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映画「トノバン」を見た

実は加藤和彦は大好きなアーティスト。数年前に自ら世を去った。軽井沢の万平ホテルが最後の場所だったなんて、いかにもだと思ったけど、本当に悲しく寂しかった。彼にまつわる人々の取材などで構成する映画「トノバン」が上映されていて、三重県じゃ見られないだろうなと諦めかけていたら、なんと伊勢市の進富座という映画館で見られるということで昨日見に行ってきた。

三重県 音響
伊勢市進富座

ここは伊勢市の商店街の奥の方に、昭和初期からある劇場で、世の中の映画館といえばシネコンで、どこへ行ってもメジャーな映画は見られるけど、そうじゃない作品は取り扱う劇場が減り、マイナーな作品はなかなか見ることができない。そんな作品をチョイスしている映画館のようだ。客席数100席くらい。それでもお客さんはそこそこ入っていた。

三重県 音響
ポスターも写真を撮ってきた

劇場内はスクリーンの前に小さなステージがあって、上下にエレクトロボイスのPA用のスピーカーがスタンドで立てられていた。松山猛氏や坂本龍一、高橋幸宏、つのだ⭐︎ひろ、高中正義にクリストーマス、折田育造さんに石坂敬一さんなど錚々たるみなさんのインタビューを中心に進められる映画。
終盤にスタジオで高田漣と高野寛がアコギを持って座ってて、聞き慣れたイントロを弾き始めた。「あの素晴らしい愛をもう一度」それに北山修と坂崎幸之助が歌を乗せ、坂本美雨、石川紅奈という若手に引き継がれていく。ドラムは高橋幸宏のようだ。高田漣のリッケンバッカーのラップスチールが入って、エンディングはインタビューされた人たちやスタッフたちがコーラスで入って大団円を迎える。ファンには堪らない映画でした。
北山修と坂崎幸之助というベテランの歌から、坂本美雨、石川紅奈の若手に歌い継がれていき、最後は関係者一同が歌う。これって加藤和彦の音楽そのもののような気がする。今の音楽って、素晴らしい作品を作って後世に残そうというより、売れるものをたくさん作って、売れる時にバンバン売って、飽きられたら次を作って…そんな風潮になってきてるような気がするんだけど、加藤和彦だけじゃなくて、良い作品は未来永劫残そうよ、世代や時代や地域を超えて継いでいきたいね。そういうことなのかなと感じた次第で…。久しぶりに見応えのある映画でした。帰りがけ、映画館のスタッフの人に思わず「ありがとう」と言ってしまいました。

三重県 音響
アルバム3枚が付録についた書籍です

加藤和彦という人は、フォーククルセダーズの頃から、サディスティックミカバンドを経てソロになるんだけど、八面六臂な人で、同じことはしないし好まない。いろんなスタイル、アプローチで音楽を届けてくれたんだけど、どれもが新しい…というより先をいってる。彼が新作で取り上げたスタイルは少しタイムラグを置いて流行り出す。そもそも「帰ってきたヨッパライ」でのテープの早回しなんて、誰もやってなかった。自宅録音で作られた作品で、北山修の私物のオープンテープレコーダーの回転数を間違えたことがきっかけで思いついて作品に採用したらしい。サディスティックミカバンドでは、いち早くグラムロック取り入れたし…。
泉谷しげるのプロデュースした時、まだ本人も「読み方わかんない、レガエって読むのかレギー?」とか言いつつ、泉谷しげるからも「え?こんなスカスカのリズムでやんの?」なんて頃にレゲエやったり…
そしてソロになりもはやフォークだロックだレゲエだとか、スタイルに縛られない音楽を奏で始めた。長年在籍した東芝を離れ、当時仲良くしてたワーナーパイオニアの折田育造さんから誘われてワーナーに移って作ったのが「パパヘミングウェイ」「うたかたのオペラ」「ベルエキセントリック」それぞれバハマ、ベルリン、パリの海外の有名なスタジオで録音された、いわゆる「ヨーロッパ3部作」と言われた作品群。この頃が僕は1番好きだな。映画でも折田育造さんのインタビューもあった。もちろん鬼籍に入られたので声だけだったけど。ミカバンド解散後は、作詞家の安田かずみと再婚し、黄金の2人の共同作業の成し得た奇跡なんだろう。
この頃から音楽だけではなく、研ぎ澄まされたファッションセンスや食生活、ライフスタイルにも注目が集まるんだけど。
どの時代の作品を聞いても決して古さを感じさせない稀有な芸術家です。

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