見出し画像

2025年は電リク百周年

●記録によれば、1925年3〜7月のJOAK仮放送において、生演奏の評判が良いと、電話で放送局にアンコールをリクエストするケースが少なくなかった模様。芝浦の仮局舎時代の話。
●リクエストを受けた際は、演奏者に確認し、電話で逓信省の検閲官に許諾をもらって放送していた。そして、記録には『リクエスト番外』と記された。
●当時は、スタジオが一杯しかなく、番組と番組の間は出演者入れ替えや準備のため、数分〜数時間空白があり、多少の放送時間の延長は簡単であった。

●放送再開時は必ずあの『ジェーイ、オーウ、エェーイ、ケェーイ。ジェーイ、オーウ、エェーイ、ケェーイ。こちらは東京放送局であります』というコールサインのアナウンスが流れ、これが再開の合図であった。声を長く伸ばしたのは、チューニングしやすいように、という配慮。まだ1kHz信号などの発生器が無かったのだ。
●また、休憩時間にレコードを放送したのは昭和に入り、電蓄が生産されてからのこと。最初のうちは記録に『レコード音楽』と書かれていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?