見出し画像

#大阪テレビ放送 『フリーネットの利点』

◉ゴールデンタイムという利権
 OTVの放送開始初日、大演奏会を終え、19:30からは東京からのネットワーク番組が放送された。いずれも東京では人気の番組である。
 現在のテレビと違うのは、ネットワーク契約による拘束がないため、OTVはNTVとKRTVから「人気のある番組」をチョイスすることができたという点である。これは名古屋のCBCも同じであった。
 しかし、当時の営業用資料を見ると「チョイスできる」というほど自由ではなかったことがわかる。つまり、OTVは「チョイスする側」にはあるが、スポンサーが東京で制作する番組を「OTVにネットしたい」と言った場合、OTVは「指定された枠に予約がない限り」売らないわけにはゆかなかったのだ。
 夜7・8・9時台といえば、曜日に関係なく、今も昔も「一番稼げる時間帯」である。OTVのあった時代、視聴者の多くは街頭テレビを視聴していたが、それでも、夜、わざわざ街頭テレビや、テレビのある飲食店に出かけたり、テレビを持っていた家庭に押し掛けて「共同視聴」していたのである。開局時、関西地区全体のテレビジョン受信機台数の大半以上は(家庭の受信機を含めて)大勢の人々に共同視聴されており、しかも「あこがれのメディア」であったから、広告の影響力は絶大。スポンサーがこれに眼をつけないわけがない。
 しかし、最初からテレビ放送事業(書記は「テレヴィ事業」と呼ばれていた!)への期待や評価がこんなに高かったわけではない。たとえば、財界の注目のもとに結成された「大阪テレビ設立準備委員会」のごく初期の会合において、住友銀行の調査部長が次のようなシビアな見通しを報告している。
 (一)予想されるテレビの広告料金は、他の媒体の広告料金と比して特に高いものとは思われない。
 (二)アメリカの諸例を見ても、テレビだけではまだ採算はとれていない。
 (三)有力スポンサーを狙い撃ちする必要がある。
 (四)食料品、薬品、化粧品関係が主たるスポンサーとなるであろう。
 (五)三年以内に黒字とすることは甚だ困難と思われる
 以上は日本で民間テレビ局が開局する前の見通しである。当然まだ「街頭テレビ」というビジネススタイルが発見される以前のことで、家庭普及率に頼った見通しであるが、とにかくシビアな予想である。
 東京で日本テレビが開局した際も、しばらくは「次期尚早」の声が高かったが、街頭テレビの登場とともに評価がガラリとかわったのは前述の通りである。
 OTVが開局十か月前に、東京・大阪の企業に配布したパンフレット「テレビ広告新春問答 OTVアドシリーズ」をみると、その変わりようがはっきりとわかる。

 (以下引用)
 問 OTVに時間取りを申し込むにはどうしたらよいか

 答 本社の番組編成は東京二局とのネットワークを考えた上できめられます。例えばあなたが土曜日の午後七時半から三〇分間クイズ番組を申し込まれたとします。ところが東京のN局は、同じ時間にA社提供の人気クイズ番組を提供している。OTVとしてはA社の番組が内容がすぐれ視聴率も高いものであれば、この時間はA社の提供として、あなたには別の時間をおすすめせざるを得ぬ事態がおこってきます。このようにゴールデンタイムのよい時間は、東京―大阪を通じて上下ラインとも一種の利権化される過程が生じてくると思われます。これは望ましいことではありませんが、生の同時放送という制約から必然的に起きてくるものです。

 問 それでは今のうちに東京の局の希望の時間に申し込んだほうがいいのでしょうか

 答 OTVが出来てからではゴールデンタイムを確保することはむつかしいでしょう。すでにNTVは午後七時以降九時までの時間は全部売り切れております。ですから東西同時の時間を狙われるなら今のうちに東京の局へ申し込まれるとそれだけ有利です。開局してからですと、OTV自身扱いかねる場合も生じてきます。

