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#大阪テレビ放送 開局直前のサービス放送 多様なスタジオ番組

◎対談、ドラマ
 さて、いよいよ11月も後半を過ぎ、番組のジャンルも多岐にわたってくる。
・11月17日(土)
昼の部
11.00 テストパターン
11.48 おしらせ
11.50 秋の味覚を語る 出演 湯木貞一、大久保恒次
0.10 希望の歌声(KRT)出演 江口秦代、関真紀子
0.40 おしらせ〜放送終了
11月17日昼の部。
11時からのテストパターンとお知らせに続き11時50分開始。
 まず11.50から20分間の単発番組「秋の味覚を語る」。
 出演は料亭「吉兆」の創業者・湯木貞一と、意匠家の有名な関西の食通であり、今でいうフードコーディネーターの先駆けでもあった大久保恒次だ。
 湯木貞一が創業した「吉兆」については、21世紀に入ってからの不祥事でイメージに傷こそついてしまったが、歴史的にみれば、かつて高嶺の花であった高級会席や伝統的な宴席用弁当などを、大衆に手が届く形式にまでスタンダード化し、普及させたという功績は大きい。また、湯木貞一の著作に関して古書・新刊書のデータベースをあたってみたところ、2010年春現在、次のような本が市場に出ていることがわかった。
・吉兆味ばなし(1) (1982年)
・吉兆味ばなし(2) (1990年)
・吉兆味ばなし(3) (1990年)
・吉兆味ばなし(4) (1992年)
・吉兆 湯木貞一のゆめ 湯木美術館 (2002年)
・吉兆 料理花伝 (1983年) 辻静雄、入江泰吉との共著
・吉兆 (1978年)  入江泰吉との共著
・卒寿白吉兆 (大型本1991年)入江泰吉との共著
 このほかにも、湯木貞一門下で修業した人による著作や湯木貞一の仕事についての著作も多い。雑誌記事データベースなどで検索すれば、もっと沢山の資料を集めることができるだろう。
 そして、大久保恒次といえば、雑誌「あまカラ」の装丁が有名である。
 「あまカラ」は1951年8月から1968年5月まで、大阪の甘辛社が発行した月刊小冊子。「銀座百点」「洋酒天国」と並ぶ、読者にも書き手にもファンの多いPR誌だ。大久保恒次のデザインによる「あまカラ」の表紙は、古書店のwebsiteなどで見ることができるが、当時の雰囲気を知るには良い資料である。「あまカラ」で検索していただくと、古書店のwebsiteなどで見ることができるだろう。
 また、大久保恒次の著作に関しては、2010年春現在、次のような本が古書市場に出ていることがわかった。
・うまいもん巡礼 (1956年)
・うまいもん巡礼〈続〉 (1957年)
・上方たべもの散歩 (1959年)
・定本うまいもん巡礼 (1960年)
・食通入門 (1961年)
・上方の味 (1962年)
・瓢亭—京料理 (1964年) 葛西宗誠との共著
・フォトあまカラ帖 (1964年) 葛西宗誠との共著
・京都大阪神戸うまい店二〇〇店 (1964年)
・食味求真—食味随筆集 (1966年)
・うまいもの歳事記 (1973年)
 OTVは開局の直後から、月〜金12時45分から「料理手帖」を放送開始。一方、NHKの家庭情報番組枠は10分早く月〜金の12時35分からであったが、料理を取り上げるのは週に一回であった。のちにNHKは独立した帯番組として「きょうの料理」を開始し、全国的に評判を得たが、大阪テレビのエリアでは「料理手帖」のほうが馴染み深かったようだ。ひとつは最初から平日の帯番組としてスタートしたことにある。当時の新聞記事を読むと、主婦が毎日放送される料理番組のおかげで「メニューを考えるのが楽になった」などの声が紹介されている。また、その傾向に乗じて、番組内容にあわせて「料理手帖で紹介されたメニュー」というコーナーを設ける店も登場したという。早い店では、放送のあった夕方までに材料を店頭にそろえていたという。
 「料理手帖」は、OTVが朝日放送と合併した後も、そのまま昼の人気番組として受け継がれ、長寿番組となった。現在、テレビ朝日系列局で、平日の昼過ぎに放送されている、朝日放送制作の「上沼恵美子のおしゃべりキッチン」は、その流れを受け継いだ番組だといえる。
 12.10分からはラジオ東京テレビジョン(KRTV)からのネット番組「希望の歌声(30分)」。
 開始時間が「10分から」と中途半端なのは、発局であるKRTが、当時、正午から定時番組「東京テレニュース」を放送していたからである。当時は、一部のフィルム制作番組を除けば、ニュースもバラエティもすべて生放送だったから、ネットワークで放送するときは、発局の都合にあわせるしかなかった。
 出演は江口泰代、加藤雅夫、関真紀子。 江口泰代は当時はキングレコードの所属歌手。三橋美智也の「リンゴ村から」のSP盤(KING RECORD C-1309)にカップリングされている「大島むすめ」などを、ネットオークションで見かけることがある。
 加藤雅夫は日本コロムビアの所属歌手。1950年、久保幸江の「トンコ節」が再発売(COLUMBIA A 1079)された時に、デュエットの相手として、当時新人であった加藤が選ばれ、これが大ヒット曲となった。
 この頃、関真紀子が吹きこんたのは「君美しく(1955年12月)」「午後8時13分のズルース(1956年10月) 「さすらいの唄(1956年8月)」「長崎の唐人娘(1956年3月)」など。いずれもコロムビアで古関裕而の楽曲である。

