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日本の放送百年百局 13 『KOHO、KZOO』

 ハワイでは第一世代、第二世代の日系移民が第二次大戦期の合衆国政府の拘束から解放されたあと、日系人の多く住むエリアの放送局で放送枠を買い(あるいはスポンサー持ち込みで番組供給をして)、限られた時間だけ日本語番組を放送していた時代を経て、1960年代には2つの日本語専門ラジオ局「コホ日本語放送局(KOHO)」「ケーズー放送局(KZOO)」を持ち、その後日本語を中心とした放送をおこなう地上波テレビ局まで持つに到った(番組単位の放送を実施した局も1980年代まで存在した)。その後21世紀を待たずしてKOHOは閉局したが、入れ替わるように、日本人観光客や新世代の移住者に向けた日本語放送を行う専門ラジオ局が設立された。
 ハワイでは、第二次大戦以前にもすでに日本人コミュニティは新聞などを独自に刊行するだけの力と規模をもっていたのであり、このような放送が行われなかったと断定することはできない。
 ここではこの分野の情報収集と研究をされている平原哲也さんからのご厚意で提供いただいた貴重な情報をご紹介している。

戦後黎明期
 第二次世界大戦終了後、KIKI、KPOAなど在ハワイラジオ局にハワイ在住日系人を対象とした日本語番組が設けられた。しかし、第二次大戦中、日系人部隊を送り出すとともに、日系人のアメリカ化が強制された経緯もあって、終戦後いつまでも日本語放送を行う意味はない、と考える者が少なくなかったことと、1950年代アメリカのラジオ局全体がロックンロールやカントリーウェスタンを売り物にする編成に移行したあおりをうけて、ハワイ各局の日本語番組は一時的に先細りしていった。

KOHO コホ日本語放送局の設立
 ハワイ日系人社会のメディアの歴史は長く、既に明治期からいくつもの新聞が発行されており、当然のこととしてラジオ番組の需要がないはずはなかった。また、戦争を挟んで一世と二世の社会とのかかわり方に溝ができ、英語がまだ充分でない一世たちは日本語の通じる範囲に留まり、一方、むしろ英語のほうが得意な二世たちはアメリカ社会での日系人の地位向上という目標のため積極的に白人社会へ進出していった。
 しかし、1950年代後半に向けて徐々に日本語番組が消えて行く状況を見て憂慮した日系人から「日本語放送を統合して日本語専門局を開局しよう」という気運が高まり、さらに「日中日本語で放送できる局を探そう」という声があがり、財政的な支援者を捜し始めたのである。
 かくして、各局でバラバラに放送されていた日本語番組のスタッフが終結して1959年12月末、ハワイ・タイムス紙がニュースを提供する「KOHO(コホ)日本語放送局」が開局した。KOHOは「広報」をもじったコールサインである。
 この時、局のマネージャーに就任したのが、開局運動に熱心に動いていたフーバー立石(Hoover Tateishi Yoichi, APRIL/29/1929-jUNE/17/1979)だった。当時30歳である。
 日蓮宗僧侶の子としてハワイ島カパパラオで生まれ、4歳で両親の帰国にあわせて日本にゆき、進学のため戦後ハワイに戻った帰米二世・フーバー立石は1950年代の中頃、極東地区の研究で修士号を取るためハワイ大学の大学院に通うかたわら、パートタイムでKPOA放送局のニュース翻訳の仕事をしていたが、この時、編成など放送の中核を締める領域に興味を抱き始め、やがてその領域にかかわるようになっていった。そして、ラジオ局への想いが高まり、実家の寺院を継ぐことをあきらめ、ついにKOHO設立に携わったのである。
 しかし、60年代に入ってフーバー立石がリーダーとなってストライキを実施。そのため局を追放され、また、ストライキに与した14人の社員はフーバー立石の復帰を会社に掛け合ったがこれが叶わず、彼らも同時に退社した。
 追放後退社したスタッフはKIKI局で午後7時から連夜4時間の「Cherry Blossom Hour」を担当した。
 一方、フーバー立石は1962年選挙の国会議員候補者スパーク松永氏(日系人442部隊の生存者。日系初の上院議員。戦争で片腕を失ったのが一つの勲章のようになっていた。ハワイ州知事を歴任したジョージ有吉氏とは442部隊の戦友であり、ともに日系社会の出世頭)のキャンペーンの相談役を務め、下院議員に当選すると、行政補佐官としてワシントンに赴任した。立石はそこからKIKIの番組に向けて「ワシントン便り」を連日収録してテープで送りながら「Cherry Blossom Hour」の面倒を見ていたようだが、なかなか採算がとれず苦戦していたようである。
 1962年、ホノルルでラジオ局経営の経験を持つMary Wong女史が、新たにKZOOのライセンスを取得、ラジオ局設立のためワシントンを辞したフーバー立石がホノルルに戻り、Wong女史と交渉して、ついに1963年10月18日にハワイ報知紙のニュース提供による日本語放送局(フルタイム)が開局した。KZOOというコールサインはWong女史の申請による。 もともと立石にはKOHO時代、KIKI時代とも頼れる人物として大人気があったため、開局は多くの人々に祝福された。加えて新垣(後に結婚して中林)、吉村、丸山の各アナウンサーもそれぞれにファンを持っていた。人材、機材、資金ともにないないづくしの開局ゆえにスタッフはさまざまなアイディアを繰り出し、ついには地元チームの野球試合中継まで実現し、局全体の人気も上昇していった。
 かくしてホノルルにはKOHO、KZOOというライバル局が誕生し、そのバックについた新聞社とともに、二つの言論陣営を形成していった。

