維新前は、「士大夫(したいふ)ともいうべき人は利殖に関係しないで、人格の低いものがこれに当たる」という風潮で利殖は不道徳なものとみなされており、逆に維新後は西洋の考え方をそのまま取り入れ、不道徳でも利殖が成功すれば良い、といった考え方がまかり通るようになってしまったことをどちらも間違っているよ、と言っている。
孔子はもともと「利殖と仁義道徳とは一致するものである」と言っていたし、そちらのほうが道理にあってるよと本節では言っている。
最近の欲望の資本主義を反省しようとする世界的なうごきもこのとおりで、持続可能性を考慮すると「利殖と仁義道徳」すなわち「論語と算盤」は両輪で回すものだということですね。