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日本の放送百年百局 30 『マッカーサー司令部の声放送、アメリカの声(VOA)沖縄中継局、国連軍の声放送局(VUNC)』

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 『マッカーサー司令部の声放送』および『国連軍の声放送(VUNC)』は朝鮮戦争(1950年6月25日-)で行われた米軍の心理戦放送の一つである。
 1950年6月28日に朝鮮人民軍が首都ソウルを占領した際、アメリカ軍は軍事放送の開始を決定。さらに連合国総司令部(GHQ)からNHKに、心理戦の一環としてその放送の中継を命じた。

  6月28日、 極東軍司令部(Far East Command: FEC)参謀 2 部は NHK 第二放送にて、VUNC の前身『マッカーサー司令部の声』を開始し た。一方で7月1日からは NHK第一放送で、国務省管轄のVOA中継放送が始まった。いずれも、南北双方の住民を対象とした。

 当初は東京、福岡、松江の各NHK局から、機能停止になった韓国内の放送にかわって、韓国内にいる人々に戦況を始めとする様々なメッセージを朝鮮語で伝えるという目的で、週数回、深夜の15~30分ほど放送されていた(放送日や時間は流動的だった)。新聞番組表には「韓国語放送」とだけ記されていた。
 やがて7月からは名崎、八俣など日本国内の短波送信所から朝鮮人民軍および朝鮮向けの宣伝放送も開始。9月の首都奪還後はソウルからも中波送信が開始された。10月にはマッカーサー元帥がこの放送を利用して、朝鮮政府に対する最後通牒を発した。また、中国義勇軍が参戦してからは中国語・広東語放送も開始された。
 1953年7月に休戦協定が成立。休戦下、日本からの短波放送は名崎・八俣の両送信所からおこなわれ、中波放送でも中継された。
日本からは以下のスケジュールで国連軍の声による宣伝放送が中継された。
八俣 JOB 9560kHz  20:00-03:00
 八俣 JOB 6015kHz  22:30-06:00
 東京 JOAB 690kHz  23:32-01:02
 大阪 JOBB 830kHz  23:32-01:02
 日本での中波中継は1960年、短波放送は1961年まで続けられ、その後は韓国に拠点が移されたが、1963年には沖縄・平良川送信所(Deragawa 北緯26 21 30.52、東経125 51 19.35)からの送信に変わった。

アメリカの声

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