KZOO「ケーズー放送」1210kc
 KZOOの名アナウンサーの一人である宇良啓子アナのインタビューによれば開局時の主なアナウンサーは大下治心、益井浩、ジミー中村、そして芸大声楽科を卒業してハワイ在住者と結婚した中林みちこなどで、この他、テイチク歌手の吉村ヤス子、女優、童謡歌手の丸山房子、後にお料理専門となる堺スミエ、そしてハワイのアナウンサーの草分である成田マサ子、日本留学を終えたばかりのジョアン二宮(のちにKIKU-TV社長)、そしてハワイの名司会者、堀内進などがおり、この他にも必要に応じていろんな社員が入れ替わり立ち替わり自分の得意分野を活かして出演したという。当時宇良啓子さんは新人アナウンサーであった。
 1966年、Wong女史がKZOOを手放すことを決意した。立石氏は日本語放送維持のためこれを買収しようとファン達に呼び掛け、一口200ドルで共同所有者になるキャンペーンを打ち上げた。結果2, 000ドルの資金が集まったが権利を買い取るにはあと4万ドル必要ということであった、結局、資金協力を申し出てくれた人が登場したが、運営権は立石からその手にわたった。フーバー立石はそれを契機に日本語テレビ局KIKU-TVの設立に尽力する。
 KOHO開局からここまでの10年足らずの間に、日本から重要な放送関係者が日系ラジオ局にかかわっている。一人はニッポン放送を設立した鹿内信隆で、フーバー立石がKOHOそしてKZOOで成功させた「電話応答」というフォーン・イン番組について関心を寄せている(当時日本では電話普及率が低かったため実現はできなかった)。KOHOはニッポン放送と提携を結び、番組配給などをした。また、産経の設立者でラジオ大阪をたちあげた前田久吉もKZOOの母体であるポリネシア放送会社と提携を結んだ。

日本短波放送との画期的結びつき
 1978年11月23日、日本中のラジオ放送がこの日に向けて大わらわであった。それは、ジュネーブ協定の内容改正でアジア地区の中波放送チャンネルプランが9kHzピッチに再設定されることとなり、ほとんどのラジオ局が一斉に周波数の変更をしなければならなくなったのだ。11月23日は祭日であった。
 各局は、その直前の週末までに調整を済ませ23日午前五時を期して一挙に周波数を変えなければならないのだ。同時に、周波数変更を日本じゅうに知らせなければならなかった。自然にそれはラジオの存在感を再認識させるNHK・民放共同の一大キャンペーンのようになっていった。
 日本短波放送はこの騒ぎについては全くの埒外であった。周波数を変える必要もなかった。しかしこの期に存在感をアピールできる方法はないか。それが「局名の愛称化」と祭日特番枠(祭日は株式市況中継も競馬中継もないので特番を放送しなければならない)であった。  まず、日本短波放送は23日午前0時を期して「ラジオたんぱ」の愛称を使いはじめ、ごくわずかな例外を除いて、永らく用いてきた「日本短波放送」「NSB」の名称を放送に用いなくなった。この事は新聞や雑誌でも広告され、中波各局の宣伝に押されっぱなしにならないようにしていた。
 23日午前0時。キャンディーズの唄による新しいステージョン・ソングとジングルが披露され、PT枠のほとんどでそれが繰り返し演奏された。いよいよお祭りに向かって放送は動き始めた。
 午前0時半。しばらくの空白のあと「さくらさくら」の琴の音色が聞こえ、やがて英語、続いて日本語によるKZOOの放送開始アナウンスが流れ始めた。いよいよここから18時間にわたる「ハワイ日本語放送実況生中継」が始まったのであった。
 途中、ラジオたんぱの定時番組とたまに絡みながら、それでも午前2時から9時頃まではほとんど現地の番組をそのまま(ラジオたんぱのCM枠だけは別として)放送された。KZOOの時報やCM、公共アナウンスまでそのまま放送された(衛星中継のため、時報は若干遅れた)。9時を過ぎると日本との相互乗り入れによるクイズ大会や尋ね人企画などがおこなわれ、夕方の時間帯に一部生中継を挟みながら、およそ日布特番の型式でKZOOの放送終了(現地時間23時)まで特別番組が続けられた。