 問 ネットワークを組むと格安になりますか、またどんな利点が生じますか

 答 そうです。二・三局へ申込みになりますと、それだけ製作費もかさみますし、それから二・三局へ流されるとタレントのギャラ増ということもあります。マイクロウエーブの使用料は一時間東京―大阪二万円にしかすぎません。またネットを組んだ時、東京一局の場合と同じ比率で製作費を投じたとすれば(編駐・3局で3本の番組を作らせる予算を、1局に投下したとすれば、という意味)さらに豪華な番組の制作が可能になります。そしてこれによって人気も増し、視聴率も大阪だけではなく東京でも高くなり、広告効果もあがってくるというわけです。

 (引用おわり)

 史料「朝日放送の12年」によれば、このパンフレットがスポンサーに大反響をよび、なんと東京のNTVとKRTVへゴールデンタイムの申し込みが殺到した。OTVは「複数都市をネットワークしたければ、OTVを通すより、東京の局に申し込んだほうが有利だ」と指南したことになる。これでは儲からないのではないか?
 もちろん儲からないわけがない。乱暴なことを言えば、ネット番組は「作られた番組を中継するだけで放送料が稼げる」のだ。しかも(東京の局に制作費が集中することにはなるが)制作費を集中投下できるので、豪華な番組を「作らせる」ことができるのだ。
 スポンサーから支払われる「番組スポンサー料」は、大別して「製作料」「電波料」「その他」で構成される。製作料(局によって「制」の字を宛てることもある)は、ソフトウエアとしての「番組」を制作する実費(スタッフ人件費、出演者ギャランティを含む)と手数料。電波料とは、放送番組枠の使用料で、時間帯によって価格が違う。その他の費用には、特別な番組宣伝費や諸手数料などとともに、ネットワークする際の回線利用料なども含まれる。
 ネットワーク番組には、(1)スポンサーがある一局に作らせた(ソフトウエアとしての)番組をマイクロ回線で複数の局に配給する方法、(2)フィルム(のちにVTR)で制作した番組を複数の局に配給して指定の時間に放送させる方法、そして、(3)共通の企画内容で各局に現地制作させる方法などがある。
 現在のテレビでは(1)と(2)が大半を占める。(3)はショッピング番組の一部(スポンサーと商品、原稿、素材映像などが共通で、各局が制作。ワイド番組内の通販コーナーなどに多い)ぐらいしか見当たらない。
 ちなみに、民放ラジオの黎明期には(3)が流行った。聴取者参加型の公開クイズ番組によく採用された。スポンサー、番組タイトル、問題、賞品、CMは共通のものを使用し、各局のアナウンサーが百貨店などのステージを使って、地元聴取者を回答者として出演させるもので、好評を呼んだ。現在は「歌のない歌謡曲」のように、音楽素材と解説原稿が共通で、各局のアナウンサーが担当するというものや、共通商品・共通原稿で各局が制作するショッピング番組などにみられる。
 初期には、同じ企画を、各エリアの人気者で制作するという企画もあったようだが、広告効果を考えると、2局分の制作費を集めて、ギャラの高い「全国級のスター」で制作したほうが効率的であると判断されたようだ。
 ただ、OTVの親会社である朝日・毎日の両グループは、それぞれ「自社系列による全国制覇」を目標としていたから、ローカル局の理屈に収まる気など毛頭ない。番組を「輸入する側」から「輸出する側」に回ること、それが両親会社の目標であり「大阪の目標」でもあったのだ。
 テレビ時代の到来にあたって、大阪の発信力を強くしなければならない、と勘づいていた人たちがいた。
 ゴールデンタイムの利権化に振り回されない力をどう獲得するか。
 大阪がこの「利権」を逆手にとるにはどうしたらいいのか。
 まさに、「楽」な身入りを上回る何かで、自由に発信できる「快」を得ようとしていた。
 開局したばかりのOTVは、現場も経営サイドも、この矛盾から新しい可能性を導き出そうとしていた。これこそ、平均年齢25.5歳の「ニューメディアの現場」ならではの熱さであった。

