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僕が今日も生きる理由

こんにちは!カズです!最後まで読んでいただけると嬉しいです!(*^^*)

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不器用なりに感謝を伝えたい

少し前に、この「君たちはどう生きるか」を読みました。その中にあった言葉を皆さんにも共有したいなと思い記事を書くことにしました!

「誰かのためにっていう小さな意志がひとつひとつつながって僕たちの生きる世界は動いている」

この言葉の通り、私たちの生活する毎日は誰かのおかげで成り立っています。決して一人では生きていけません!!例えば、毎日食べる食パンがあるとすると、

パンの原材料を収穫する人→原材料を運ぶ人パンを作る人→パンを運ぶ人→店で売る人→パンを買って来る母親→自分

というように自分自身に届くまでにたくさんの人の役割を経て、私自身のもとへ届きます。しかし、毎日食パンを食べるときにそんなことを考えながら食べてはいません。ボーッと何も考えず食べている時だってあります。でも、このように何気なく食パンを食べれていることにも感謝しないといけないなと思いました。「いただきます」という言葉には、命を頂くという意味の他に、食材に携わってくれた人への感謝の気持ちという意味もあります。

私自身、「いただきます」を言わずについ食べてしまうことがあります。でも、誰かのおかげで食べることができるということを改めて意識してみたいと思いました。大学生になっても、母とよく言い合いになります。そんなときお互いに黙り込んでしまう時があります。それでも、母はご飯を必ず用意してくれます。そんな母に毎日感謝を伝えられるように「いただきます」「ごちそうさまでした」くらいは忘れずに言えるような人間になりたいです。以上、不器用な私の感謝の伝え方でした。


奇跡のような出会いを大切にしたい

土曜日に野ブタをプロデュースという番組が再放送されていますよね!そのドラマの中で感動するシーンがあるので紹介します。それがこれです。カップル限定で入れるお化け屋敷の中に書かれた言葉です。


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この言葉を見てすごく素敵なシーンだなと思いました。(>_<)現在、彼女はいませんが、私自身も守りたいと思えるものを持ちたいなと思いました。

少し、ニュアンスは違ってくるかもしれませんが今の家族や友達がいるのも奇跡のような確率なのではないかと思いました。高校生のときに国語の授業の先生が「袖振り合うも他生の縁」という言葉を教えてくれました。道ですれ違う人も、何かしらの縁があるという意味をもっています。

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この言葉のように、どんな些細なふれあいにも縁があると思っています。例えば、コンビニですれ違う人、同じ電車に乗った人、買い物で会う店員さんなどの人との出会いも奇跡なのかもしれません!!そう考えると、毎日一緒に過ごしている家族や、一緒にふざけられる友達などはもっともっと低い確率なのかもしれませんね。こんな事は考えたことがありますか?

「もし、お金持ちの家族に生まれていたら」

私は何回も考えたことがあります。でもお金があったら本当に幸せなのでしょうか。もちろん、お金があって越したことはありません。もしもお金持ちの家で育っていたらワガママで友達もいない人になっていたかもしれません。今の自分があるのも、こうした奇跡を経て存在していると思うのです。だから、今の自分を否定するのではなく受け入れることがいいと思いました。だから、私は自身を持って言えます!!

「今の家族に生まれてきて本当に良かった!!」と。

母にはそんなこと恥ずかしくて直接言いませんけどね(笑)


今までの恩返しをするために


今まで支えてくれた母や親友、友達、先生、近所の人、迷子のときに助けてくれた人、事故をした時に助けてくれた人などたくさんの人の支えを経て、今の自分があります。人は支えてもらいながら生きている、そう実感しました。近い将来、今まで助けてくれた人に恩を返し、たくさんの人を支えられるようになりたいと思っています。
そのために、今日も明日も挑戦して生きています!!挑戦して失敗したらどうしようなんて考えている余裕もありません。何が正解で何が間違っているかは分かりませんが、自分が正しいと思ったことを粘り強く続けていけたらいいなと思っています。この記事を読んでくれている方の支えになれたら嬉しいです。

最後まで読んでくださってありがとうございます!!今回は番外編なので本当に関係ないですが、これからも頑張って記事を書いていこうと思うのでよろしくお願いします!(*^^*)

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