KZOO 1980年11月23日 朝7時放送『ご不幸のお知らせ』
(オルガンのTM)

只今からご不幸のお知らせを
お伝えいたします。

謹んでハワイ島(しま)コナ、
■■■家のご不幸を
ハワイ全島お知り合いのの皆様に
お伝えいたします。

原籍、山口県熊毛郡■■■。
現住所はハワイ島コナ、ケオプ。

■■■イサムさん86歳は、コナ病院で
さる22日土曜日午前10時になくなられました。
つきまして、■■■家のご葬儀は
23日本日午後3時より
中央コナ・キリスト教会で行われます。

繰り返します。

原籍、山口県熊毛郡■■■。
現住所はハワイ島のコナのケオプ。

■■■イサムさん86歳は、コナ病院で
さる22日土曜日午前10時になくなられました。
つきまして、■■■家のご葬儀は
23日本日午後3時より
中央コナ・キリスト教会で行われます。

なお、ご遺族には、
長男、コナ在住の■■■カズオさんをはじめ、○○夫人
次男、同じくコナの■■■ジョージさんならびに○○○夫人。
三男、ホノルル在住の■■■ユキオさんならびに○○夫人。
四男、同じくホノルル在住の■■■カズマサさん。
五男、コナ在住の、■■■マコトさん~
六男、コナ在住の、■■■ミノルさんならびに○○○○○夫人
長女、コナ在住の▲▲▲テルオさんの妻の○○○さん
次女、コナ在住の●●●○○○さんの妻の○○○さん
三女、ホノルル在住の○○○さん。
お孫さんが15人、曾孫さんが5人。以上の方がいらっしゃいます。

以上、謹んで、
ハワイ島(しま)コナ、■■■家のご不幸を
ハワイ全島お知り合いのの皆様にお伝えいたしました。
(男性アナ)

(オルガンのTM)


KZOO 1978年11月23日 朝6時のニュース後「ご不幸のお知らせ」
※感謝祭の朝のご不幸のお知らせ(Joke)
(オルガンの曲)

KZOO放送局は、毎朝、
ご不幸のお知らせをお伝えいたしておりますが
今朝は、ご不幸のお知らせ、御座いません。
しかし、特別のThanks Giving Day用の
ご不幸のお知らせが御座います。

謹んで、ワイアナイのターキー家のご不幸を
全島お知り合いの皆様にお伝えいたします。
原籍、アメリカ合衆国(がっしゅうごく)
マサチューセッツ州ヘイマスターク(ママ)
最近までワイアナイにお住まいでした
ターキー・トーム氏、ならびにヘン夫人は
24日正午過ぎ、お気の毒にも昇天なさいました。
葬儀内容については、
現在ホソイ葬儀所ならびにククイ葬儀所などで
細部にわたって検討中でございます。
なお、ご遺族にはChikさんたち多数おられます。
以上、とりあえず、
ワイアナイ、ターキー(※七面鳥のこと)家のご不幸を
全島お知り合いの皆様にお伝えいたしました。
なお、ターキーご夫妻の生前の要望で、
お花はお断りいたします。
あしからず。

KOHO 1983年8月24日 午後1時のニュース終了後のCM
ニュース提供クレジットCM/オガタマッサージ医院・ダイエー
(TM) 40年の研究を持って考案されたオガタ氏の経絡療法は
鍼灸(ハリキュウ)をマッサージに応用し、
血液の流れと神経の働きを調整して体をつくりかえる治療法です。
詳しくは南キング街142の2階。
電話949(Nine Four Nine・・・省略・・・)、
オガタマッサージ医院へご相談下さい。