・11月17日(土)夜の部
6.30 テストパターン
6.58 おしらせ
7.00 劇「晩秋の幸福」森光子
7.40 座談会「ぼくはこうみる」 新藤次郎 岩井雄二郎
7.55 おしらせ 〜放送終了

 夜の部は夕方6.30分からテストパターンが放映され、お知らせに続いて7時開始。
 まず、7.00からはOTV制作のドラマ「晩秋の幸福(40分)」。
 出演は森光子、北村英三、石田茂樹。一部のドラマ関連資料には「朝日放送制作」と記述されているが、これは誤りである。また、本放送開始前(サービス放送期間)の番組のため、データベースに収録されていないこともあるので要注意。
 「放浪記」ロングラン公演の記録を打ち立てた森光子は、この頃はまだ関西をベースに活躍していた。森は「晩秋の幸福」の放送直前、NHKで何本かのドラマに出演しており、テレビに出始めた頃であることがわかる。また、OTVが本放送に入ってからは風刺番組「コント千一夜」(1956年〜1961)、ドラマ「小判は寝姿の夢」(1957年)、「芽」(1957年)などに出演したと記録がある。また1956年、朝日放送と専属契約を結び、人気ラジオ番組の司会を務めた。のちに『ダイラケのびっくり捕物帖』に出演して全国的に評判になった(このドラマに関する詳細は別の機会にご紹介する)。
 続いて7.40から15分間、座談会「ぼくはこう見る」。出演は朝日新聞社の進藤次郎と岩井産業社長の岩井雄二郎。
 進藤次郎は、太平洋戦争で朝日新聞社から南方軍へ派遣され、司令部報道部主計を経て、戦後、朝日新聞へ復帰し、この頃、編集局長であった。
 岩井雄二郎は岩井産業社長で、1949年に関西経済同友会で代表幹事を務めた。
 岩井産業は、父・岩井勝次郎が創業した鉄鋼商社・岩井商店を前身とする。鉄鋼卸を中心にメリヤス、塗料、スフ(レーヨン)、亜鉛、曹達など、広く工業製品分野で業績を伸ばし、財閥まで形成した。のちに日商と合併して日商岩井(現・双日)になった。

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