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日本のマスメディアの基本設計が熟成を待たずに劣化しはじめているが…

日本のマスメディアがこの30年くらいで急速に性能劣化してきたのは、現場の人間の能力やさまざまな不正によるものというよりは、近代化から大戦までの間に組み上げられた『日本式のメディア・システム』自体が、高度な成熟をまたずに寿命に達してしまったためではないか、と見ている。

現場の不正や、所謂『寿司友』などは明治の昔から日本にあるもので、時にそれが機能したこともあったのだが、いまは、そんな妥協を抱え込んでも大義を守ることができるだけの『免疫力』がメディアの中にないのだ。一箇所腐るとそれを全体として跳ね返せなくなったのだ。

また、社会全体から受けるさまざまな毒を撥ね付ける、外部に対する免疫力も落ちている。だから権力からも大衆からも、小さなクレームにメディア全体が揺さぶられる。

これらは、それぞれの部署や担当者の質ということではない。日本のマスメディアは、古くなって味が落ちた『寝かせてもうまくならないワイン』なのではないか。さらに言えばコルクが壊れて腐敗に対抗する態勢もとれなくなりつつあるのだ。昔であれば守られていたはずの、まともなスタッフ、まともな作家を、腐敗や劣化から護られなくなったのだ。いまこそ『この先400年もつような、強い免疫力と自己解決力のあるシステム』を仕込まないといけない。

また、現在のマスメディアは、物事の『半分』しか保持できない仕組みになっている。いわゆる『タブー』もそのうちだ。しかし、野菜を食べるのに土の話が必要なのは必定のことで、同様に、たとえば戦後復興に裏社会がどう貢献し、どう邪魔したか、なんて大事な話を『全部まとめて語る』ことはできない。しかしこれは『タブーなんか破ってしまえ』という無責任なやり方で解決する問題ではない。もともと『取り上げない世界』を予め決めて成長しはじめたから、引くに引けなくなったわけだ。

しかし、マスメディアの不正を糺すのは良いてして、根幹的な研究もなしにゴミだの役立たずだのと、便利なレッテルを張るのはいかにも素人っぽい。そして、そんな無体な批判が改善しようとする内部者の力を殺している事には気づいていない。それを誰も指摘しないし、メディア側からの適切な反論もない(これがつまり、免疫力が落ちてるということなのだ)。制度の寿命で、なぜ問題が起きるのか自己追及すらできなくなっているから反論したくでもできないのだ。


すっかり影を潜めてしまったが、長谷川豊のような『旧態メディアの老廃物』みたいな奴や、橋下徹のような『メディアの老廃物を栄養にしながら、老化したメディアを逆手に締め上げて支配しようとする』奴は、これからもどんどん出てくるだろう。アクティブメンバーの高齢化でカウントダウンの始まった日本会議だって、日本のメディアの大弱点である『営業優先に転換した悪体質』を巧みに利用してのし上がったのだ。メディアが、頑丈で、免疫力があれば防げたようなものばかりだ。

日本のマスメディアは、とにかく一度、基本設計から見直さなければならない。個人発のニュースが、発信されるニュース全体の5パーセントを超えた時は、危機的状況だ。まだ、個人発のニュースの9割はマスメディア発のソースを再発信しているに過ぎないから、マスメディアや社会全体にとって脅威ではないが。

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