日本最大リテールストアを代表するダイエー。
日本ムード溢れる店内に優れた日本の品々を豊富に揃えて
ハワイの皆様に品質とどこよりもお安い値段でご奉仕。
パーリッチ食品センター内のダイエー。

合同提供、午後一時のニュースを終わります。
次のニュースはアラモアナとパーリッチの白木屋提供。
午後二時にお送りいたします。(女性アナ)
(TM f/out)

サブコ・ファイナンシャル
(M)
生活のプランをしっかり立てていても、
人生には思いがけないことで
急にお金が必要になることがあります
こんな時には、友人にご相談になるような気持ちで、
心やすく、サブコFinancial(英語発音)におでかけください。
サブコFinancialでは、
不動産購入、家の改築、車、旅行、教育
商売の資金や機械購入など、あなたの必要に応じて、
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またお金を、大きく育てるようなsavingsの方法も
各種の都市證券やmoney market、
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本店ならびに支店も加えてオアフ島(とう)9カ所。
ヒロにも支店のあるサブコFinancialに
一度ぜひお出かけくださいませ。(女性アナ)

薩摩ラーメン
皆様に「うまいラ=メンは薩摩ラーメン」と召し上がって頂く
「薩摩ラーメン」は
Number 3店を8月の13日、
KingとUniversity Avenue角のPax alleyのParking場入口
「Mr. サブ」の裏隣りにopen。
九州の味。
スープベースは日本の本店より直輸入の「薩摩ラーメン」をserve。
Pax alley「薩摩ラーメン」店は
毎朝10時から夜中の12時までopen。
電話946(Nine Four Six)・・・(省略)です。
なお、「薩摩ラーメン」第一店(だいいってん)は
ワイキキ・パークショアホテル内。
第二店は三越の横。
第四店はKingとペンサクラ街かど、
マッキンレイ・ハイスクールのカイムキサイドにあります。
Pax alley内の「薩摩ラーメン」第三店とともに、
よろしく、おひきたてください。(男性アナ)

イイダ・スイサンドウ
(M)
イイダ・スイサンドウからご案内致します。
アラモアナセンター中央1階山側のイイダスイサンドウは
日本の美術工芸品、家庭用品の数々を揃えて
ハワイの皆様にお引き立てを頂いております。
日本趣味をお持ちの方、お習字のお稽古に必要な
筆、硯、墨、墨汁、半紙や朱肉も全部揃えております。
アラモアナのイイダスイサンドウでお求め下さい。(女性アナ)

KZOO 1978年11月23日 午前6時台
ゴキブリ退治器

皆さんの台所にカクローチはいませんか?
毎日、ちょろちょろカクローチに出てこられては
たまったものではありません。
アノ手コノ手、カクローチ退治作戦を考えても
なかなかくたばらない。
そこで登場したのが「くるくる館」です。
「くるくる館」にいそいそと入ったカクローチは
・・・イチコロです。
カクローチ退治に「クルクル館」をぜひお求め下さい。
(男性アナ)

Japan FoodのGift Package!
(♪年の始めのためしとて~)
お正月に、ふる里に何をおくられますか?
それはJapan FoodのGift Packageに限ります。
早速、お電話ください。カタログをお送りします。
12月の5日までにお申込になれば
ちゃーんとクリスマス前にお歳暮用として
日本(にっぽん)国内何処へでも届けられます。
ま、例外があります。
北海道とか四国、九州、
沖縄伊豆七島だけは届けられませんが、
その他は、どこにでもお届け申し上げます。

おいしい昆布数の子の缶詰セット、
そのほか、特選塩数の子、新巻の鮭のセット、
鮭の親子粕漬けなどはいかがでしょうか。
そしてまたOrangeやGrapefruitesなどもお届けいたします。

Gift Package!(聞き取れず)アリタストアでも取り扱っています。
Japan Foodの電話537-95・・(英語・・略、二度繰り返す)に
早速お電話ください。
Japan Foodの日本への贈り物!
(男性アナ)

ふるさとを偲ばせる「みやじま」
お酒とカクテルと軽い食事の店「みやじま」。
「みやじま」はコバヤシホテルの隣にあります。

港に近いために、
日本からの船員さんたちの元気な姿もよくみられる
北ベルタミア街の「みやじま」。

日本情緒が豊かな「みやじま」。
懐かしい唄をカラオケでうたいながら
充分に満足していただける「みやじま」。

ふるさとを偲ばせてくれる「みやじま」。
一品料理が出てきます。
お漬物のおいしさは話題。
フルーツのサラダ、野菜サラダ、冷や奴などおつまみ。
カップ、どんぶりもの、ステーキまであります。

