の真相に立ち入らずして、例えば、自分にあてがわれた仕事を機械的に処分するをもって満足している。イヤ官吏ばかりでない。民間の会社や銀行にも、この風が吹き荒んで来つつあるように思う。一体形式的に流れるのは、新興国の元気鬱勃(うつぼつ)たる所には少ないもので、長い間、風習がつづいた古国に多いものである。幕府の倒れたのは、その理由からであった。「六国(りっこく)を滅す者六国なり、秦にあらざるなり」といっている。幕府を滅ぼしたるは幕府の外なかった。大風が吹いても強い木は倒れぬ。
自分は宗教観念を今でも持たぬが、しかしそれかと言って、外道で守る所がないというのではない。私は儒教を信仰して、これを言行の規矩(きく)としている。「罪を天に獲れば禱(いの)るところなし」である。私一人はそれでよいが、一般民衆はそうは行かぬ。智識の程度の低い者には、やはり宗教がなければならぬ。ところが今日の状態は、天下の人心帰一する所なく、宗教もまた形式となって、お茶の流派、流儀といったようなみ憾(うら)みがある。民衆に嚮(むか)うべき所を教えぬ。これは何とかせねばなるまい。
この状態に対して、善い施設をせねばならぬと思う。今日は迷信などが、なかなか盛んであって、そのお蔭で田を流したの、倉をなくしたのというものが多い。宗教家が本当に力を入れて起たなければ、それらの勢いは益々盛んになるばかりであろう。西洋人は言う、「信念強ければ、道徳は必要なし」と。その信念を持たせねばならぬ。
商売はおのれを利することを眼目とするために、自分さえ利すればそれでよい。他人の迷惑は知らぬ存ぜぬ、という考えを持っている人がある。それゆえに、利殖と道徳とは一致せぬという人もあるが、これは間違いで、そんな古い考えは今の世に通用させてはならぬ。維新頃までは、社会の上流、士大夫(したいふ)ともいうべき人は利殖に関係しないで、人格の低いものがこれに当たるというのであった。その後、この風習は改まったが、まだ余喘(よぜん)を保っている。
孟子は、利殖と仁義道徳とは一致するものであるといった。その後の学者がこの両者を引き離してしまった。仁義をなせば富貴に遠く、富貴なれば仁義に遠ざかるものとしてしまった。町人は素(す)町人と呼びていやしめられ、士の俱(とも)に齢(よわい)すべきものでないとせられ、商人も卑屈に流れ、儲け主義一点張りとなった。これがために経済界の進歩は幾十年、幾百年遅れたか分からぬ。今日は漸次(ぜんじ)消滅しつつあるが、まだ不足である。利殖と仁義の道とは一致するものであることを知らせたい。私は論語と十露盤(そろばん)とをもって指導しているつもりである。

維新前は、「士大夫(したいふ)ともいうべき人は利殖に関係しないで、人格の低いものがこれに当たる」という風潮で利殖は不道徳なものとみなされており、逆に維新後は西洋の考え方をそのまま取り入れ、不道徳でも利殖が成功すれば良い、といった考え方がまかり通るようになってしまったことをどちらも間違っているよ、と言っている。

孔子はもともと「利殖と仁義道徳とは一致するものである」と言っていたし、そちらのほうが道理にあってるよと本節では言っている。

最近の欲望の資本主義を反省しようとする世界的なうごきもこのとおりで、持続可能性を考慮すると「利殖と仁義道徳」すなわち「論語と算盤」は両輪で回すものだということですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?