◎初日夜のネットワーク番組
 さて、OTVは、開局初日のゴールデンタイムにどんな番組を「輸入」したのだろうか。
 「大演奏会」の終了後、19:30からはNTV制作の「何でもやりまショー」。アサヒビールの提供で司会は三国一朗。視聴者参加型のゲーム企画番組だが、放送史的には「ゲーム型公開バラエティ」の元祖で、最初の成功例といえるのではないだろうか。大変な人気を誇っていた。
 20:00からは連続ドラマ「明日は日曜日」。この日は「随行さんの巻」。NTV制作。源氏鶏太の原作。website「テレビドラマデータベース」によれば、大坂志郎、十朱久雄、渡辺美佐子(渡邊美佐子)、西村晃、高友子、水戸光子、利根はる恵、中原早苗、忍節子、堀恭子、石田昭子、北原文枝、久邇恭子、堤真佐子、槇芙佐子、大矢兼臣、小川虎之助、加藤忠、作間雄二、逗子とんぼなどが出演したとある(もちろんこの全員が一度に出たわけではない。ご注意を)。このドラマは東京ではこの11月から始まったばかりであった。
 20:30からはシャープ劇場「のり平喜劇教室」。NTV制作。前年2月に開始したシャープ劇場「のり平のテレビ千一夜」がこの年4月にリニューアルして「のり平の喜劇教室」となった。
 同データベースによれば出演者は三木のり平、雨宮節子、如月寛多(如月寛太)、山賀秀夫、森川信、中田康子、中村陽子、宮川京子、石田守衛、海老江寛、川上雄司、里井茂。
 基本的には東京からマイクロ回線で送られてくるリアルタイムの放送を中継し、番組の合間にローカルCMやステーションIDを割りこませれば良い。とはいえ、これはなかなか慎重さを要する厳しい仕事だ。
 21:00からは、何が放送されたか記録が残っていない(後述)。
 21:15からはネットワークを切り替えてラジオ東京テレビジョン制作の「日眞名氏飛び出す」がネットされる。この回は「XYZ殺人事件前編」。このドラマは同じ物語を前篇・後編に分けて放送するスタイルだ。
 そして21:45からは、再びネットを切り替えてNTV制作「ダイヤモンドグローブ」となる。
 番組表によれば、この夜は日本ヘビー級特別試合を浅草から中継した、とある。

