P.A.シャポー インタビュー:インサイド

P.A.シャポーのP.A.が何であれ、彼は帽子(シャポー)が似合う男だ。1218ユニバース、すなわち旧スキャナーしかなかった時代の彼が被っていたシンプルなフェドーラも、プライムユニバースの彼が被っている羽根付きの中折れ帽も、よく似合っている。

▶真実とは何か

彼は自らを「トゥルース・シーカー」と称し、時にはインベスティゲータに「真実の探究者たちよ」と呼びかける。「真実の探究者」ということは、つまり真実は隠されているのだ。ナイアンティック計画。我々の知るイングレス世界の根底にあるその研究計画が、全ての発端であり、解き明かさねばならない謎である、と彼は言う。

さてアバドンプライム・高雄の翌週、5月11日に行われたアバドンプライム・アムステルダムの地において、P.A.シャポー(プライム)、以下PAC-Pのインタビューが行われた。
その質問作成や日本語翻訳に関わった中で、アバドンプライム・アノマリー最終戦(シカゴ)を前に僕が感じたことを残しておこう。

インタビューはこちら。インタビュアーは台北のエージェントbamboocyt。彼はリカージョンプライム・香港でもPAC-Pにインタビューしている。

例によって動画マンドクセ、っていう私みたいな人は「プロジェクト・リュケイオン」の記事をご参照…とは今回言えない。まだあちらに日本語訳は掲載されていない。

あとPAC-Pの早口振りを味わって欲しいので、今回は動画見て、動画。30分近くあるけどさ。

今回、屋外撮影のためウインドノイズや外界音が入っていたり、機材の関係か音声が割れ気味なのはご愛敬である。

▶右手になにか恨みでも

冒頭、ヘンテコな形で握手する。右手には黒い手袋。その理由は、刺されたらシミュラクラかどうか分かるアズマティのナイフをブッ刺したこと。英語字幕がそうだったのでそう訳したけど、手に4インチ(10cmちょっと)の傷って殺意でも無きゃできない傷じゃね? 刺したのはアズマティだったかシャポー自らだったか言及あったかさえも忘れたけれど。

でもその痛みが、PAC-Pはシミュラクラじゃないことは証明した。たぶん人間だろう。たぶんね。

▶青でも緑でもないけれど、青も緑もあるんだよ

PAC-Pは真実の探究者であり、陣営とか関係ないし、どちらが得た手掛かりかとか気にしない。僕ら一般人はどうしても「どちらか」に属することになるけど、真実とはどちらからみても同じものだ。ああ、「真実はいつもひとつ!」っていう子供っぽくない少年探偵もいるね。

クロスファクション。インタビューチーム「ダテマル」もそうだし、インベスティゲータが集う「プロジェクト・リュケイオン」や「オペレーション:エセックス」もそうだ。まぁアノマリー期間はちょっとばかりお互いの様子をうかがってる時もある気がするけど、物語上重要な手掛かりは共有されて盛り上がる。

その意味では、もう出ているはずの結果を隠し通している、オペレーション:コランの参加者は凄い。

さておき、PAC-Pは最後の方でも、太古から続いている二つの勢力の争いについて、「真実を知るにはそんな戦いは迷惑千万」とばかりの言葉を口にしている。僕も彼に強く同意したいが、一方で僕らがスキャナーを手にしたとき、必ずどちらかの陣営を選ばなければならないその意味も、きっとどこかにある筈だ。

▶緩急自在に物語は流れる

さてアノマリー期というのは、フィールドエージェントはもちろんだが、インベスティゲータも忙しい。なにしろ物語という大河が激流に変わるからだ。つまり新たな情報が現れ、その解釈で忙しくなるってわけ。

次に起こりそうなのは何だ。あそこに表示された文字のようなものは何だ。トースト見てたらおなかすいた。こないだ言及されてた件と関係ありそうじゃないか。1218ではこうだったけどプライムではこうきたかー!いあ!おふとぅんぐ!いあ!いあ! …なんか変なものも交じったけど、実に騒がしくなるんだ。それを生暖かく見守ってくれる人も数多くいるね。

たまに凪のように情報が出ないときもあるけれど、音無き流れは水深し、待てば海路の日和あり。やはりかつてと同じように、アバドンプライム・アノマリーはとんでもない物語になりつつある。

▶PACの人間らしさ

今回のインタビューで凄いな、と思ったことの一つは、PAC-Pがシリアスな答えに笑ってしまったbambooに食ってかかったことだ。彼の名誉のために書いておこう、僕はbambooが笑ってしまった気持ちがちょっと分かる。そしてPAC-Pが彼をたしなめた理由も分かる気がする。

まずそのシーンのPAC-Pの言葉のおさらいと行こう。6:15あたり。彼はヒューロン・トランスグローバルを「帝国」と評した。その裏には黒いコネクションがあること、すなわち三合会(トライアド)から中華人民共和国政府にいたるコネを持つこと指摘した。

一方bambooは台北のエージェントだ。まさかアムステルダムの地まで来て、自分と縁の近い地域の話をして、それが自分の知る状況と似ていたら、苦笑したくもなるだろう。

だけどPAC-Pは、それを知ってか知らずか(たぶん知っていたと思う)、彼を強い調子でたしなめた。
彼はインタビューの冒頭、PAC-Pは「トゥルース・シーカーは調査し理解するジャーナリスティックな任務」と表現している。同じ「誰かに伝える者」として質問に真摯に答えていた彼は、bambooから苦笑が漏れたとき、それを見過ごすわけにはいかなかったのだろう。

この部分を翻訳しているとき、僕は物語の中に居るのか外に居るのか分からなくなった。でも分かったこともある。PAC-Pは人間らしい感情と理性を示したのだということ。

ジャーナリズムなど僕にはよく分からないが、知りたいことを誰かに訊いたなら、その答えには真摯に向き合いたいものだ。

▶アイ・ドント・ノウ ウィー・ドント・ノウ

今回のPAC-Pは「知らない」「分からない」を連発する。僕らインベスティゲータが知り得ないことは、彼も知らない。彼はヒントや彼の見方を伝えてくれはするが、「答え」を教えてくれることはほとんど無かった。

イングレスの物語の面白さはそこにあると僕は思う。誰もが物語の結末を知らないまま、小さな欠片を集めて想像する。手掛かりを探し、手を取り合って真実を探求する。
そう考えたとき、ふと思い出したのはこの一節だ。

誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを云ってゐるひまがあるのか
さあわれわれは一つになって
──宮沢賢治「生徒諸君に寄せる」(断章八)

まぁ僕はそこまで「一つになる」ことに主眼を置こうとも思わない。どっちかって言うと、それぞれでいろいろ頑張ってたら同じような人が集まった、という方が好ましい。スタンドアローン・コンプレックスとかいう感じのアレ。
で、最後にはまたそれぞれの道に分かれてくの。アニメ「イングレス」の最後みたいに。お互いの経験を胸に抱いて。

近付くアバドンプライム・シカゴでは何が起こるだろうか。そして真実の探究者たちは、何を見るだろうか。

僕はひとまず、この週末はミッションデイ武蔵嵐山に行くよ。

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