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日本の放送百年百局 12 RKB(ラジオ九州、アールケービー毎日放送)

ラジオ九州開局の経緯 組織の変遷

1950年(昭和25年)2月1日 - 毎日新聞西部本社版に「ラジオ九州発足」の記事を公表。毎日新聞はRAPPON(大阪・東京・福岡を基幹とした全国ネットワーク)構想を進めていた。ラジオ九州の創立準備事務所は福岡市中洲の玉屋デパート内に置いた。
1951年
4月21日 ラジオ予備免許交付
     JOFR 周波数1290kc 出力5kW
     送信所 糟屋郡粕屋町長者原

6月29日 株式会社ラジオ九州設立
     本社:福岡市新開町の電気ビル別館(現・共創館)
10月4日 本免許交付
12月1日 本放送開始。
2月5日  ラジオ仙台、ラジオ北日本、ラジオ北陸と共に「火曜クラブ」(現「火曜会」)を結成。
 4月   芥川也寸志作曲のシグナルミュージック使用開始。
6月30日 本社昼間10kW増力許可。
12月24日 小倉ラジオ開局(1040kc、100W、日本初の民放ラジオ中継局)


1958年

3月1日 ラジオ九州テレビジョン本放送開始
     JOFR-TV 4ch 5kW/2.5kW
6月1日  ラジオ東京(KRTV)、大阪テレビ放送(OTV)、中部日本放送(CBC)、北海道放送(HBC)とともにテレビニュースネットワーク協定締結。


小倉支社、ラテ合併で「異局名・同コールサイン」へ

  1950年代、福岡県小倉市、門司市、戸畑市、八幡市、若松市の五市と、山口県下関市を『関門圏』と呼ぶ一つの都市圏にまとめて発展させようという構想があった。実際、明治時代からこの地域は筑豊炭田の積出港・若松、八幡製鉄所の町八幡・戸畑、国際港門司・下関、鹿児島本線と日豊本線の交わる大要衝小倉と、経済的に豊かな都市が密集・連結しており、福岡市を中心とした都市圏とは全く別のエリアとして栄えていたのだ。

  マスメディアについても同様で、もともて全国ネットワークを前提としたラジオ九州は支局という扱いで小倉局を開局させたが、毎日新聞西部本社(小倉市)は福岡とは別の独立したテレビ局を小倉に開局させようと免許を申請。1957年10月6日に西部毎日テレビジョン放送がテレビ予備免許を取得した(JOGX-TV 8ch、映像1kW)。また、八幡市にはテレビ西日本が開局したほか、産経新聞社が北九州テレビ放送を申請、ラジオ山口が海を超えて小倉市にテレビ局開局の申請を出したりと『関門地区』への注目が高まっていた。
 郵政大臣は、西部毎日テレビジョンと、ラジオ山口、北九州テレビ放送の申請を一本化するをよう指示。1958年3月19日に西部毎日テレビジョン放送が創立総会を開き、このとき北九州テレビは合体を辞退。8月1日にはラジオ九州と西部毎日テレビジョンが合併し「アール・ケー・ビー毎日放送株式会社」が設立された。西部毎日テレビジョン(JOGX-TV)はRKB毎日放送関門テレビジョン放送局へと名称を変更。しかし、コールサインはJOGX-TVではなく、RKB小倉放送局と同じJOFO-TVを使用。つまり、同じコールサインでありながら別の放送局名という異例の状態が生まれたのだ。

筑後エリア、京築エリアの難聴解消

進む都市化による受信状態の改善をすすめるため新たな支局開設や増力が行われた。1959年9月1日に大牟田ラジオ放送局に本免許(JOFE、1560kc、40W)、1962年10月1日には行橋ラジオ放送局に本免許(1060kc、100W)。小倉放送局が1530kc、1kWに増力した。
1965年5月2日 JRN(ジャパンラジオネットワーク)発足。加盟。
1966年4月3日 テレビカラー放送開始。

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