◎謎の空白
 ここで「21:00~21:15」に存在する謎について仮説を立ててみたい。
 つまり、21:00~21:15が番組表上「空白」になっている点についてであるが、大阪各紙の番組表を見ても、OTV関係の諸資料を見ても、この15分間何が放送されたか明記されておらず、証拠が出るまでは推測するほかない。
 東京からのネットに挟まれた時間であるが、東京地区のテレビ番組表をみると「シャープ劇場・のり平喜劇教室」は20:30~21:00の放送で、「日眞名氏飛び出す」は21:15~21:45の放送。両局とも21:00~21:15はニュース(およびスポーツニュース)にあてている時間である。
 最初の推測として、OTVもこの時間にニュースを放送したのではないかと考えられる。NTVやKRTVからのネットでスポーツニュースを放送した可能性も考えられる(時まさにメルボルン五輪の期間中でもあった)。番組表にニュースの表示がない点が不明だが、面積の限られた当時のテレビ番組表ではニュースは省略されることがあった。
 次の推測として、2週後の番組表において「メトロニュース」と掲載されているところから、すでにこの時間に外国フィルムニュースを放送していた可能性も考えられる。ノンスポンサーであれば、面積不足から省略されても不思議ではない。当時、アメリカ発の吹き替えニュースフィルムが頻繁に放送されていた。アメリカの対日情報戦略の一環であるという見方もある。もっと強くいえば、アフガニスタン占領後、アメリカ軍がアフガニスタン国民向けにさまざまな放送を展開しているのと同じようなものだ。この点からいえば、戦後流行したアメリカ製娯楽ドラマなどもこの一環だと考えられている。
 さらなる推測として、、時間調整用のフィラー映像、または、生放送による各種情報(お買い物や催事、番組編成に関する情報など)を「局報」(局からのおしらせ枠。非広告販売枠として今でもよく使われる)として放送した可能性が考えられる。
 初期のテレビはほとんど生放送であったため、ドラマにしてもバラエティにしても、現在のように秒単位まで正確に放送を終了することが難しかった。また、開始時刻を正確にしようとしても、前の番組が時間内に収まらなかった場合、数分遅れで番組を開始するしかなかった。しかもスポンサーには「○○分番組枠」として受注しているから、調整のために放送を切り上げることはできない(たとえ時間より早く台本を消化してしまっても、時間枠いっぱいまで何かで埋めなければならなかった)。
 東京ローカルのみであった1956年11月までは、NTVもKRTVも、編成の中にノンスポンサードの生放送ミニ枠を挟んで、そこで時間調整をはかったようだ。しかし、大阪と名古屋にネットするとなると、ネットを受けた局(OTVとCBC)の編成に影響が出ないよう、正確な時間に送出しなければならない。しかも、大阪も名古屋も東京の2局の番組を取り混ぜてネットするため、両放送局の時間のズレをなんとかしなければならない。
 つまり、20:30ちょうどに始まったA局の番組が、少し伸びて21:03に放送終了したとすると、受け局は21:00開始のB局の番組を放送しようとすれば頭の3分間が放送できなくなり、あるいはB局の放送開始時刻を優先すればA局の番組が3分だけ尻切れトンボになるのだ。
 土曜夜の編成を見ると、NTVからのネットは19:30から21:00まで30分番組が3本並んでいる。仮に3つの番組が2分づつ押してしまうと、たとえば21:00開始のKRTVの番組は頭6分間が切れてしまうことになる。そこで(幸いにも)KRTVの人気ドラマ「日真名氏飛び出す」が21:15開始なのを利用して、21時台の頭に15分のクッションタイムを置いたのではないか、ということだ。一つの番組の遅れ調整だけなら5分程度のクッションがあれば済むが、三つも同じ局から番組がつながると、どんな事態が引き起こされるかわからない、と考えたのだろう。何せ「ネットを意識した厳密な定時放送」については、先行して開局した在京の2局も「初めての体験」だったのだ。大袈裟に聞こえるかもしれないが、サービス放送という練習があったとはいえ、東京2局にとってもOTVにとってもこの切り替えは「未経験の危険作業」なのである。開局初日くらい、このくらいの安全地帯を設けても不自然ではない。
 そこで、15分の枠で(実際にはこの夜、何分遅れたかわからないが)、局からのお知らせを生放送し、風景などのフィラー映像で次の番組開始までつないだ可能性が考えられる。ちなみに、他曜日のこの時間枠は、東芝日曜劇場が放送される日曜日以外、21:00~21:15はローカルの生放送による演芸やコント、あるいは(生ではないが)観光映画などが放送されており、21:15からネット番組に戻っている。これらの番組でどれほどの時間調整可能なのか不明だが、クッションのように置かれているこの15分間は、ただの時間の埋め合わせとは思えない。
 21:45に「日真名氏飛び出す」が終わると、ふたたびNTVに戻って、プロボクシング中継「ダイナミックグローブ」となる。ここは15分間のクッションで「日真名氏」の開始時間がアジャストされるため、クッションを設けなくても、OTV側のステーションブレイク枠程度で時間のずれを吸収できると考えたのだろう。
 NTVで大人気のボクシング中継「ダイナミックグローブ」は日本の民間放送における大長寿番組の一つと言ってもいい。放送開始は1954年12月21日。タイトルは最初から「ダイナミックグローブ」で、60年代ボクシングブームを経て1969年に第695回で毎週のレギュラー枠からはずされた。その後、関心の高いカードを中心に、不定期ながら継続され、この間も「ダイナミックグローブ」という名前は続いた。1981年、久々にレギュラー番組として編成に組み込まれた。1990年代以降は徐々に日本テレビ系のCS放送に移され、2009年春以降はCS放送「日テレG+」に移動して放送を継続。紆余曲折があったとはいえ、半世紀以上も同じ番組タイトルが使われているのは大変珍しい。
 この日の放送は、22:50に「五輪大会ニュース」で終了した。番組表には掲載されていないが22:45からPR番組「テレビガイド」が放送されている可能性がある。この番組はOTV全史を通して最も省略されやすい。また、五輪大会ニュースの終了時間は不明。OTVは毎夜ニュースで一日の放送を終えるが、その日のニュースの量によって終了時刻が変わったとのことである。
 こうして、本放送第一日目の放送は、終了した。
 放送は終了したが、スタジオでは翌日放送される番組のセットを建てこむ作業が始まっていた。

(このあとつづきは3月3日・中之島で!)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?