毎日休みなしの「みやじま」。
正午から、翌朝2時までオープンの「みやじま」。
電話は、538・・・(英語)、
ゴーサンゼロ・・(日本語)までどうぞ。

ふるさとを偲ばせる「みやじま」!(深いエコー)
(女性アナ)

ヒロでもケーズー放送
KZOO放送局では、 ヒロ市の(聞き取れず)ケーブル会社と特約。 KZOO放送局の番組を、毎日、ヒロのご家庭にお届けいたしております。
ニュースは朝6時から夕方5時まで毎時放送されます。 ホノルルはもちろん、日本や米本土の出来事も身近に知ることができる たのしいプログラムでいっぱいです。
皆様の話題も豊富になり 毎日を明るく、たのしくお過ごしになれるでしょう。
さらに日英両語の時間もあり お年寄りも、お若い方も、 一家そろってケーブルテレビ「チャンネル2」でお楽しみください。

KZOO 1980年11月23日 KZOOラジオ体操(朝7時直前) 
(SE 鐘と鶏鳴)
(TM ラジオ体操の唄)
 ♪昇る朝日の光を浴びて、曲げよのばせよわれらがかいな
  ラジオは叫ぶ、いち、に、さん。

ハワイ全島KZOO放送をお聴きのみなさま、おはようございます。
今朝のご機嫌はいかがでしょうか?
さあそれでは今日も一日、元気で楽しくすごせますように
みんなでラジオ体操をいたしましょう。

この番組は
不快感をスッキリさせると評判が高く
指圧で新しく人生を潤されたい方に喜ばれる
南キング街、アメリカン・セキュリティ・バンク6階
「アイセン治療院」

数あるホノルルの健康食レストランのうちで
ダウンタウン、コバヤシホテルの裏
タウンスクエアで玄米のおいしい日本食をserveする
唯一の健康食レストラン
「スリー・エンジェルス」のご好意でお送りいたします。

(♪ 現行のNHKラジオ体操第一)

はい、どうもお疲れさまでした。

このラジオ体操の時間は
不快感をスッキリさせると評判が高く
指圧で新しく人生を潤されたい方に喜ばれる
南キング街、アメリカン・セキュリティ・バンク6階
「アイセン治療院」

数あるホノルルの健康食レストランのうちで
ダウンタウン、コバヤシホテルの裏
タウンスクエアで玄米のおいしい日本食をserveする
唯一の健康食レストラン
「スリー・エンジェルス」のご好意でお送りいたしました。
(女性アナ)

KZOO 1980年11月23日 午後8時のニュース前後
フジ・フィルムの時報CM

(M)
ハワイ名物の一つに「虹」があります。
虹は七色ですが、全部の色をご存じですか?
フジカラーで写すとよくわかります。
ハワイの虹は、くっきりすっきり、フジカラー。
緑の箱は思い出づくりのパートナー。
皆様のフジ・フィルムがお知らせするただいまの時刻は
「8時です。(生アナウンス)」
(時刻を除き女性アナ)

ニュー・トーキョーレストラン
(M)
和食の味は材料次第と言われますが
ニュートーキョー・レストランはまさにその言葉にピッタリのお店。
新鮮で選び抜かれたネタをいつも用意しています。
日本から来た腕ききの板前さん。
心を込めた包丁さばきで味は言うことなし。
日本からのお客さまにも
ニュートーキョー・レストランのお食事には
充分ご満足していただいております。
それに、ゆっくりくつろいでお楽しみいただける和室もございます。
おさそいあわせの上、ニュートーキョーレストラン。
愉しい南太平洋料理をおたのしみいただくなら
ニュートーキョー・フラハットへ。
ご予約は923(英語読み二度繰り返し・・・省略)。
(男性アナ)

冷凍食品ならAJICO
食べたくなった時、AJICOが一番です。

蝦や蟹のシューマイ、蝦餃子などおいしいAJICOの製品は
ハワイの皆様の大好物。
薄い皮、そしてお味の良さは天下一品です。

新しいAJICOのコロッケをお試しになりましたでしょうか。
とってもおいしいんですよ。

AJICOの製品は
フリーザーからそのまんまクックしてすぐに召し上がれます。

味にかけては右に出る者はないといわれるほどのおいしい製品。
味の素の製品・AJICO印の冷凍食品を
最寄りのマーケット、グロッサリーストアーでお求め下さい。
(女性アナ)

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