Day7 最初の一週間
90÷7なので、12週間強の旅である。
1/12が終了した。
ベオグラードのテラスは程よい温度を伴なった大きな風に包まれ、街路樹の木の葉は身体をひしゃげ吹き込むそれに揺れ続けるのが鈍い黄色の光にあたり僅かに見えている。
ホステルの人間模様はさまざまである。
イカれてしまったモーリシャスの病人に、日本人の何かが気に入らないと、自分には理屈が通らなかったが確実にそうであるという真剣な眼差しで説教されたり、
ブルガリアのホステルでは虫が出てきて困っていたところ、上のスペースで寝ていたアゼルバイジャンの方がはたき落として踏み潰す瞬間を間近で見たりして、そのあと彼の奢りでビールをいただき、対峙後の一服を共にした。
その後、雨の降っていたテラスでタバコを吸おうと外に出ると、階段したにシリア出身のラスタがおり、彼は現在はオランダのアイントホーフェンに住んでいるようだが、酔いが回り仲良く談笑したのち翻訳アプリで「冒険は好きですか」「一緒に自転車で旅をしませんか?」と言われ、戸惑いつつ非常に嬉しかったのだけども、今の自分には無理だということをなるべく敬意をもって伝え、彼も私が旅を続けることを応援してくれた。
今泊まっているベオグラードのホステルはキッチンやメインの共有スペースと2階にある宿泊スペースが半別棟になっており、跨がなくても直接寝室へ向かえるのがいい点だ。エリアにより滞在するタイプが異なっていた。室内の寝室前にあるラウンジは大抵中国人がいて、一回の共有空間や玄関前のテラスなどは基本欧米人であった。
昨日はロシア人の若いカップルにfoncielloという塩味を含むサイダーをいただき、非常に良かった。
そのあと、ニューオリンズのノマドワーカーが政治の話とアメリカンジョークを織り交ぜた講釈を聞いていたのまでよかったが、あまりに内容がひどかったので席を外した。ニヒリズムが興じて、あるいは原動力にあるようなアンチ精神を以てしてノマドワーカーになったように見えた彼のその一方的なロジカルポエムをこれ以上聞きたくなかった。ロシアの子もそう思っていたそうで、その後真当な感想を聞いた。
しかしまあ、人とたくさん会うけども、なかなか深く入り込むことはない。時折インスタグラムやワッツアップなどを交換するが、相当なことがない限りその後連絡することはない。繋いでから少し会話すると基本は消えていくのだが、もしかしたら誰かに会えるくらいに思っておくのが一番いい。今まで旅で出会った中で一定のタイミングで連絡を取るのは台湾人の方くらいだ。
今日はニコラテスラの博物館に行った。
無線給電の夢、素晴らしい人間の才能の裏にひそむ、
巨大な既得権益がコイルのように複雑に渦巻く。
エネルギーに画一をもたらすはずだったテクノロジー、無線で電力をどこにでも送り届けるようなことは現在我々の生活には普及していない。
私たちは電源ケーブルと生きていく世界にいる。
彼の技術が普及した場合どんなことが起こりうるのだろう。
教えて、チャットGPT。
ありがとうございます。
やはり既得権益にとってはそれまでの投資コストを一挙に失うほどの技術であるため、大枠は眠らせておくことになったようなもので、見えないサグラダファミリアなのだと思った。同時に電磁波が人間に引き起こす影響に関してはやはり何も知らない一人間としては気になるところでもある。後世のエンジニアや研究者が残された多くの書記をもとにどこかで開発が行われているだろうし、来たるべき時に訪れるのだと思う。軍事利用なのだとすれば、ひょっとするとそろそろ革新が起きる頃合いなのかもしれない。
今日は色々豪華に肉料理を楽しんでしまった。ハンガリーでも色々試したいが、セルビアの料理は特に肉の質もよく味付けも程よいのでワインやラキアと頂けて実に優雅な時間だった。ラキアは正直、行ける口ではなかったがほろ酔いで煮込まれたリブ肉をカイマックソースを敷いたパンにのせ、オリーブオイルやバルサミコを少しつけていただくと、ほろほろに煮込まれた肉のうまみと酸味塩味が屋外席で波打つ美しきドナウのオルガンと弦楽の演奏するハーモニーのように郷愁を誘う美しい旋律を舌の上に立ち上げ、私は人知れず鼓を打つ。
聖サワ大聖堂やマルコ聖堂、ベオグラード要塞のほかNATO空爆旧テレビ局ビルなども見てきた。
雨の日だったが、ドラムやバスを乗り継ぎ、然程の疲労もなく回ることができた。街には交通機関が潤沢にあり、移動も面倒はなかった。
さて現在は6/26の23:20。明日のブダペスト行きのバスは朝6時と早いので、今日は4時に起きるか、あるいは眠気を退けて朝4-5時まで待つか。いや、仮眠は取ろう。横になるだけでもいい。ナイトオウルのロゴが可愛くて買ったカフェイン飲料をいただく。あれがあれば起きてられるんじゃないか。